女性に対する人権意識が低いこの国で「高齢女性は子ども産めない」と政治家に発言してほしくない~参政党の神谷氏の発言から女性差別を考える~
参政党の神谷代表の「高齢女性は子ども産めない」という発言が物議をかもしているとのニュースを見た、この発言について、20代で出産し、共働きで育てている1人の母親として私見を述べたい(ちなみに2人目までは産みたいと思っているが、現状今すぐは経済的&精神的に産めない)
色々と書いているうちに、結局何が言いたいのか、ブレブレなnoteになってしまったが、私の心からの叫びなので、ぜひぜひ読んでいただきたい。
どういう趣旨での発言だったのか
どういった趣旨の発言だったのか、元々の街頭演説を調べたたところ、下記動画の21:00~23:00あたりだと思うのだが、肝心の部分は機材トラブルなのか見れなくなっている
仕方ないので下記記事などを参照するに、このように発言していたようだ
「申し訳ないが高齢の女性は子どもが産めない。日本の人口を維持していこうと思ったら、若い女性に子どもを産みたいとか産んだほうが安心して暮らせるなという社会状況をつくらないといけない」
上記の発言だけを考えれば、言ってること自体は、間違ってはいないと思う。
「高齢」の定義によるが、50代、60代の女性が子どもを産むのはたしかに難しいと思う。
がしかし、厚生労働省の統計によると2023年に50歳以上で出産した人が100人いるらしいので、難しくはあるが、一概に「高齢女性は子ども産めない」とも言えない。
第4表母の年齢(5歳階級)・出生順位別にみた出生数 [180KB]
そして「若い女性」に子どもを産んでほしい、とことさら強調しているのは「日本の人口を維持していこうと思ったら」と述べていることからおそらく生涯3人以上産んでほしい、と考えての発言であろうこともわかる。
生涯3人以上産むなら若いうちから妊娠出産する必要がある、というのも間違ってはいない、3人以上産むなら少なくとも5~6年かかるからだ。
だが、私は「高齢女性は子ども産めない」よりも「子どもを産めるのも若い女性しかいない」という発言のほうが引っ掛かった。
わざわざ「若い女性」に限らず「何歳でもバンバン産んでほしいです!」といえばいいのではないか?
50代、60代の女性の出産が難しいのは事実だが、一方で出産においての「高齢」とは「35歳以上」と位置付けられている。
ではこの35歳以上の出産、いわゆる「高齢出産」がどのくらいの割合を占めるのかというと、直近2023年のデータを基にすると約30%が高齢出産である。
第4表母の年齢(5歳階級)・出生順位別にみた出生数 [180KB]
上記の表を、わかりやすく割合で示したのが以下である。
直近2023年における出生数は727288人だが、そのうち高齢出産に該当する母親の年齢層では(カッコ内は全体比)
35~39歳 173523(23.9%)
40~44歳 46020(6.3%)
45~49歳 1645(0.2%)
50歳以上 100(0.0%)
と、全部で22万1288人、30.4%。高齢出産の比率は1985年以降増加傾向にある。
3割の子どもが高齢出産で産まれるのだ、40代、50歳以上で出産する人たちもいる。この35歳以上の人たちが産まなければ日本の少子化はますます加速するだろう。この層を否定するような発言は政治家として正しくないと私は思う。
街頭演説の内容から、神谷氏が想定しているのは「25歳、28歳、31歳で出産して子どもが3人います」というようなモデルケースであり「31歳、34歳で出産して子どもが2人います」とか「38歳で出産して子どもが1人います」というようなケースは(日本の人口の維持を重視するなら)お呼びではない、という印象を受けた。
現在の日本の平均初産年齢は「31歳」である、となると前者のような子どもが3人いるモデルケースよりも、後者の子どもが1人または2人のケースのほうが現実的には多いのではないかと思うが、このような生き方は想定されていないのだろうか?
データを見れば今や35歳以上の出産が3割を占めているのだ、「若い女性」に限らず「何歳でもバンバン産んでほしいです!」といえばいいのではないか?
