K-POP第1世代とは?民主化とともに芽吹いた“若者文化”としてのアイドル
K-POPの歴史を知ると、今のアイドルがもっと面白く見えてくる。
私はこれまで、SNAPSHOTでも『K-POP第●世代とは?K-POP第1世代〜第5世代の世代別特徴・代表グループをご紹介!』という記事を、このnoteでは『10分で読むK-POPアイドル史|第1世代から第5世代までの全体像』という記事を書いてきたけれど……
1つひとつの世代をじっくり深掘りするのは、今回が初めてです。
このシリーズでは、各世代の代表グループや時代背景、音楽性の変化などを軸に、K-POPの進化を辿っていきます。
初回となる今回は、K-POPというカルチャーが生まれた“始まりの時代”、K-POP第1世代を取り上げます。
記事の後半では、当時の映像を改めて見て感じたことや今のアイドルと重ねて思うことなど……
個人的な視点での感想もまとめているので、興味がある方は続きをのぞいてみてください。
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K-POP前夜|ソテジワアイドゥルが切り拓いた時代
1992年、K-POPアイドルの原型とも言われるグループ「서태지와 아이들(ソテジワアイドゥル)」が、歌謡界に彗星のように現れました。
当時の韓国音楽界は、バラードやトロット(日本でいう演歌)が中心。
ヒップホップやR&B、ロック、ヘビーメタルといったジャンルで活動するアーティストは、ほとんどいませんでした。
そんな時代に登場したソテジワアイドゥルは、多彩なジャンルを融合させた音楽性と独自のスタイルで、強い存在感を放ちました。
また、ファッションでも若者たちに大きな影響を与え、「文化大統領」と呼ばれるほどの人気を集めていきます。
しかし、1996年には突然の解散を発表。
この出来事が、K-POP第1世代のアイドルたちが台頭する契機になったとも言われています。
ちなみにこの서태지와 아이들(ソテジワアイドゥル)には、現在の韓国4大芸能事務所のうちのひとつ、YGエンターテインメントの創始者で、現在は同社の総括プロデューサーを務めるヤン・ヒョンソクがいました。
YGエンターテインメントが、ヒップホップに強い事務所であることは、ヤン・ヒョンソクの影響と言えますね。
K-POP第1世代の活動時期と背景
1996年、SMエンターテインメントから「H.O.T(エイチオーティー)」がデビューしたことで、K-POPにおける“アイドルグループ”という存在が、明確な形を持ちはじめました。
H.O.Tは、音楽・ダンス・ビジュアル・ファッション・キャラクター性など、あらゆる要素を総合的にプロデュースされた初の存在であり、K-POPアイドルの原型とされるグループです。
そんなH.O.Tを生み出したのは、SMエンターテインメントの創業者、イ・スマンでした。
アメリカのボーイズグループや日本のアイドル文化を研究し、それを韓国の市場に合わせて再構築することで、新たなアイドル像を打ち出したと言われています。
10代の青少年をターゲットに、アイドルという存在の基礎を築いたイ・スマンは、その後もK-POPを代表する数々のグループを手がけていきました。
とりわけH.O.Tは、当時の若者から圧倒的な支持を集め、韓国国内にK-POPブームを巻き起こす存在に。
また、H.O.Tは韓国の歌手として初めて中国でアルバムを発売したグループでもあり、海外市場への展開を見据えた先駆者的な存在でもありました。
2022年12月16日、後輩グループにあたるNCT DREAMがH.O.Tの『Candy』をリリースし、話題をかっさらったのは記憶に新しいですね。
H.O.Tは、後輩世代にもカバーされる人気曲・有名曲をたくさん持つグループでもあります。
K-POP第1世代を代表するK-POPアイドル
SM:H.O.T、S.E.S.、神話(SHINHWA)、BoA
JYP:god、RAIN(ピ)
YG:JINUSEAN、1TYMなど、アイドルではなくヒップホップユニットが中心
DSP:Sechs Kies、Fin.K.L、Click-B
DRミュージック:Baby V.O.X
スター帝国:Jewelry
※BoA、Jewelry、Click-Bに関しては、K-POP第1.5世代とも言われる
K-POP第1世代の特徴とアイドルファン文化の形成
先に述べたように、H.O.Tの登場をきっかけに、現在のK-POPアイドル文化の原型が形づくられていきました。
ここからは、K-POP第1世代の頃に生まれた、K-POPの応援文化についてご紹介します。
🕺 ポジション文化

グループ内での明確な「ポジション」分けは、この時代に確立されました。
H.O.Tをはじめとする第1世代グループでは、メンバーごとにメインボーカル・メインラッパー・メインダンサーなどの役割が明確に決められており、こうした構造が後のK-POPアイドルの基本スタイルとなりました。
📣 K-POPならではの応援文化
K-POP独自の“応援文化”が生まれたのもこの頃です。
ファンクラブ制度を通じてファンダム文化が広がり、ファンはグループカラーのアイテムを身につけたり、パフォーマンス中に掛け声で応援したりといったスタイルが自然に定着していきました。
この時代の熱狂ぶりは、韓国ドラマ『応答せよ1997』でも描かれています。
🎫 アルバム購入やチケッティング文化の原点