神谷氏が「若い女性」と言っているのは日本の人口維持を考えれば3人以上産んでほしいから、というのは理解したうえで、わざわざ「若いうちから3人以上を出産することを目指す社会」に限定せず「何歳でもバンバン産める社会」にすれば、結果的に3人以上産む人が増えるのではないか?という話だ。
若いうちから学ぶことも働くことも捨てて3人以上産むことを推奨される社会、嫌じゃないか?(少なくとも私は嫌だ)若いうちから学ぶ権利も働く権利もあるし、何人産むかは本人と配偶者の自由じゃないか?
あと、若い女性に3人以上産んでほしいんです!と妙に主張している男性、普通に怖い。女性だったらいいという話でもないが、実際3人産んだ女性が「若いうちから産んだ方がいい」といっているのとはワケが違う、実際産まない方の性別が「女性は若いうちから産め!」と言っているのは、女性からしたら嫌だし怖いと思うのだが私だけだろうか?
孤立出産した若い女性は支援してくれるのだろうか?
たとえばこんなケースは支援してくれるのだろうか?父親不明で出産した16歳の少女が、産まれた子どもを殺害した事件だ。
殺害した、というより、意図をもって殺害したわけではなく、孤立出産しどうしていいかわからないまま赤ちゃんが死んでしまった、が正しいだろうと私は思っている。新生児は何もしなければ死んでしまう、私も出産したときにその怖さを身をもって味わった。
長野県上田市の16歳の少女が、赤ちゃんの遺体を自宅に放置し遺棄していたとして逮捕された事件で、赤ちゃんは男の子だったことが分かりました。
死体遺棄の疑いで逮捕されたのは、上田市の16歳の無職の女です。
警察によりますと、少女は、3月上旬から4月5日までの間、上田市内の自宅に赤ちゃんの遺体を放置し、遺棄した疑いです。
(中略)
父親については、分かっていないということです。
自宅には家族が同居していたということで、警察は、赤ちゃんが死亡した経緯や放置した動機などを調べています。
若くでの妊娠出産にはこのようなケースもあるはずだ、結婚していて夫がいて頼れる両親がいて何も不満や不安なく出産できるケースだけではない、このケースは神谷氏のいう「若い女性」だ。
もし誰にも言えずに出産したとしても、どこかに預けられる仕組みがあればこのような悲しい結果にはならなかったかもしれない、このような立場の女性を救う仕組みを作るのも政治の責任ではないだろうか?
日本でも「こうのとりのゆりかご(熊本県)」「いのちのバスケット(東京都)」など、赤ちゃんを引き取ってくれる仕組みがあるが、行政ではなく病院や社会福祉法人が自主的に行っている取り組みである。
全国的にこの仕組みを導入するなら、たとえば警察署(110)や消防署(119)に電話すれば、電話一本ですぐ隊員がかけつけて理由を問わず子どもを引き取ってくれる、などはどうだろう。(海外では実際にそういう仕組みがあるらしい、と聞いたことがある)
そうすれば「若い女性」の出産自体は増えるのではないか?決して推奨しているわけではなくこれは皮肉である。なぜ、目の前の、すでに産まれた命や、助けられそうな母親を助けるセーフティネットを充実しようという考えにならないのだろうか?
神谷氏に限った話ではないが、政治家のいう少子化対策は妙に「出生数を増やす」ことだけにこだわっているように見える。そうではなく、産まれた命を救う仕組みを作ることも重要であり政治の責任ではないだろうか。
余談だが、個人的には10代の出産は推奨しないし、社会的に推奨する風潮になってほしくないと思っている。
法的に結婚していて夫となる人がいる10代ならまだしも、10代の妊娠出産はほとんどが「シングルマザー」だ。困窮することがわかっていて「女は10代から産んだほうがいい!」というのは無責任ではないだろうか。
「若年妊婦」「若年出産」という言葉をご存じだろうか。10代で妊娠・出産するケースのことだ。厚生労働省によると、2019年に産まれた赤ちゃんは86万5239人で、そのうち10代の女性が産んだのは7782人。この多くが結婚前で「予期しない出産」とみられ、シングルマザーになるなどして経済的に苦しむケースが多い。そういった女性たちに「公助」や「共助」は十分なのだろうか。中学3年の15歳で出産し、現在子育て中の女性(22)が自身の体験を打ち明けてくれた。【野村房代/統合デジタル取材センター】
また、10代の妊娠出産は身体的にも適していない。
実は、若年妊娠では20代の妊娠と比べて母子ともに健康リスクが高まります。10代は妊娠する機能は備わっていますが、お腹の中で子どもを育てる機能はまだ十分ではないのです。
具体的には次のようなリスクが考えられます。
・ホルモンバランスが安定しておらず、つわりが重くなりやすい
・骨盤が小さく、難産や帝王切開につながりやすい
・早産になりやすい
・低出生体重児(出生時2500g未満)の割合がほかの世代と比べて高い
・周産期死亡率がほかの世代と比べて高い
「妊娠は若ければ若いほどよい」というイメージがありますが、若すぎても母子ともにリスクが高まるのです。
また、何歳であろうと妊娠出産育児には精神的負担がかかる。個人的にはこの精神的負担が一番の問題で、これは10代には背負いきれない可能性が高いと思っている。
精神的負担を背負いきれなかった場合どうなるか?あってはならないことだが、母親が死ぬか、子どもを殺してしまうか、もしくはその両方だ。だから私は10代の妊娠出産には否定的で、それを推奨する風潮にもなってほしくないし推奨する男性には真っ向から異を唱えたい。母体のリスクを考えるなら、10代に背負わせるようなことでは全くなく、むしろ10代のうちは保護されるべきと考えているからだ。
参政党の創憲案を見るに「個人が幸福を追求した結果」ではなく「社会の存続のために」子どもを産みましょうと言っているように感じる
参政党を語るうえで外せないのが「創憲」だと個人的には思っている。
なぜかテレビやネットニュースなどでもさらっとしか触れられていないが、参政党はとにかく「創憲」を推している党だと私は感じている。「創憲」とは字の通り「新しい憲法を創ろう」という考えのことだが、個人的には参政党の創憲案には同意できない。
では、参政党の創憲案というのがどのような内容なのか、詳しくは下記で公開されているので、下記を参照いただきたい。
…が、憲法や法律なんて読んだことないからよくわからん!という人のために(私もそうである)
この方のnoteが非常にわかりやすく参考になるので、こちらの記事を読むことをおススメする。
さて、形式面だけでも公平に見えるように参政党の新日本憲法(構想案)の良いと思われる点を述べていったが、ぶっちゃけ私の腹の内はどうなのかといえば、この参政党の新日本憲法(構想案)をそのままの形では全く支持できそうにない。例えるなら「良家の生まれで品行方正なお嬢様でも中指立てて『この不燃ゴミがーッッッ!!!!』とシャウトしたくなる」程度には近代憲法と呼称するには欠陥があると言わざるを得ないのである。その理由を以下に渡って論じていくことにする。長くなるだろうが、とても大事なことなので出来れば読み飛ばさずにここだけでも読んで帰って欲しいものである。
この方のnoteの中でも触れられているように、参政党の考える新日本憲法(構想案)では「個人の尊重」が削除されて個人よりも国家のほうが重んじられている。
そして国民ではなく「国」が主権を持ちます、と定義されている。国民主権すら否定されているのだ。
実際、神谷氏の街頭演説でも「経済合理性や個人の自由だけを求めていたら社会が持ちません」と話していることから、個人の自由ではなく社会を重んじている考えだということがわかる。
たしかに「日本という国の存続」を考えるなら独身なんてもってのほか、もしも日本国民が全員独身で子どもがいなかったら国が滅びる、というのは理屈上はわからんではない。
だがしかし、だからといって「個人よりも国家を重んじましょう!」という考えにも私は全く同意できない。