インターネットも音源ストリーミングもなかった当時、ファンはCDショップに並んでアルバムを購入し、コンサートチケットは銀行の窓口で直接購入していました。
前日から行列を作ることも珍しくなかったようです。
これらの文化は形を変えながらも、今のK-POPシーンにしっかりと受け継がれています。
これらの応援方法は、どれも現在のK-POPにも色濃く引き継がれており、K-POPファン文化の“原点”は、まさにこの第1世代にあると言えるでしょう
K-POP第1世代の音楽・パフォーマンスの特徴
K-POP第1世代では、ヒップホップやR&B、ダンスミュージックの要素を取り入れたサウンドが主流でした。
ソテジワアイドゥルが生み出した“歌って踊るスタイル”は、H.O.T以降にデビューしたグループたちによって、“アイドルグループ”という形で確立されていきます。
パフォーマンスでは、現在のように複雑なフォーメーションを取り入れるのではなく、メンバー全員が同じ振付を揃えて踊るスタイルが中心でした。
今見ると素朴に感じる部分もありますが、当時は新鮮で、ステージ全体の一体感が観客を惹きつけていました。
アイドルがここまで若者の間で流行した理由を社会的背景から考える

K-POP第1世代が登場した1990年代後半から2000年代初頭の韓国は、大きな社会変化真っ只中にありました。
まず、1997年のアジア通貨危機によって経済は深刻な打撃を受け、失業や倒産が相次ぐ厳しい時代に突入。
そんな中、明るく華やかなアイドルたちは“現実を忘れさせてくれる存在”として多くの若者から支持を集めました。
また、軍事政権の終焉により民主化が進み、社会に自由な空気が広がったことも大きな要因と言えます。
若者は自分たちの感性や価値観を表現できるようになり、アメリカのヒップホップやストリートファッションを取り入れた新しい音楽スタイルが急速に広まりました(ソテジワアイドゥルが若者のファッションリーダー的存在になったのもこうしたことが背景にあります)。
さらに、インターネットの普及も追い風となり、ファンダム文化が急速に形成されていきます。
こうして、アイドルとファンをつなぐ新しいコミュニケーションの場が生まれたことで、K-POPは国民にとってより身近な存在となっていきました。
このように、K-POP第1世代のブームは、当時の社会的な変化と深く結びついていたといえるでしょう。
日本市場への進出と活躍

K-POP第1世代の一部アーティストは、早くから海外展開を視野に入れ、日本市場への進出を試みていました。
その先駆けとなったのが、1998年のS.E.S.の日本デビューです。
当時は「韓国のSPEED」と呼ばれることもあったようですが、本格的な成功にはつながりませんでした。
📝 memo
1998年、この頃日本で活躍していたアーティストは?
GLAY / L'Arc~en~Ciel / LUNA SEA:ロックバンドブームだった日本。特にGLAYは、この年にシングル「誘惑」「SOUL LOVE」を大ヒットさせ、国民的な人気を誇っていました。
SMAP:シングル『夜空ノムコウ』が社会現象になるほどの大ヒット。アイドルという枠を超え、多くの人々に愛される存在に。
SPEED:女性4人組のダンス&ボーカルグループ。圧倒的な歌唱力とダンスパフォーマンスで、若い世代から絶大な支持を集めていました。『my graduation』などのヒット曲を連発していた時代です。
KinKi Kids(現:DOMOTO):デビュー時からトップアイドルとして活躍。この年も『愛されるより 愛したい』などのヒット曲を出し、人気を不動のものに。
Every Little Thing:持田香織の歌声とポップなサウンドで、多くのリスナーを魅了。『Time goes by』は今でもカラオケの定番曲・
モーニング娘。: テレビ番組『ASAYAN』の企画から誕生し、この年にメジャーデビューしたグループ。ここから『ハロー!プロジェクト』が始まり、アイドル戦国時代の幕開けとなった。
そのほかにも、KiroroやMISIA、浜崎あゆみ(この年にデビュー)など、今も活躍するアーティストがたくさん出てきた時代でした。
一方で、2001年に日本デビューを果たしたBoAは、異なるアプローチで大きな成果を収めます。
BoAは、日本での活動に必要な日本語を、実践を通して習得していきました。
テレビ出演やインタビューをこなすうちに、日本語での受け答えにも自然と慣れていきます。
当時の日本では、韓国アーティストが日本で積極的に活動すること自体が一般的ではなかった時代。
ましてや他国から来た10代の若いソロ女性アーティストが日本語で歌い、バラエティにも出演して活躍するというスタイルは、前例のない挑戦でした。
こうした努力が、K-POPアーティストによる“現地化戦略”の先駆けとなり、その後の東方神起やBIGBANG、少女時代、KARAなどが日本で活動の幅を広げていく流れをつくっていきました。
さらに、BoAの日本デビューから2年後の2003年には、韓国ドラマ『冬のソナタ』が日本で爆発的なヒット。
これをきっかけに第一次韓流ブームが巻き起こり、日本国内でも韓国文化への関心が一気に高まりました。
こうして音楽やドラマ、ファッションなど、さまざまな分野で韓国カルチャーが注目されるようになり、K-POPが広く受け入れられていく流れが生まれていきます。
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💭 ここからは…

ここまでは、K-POP第1世代の動きや社会的な流れについて、客観的に振り返ってきました。
私は1994年生まれで、H.O.T.やS.E.S.といったK-POP第1世代の全盛期は詳しく知らない世代です。
それでもBoAが音楽番組で日本語の曲を歌っている姿や、その存在感は今でも印象に残っています。
K-POPをちゃんと知ったのは、東方神起やBIGBANG、少女時代、KARAが日本で活躍し始めた、K-POP第2世代の頃。
だからこそ、第1世代にはある種の“距離”を感じる一方で、今になって見えてきたこともあります。
こうしてK-POPの歴史をひもといていく中で、当時の空気や時代ごとの変化に目を向ける面白さを感じています。
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ここから先は、K-POPを長く追ってきたWEBライターとして、私なりの視点や思いを綴ったパートになります。
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K-POP第1世代に感じる“距離”、それでも今知る理由

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