神谷氏は、個人が個人の幸福を追求した結果として、子どもをたくさん産める社会にしましょう!とは言っていない。
3人以上子どもを産まないと人口が減少して社会が滅ぶから、社会の存続のために子どもをたくさん産める社会にしましょう、それを考えれば30歳以上の出産で1人や2人しか産まないような人ではなく、20代から出産して3人以上産む人を歓迎しますよ、と言っているようにしか私には聞こえない。
余談だが参政党は「日本人ファースト」を掲げているが、参政党の創憲案をみるに日本国籍を有しているだけでは参政党のいう「日本人」に当てはまらない可能性すらある。
なぜなら参政党の創憲案の第二章第五条で「国民の要件は、父または母が日本人であり、日本語を母国語とし、日本を大切にする心を有することを基準として、法律で定める」とあるからだ。
これについて、私もこの方と同じ疑問を持った。
まず考えられるのは、何を以て「日本を大切にする心を有する」と認定するのだろうか。「父または母が日本人であり、日本語を母国語とし」ていても、「日本を大切にする心」を有していないとみなされればそれは日本人ではないということになるのだろうが、一体何を以て「日本を大切にする心」と判断されることになるのだろうか。
(中略)
そもそも、仮に「日本を大切にする心」を測定ないし認定する方法が確立されたとして、実際に国がそれを実行しようとするのは思想・良心の自由との兼ね合いで問題となる。これは江戸時代に隠れキリシタンを弾圧するために行われた「踏み絵」を令和の世に実施することと同じ事と言えば、いかに時代錯誤なことをしようとしているか分かるだろうか。
つまり、参政党の創憲案によれば、
父および母が日本人ではない(=日本を大切にする心を有していない)のであれば、本人が日本を大切にする心を有していて日本語が母国語でも日本人として認められない可能性があるし、
本人が「日本を大切にする心」を有していない場合も当然ながら日本人として認められない可能性がある。
そして何を持って「日本を大切にする心」を有しているとするのかの定義は不明である。もしかすると参政党を批判をしただけで「日本を大切にする心」を有していないと判断される可能性だってある。
このような考えの政党がいう「日本人ファースト」とは?
これに賛同している人は、なぜ自分がその「日本人」の定義に当然含まれると無邪気に思っているのだろうか?
というのが私の素直な感想である。
参政党の創憲案についてはこちらの記事も参考になる、こちらの方の最後の文章もとてもいいなぁと思ったので引用したい。
文中で何度も述べた通り、憲法を制定する権力は私たち国民にあります。仮に参政党が改憲に必要な議席を確保した場合、この憲法草案をもとに改憲の議論が行われることになると思いますが、実際にこの憲法案が発議された場合、私たちが国民投票を通してこの憲法を制定するかが問われます。
文中では政策論的な話も含まれていますが、大部分はそれとは独立した、「法学」という観点からの問題提起です。私たちが何気なく暮らすこの国は、文中で述べた様々な法学的議論の上に成り立っています。現行憲法の公布から79年を迎える今、時代に即した憲法のありかたを探ることは喫緊の課題ですが、そのような改憲の要請をもってしても、近代立憲主義の国家として絶対に変えてはならない部分があります。憲法を作る権力を持つ者として、憲法の条文一つひとつにどのような意味が込められているのか、そして憲法はどうあるべきかについて、ぜひ自分事として考えてみてください。
このnoteがそれを考えるにあたっての一助となれば幸いです。
「若い女性」に限らず「若い男性」も支援すべきでは?
参政党の神谷氏は妙に「若い女性が安心して産める社会を」と主張しているように思うが、個人的には「その若い女性を養うべき立場にいる若い男性は?」と思っている。妊娠出産すれば物理的に女性は働けない、保育園に入れたとしても、子どもが熱を出したりケガをしたりして呼び出されて思うようには働けない、だから夫の収入に頼らざるを得ないのだ。
だから、べつに「若い女性」に限定して言わなくてもいいのではないか、という話だ。つまり「若い世代が安心して子育てできる社会を作ります、初任給を30万円にします、若いうちから結婚して妻子を養える環境を作ります」とかでもいいのではないか?と思うのだ。
「若い女性」を養うであろう「若い男性」への支援はどう考えているのだろうか?まさか10代、20代の女性と結婚する男性の年齢が40代、50代を想定しているなんてことはないだろうな?
これはうがった考えかもしれないが、この神谷氏の主張のせいで「10代~20代前半と結婚したい40代、50代の男性」たちがそうだそうだー!と鼻息を荒くしそうなのが個人的にはとても嫌だ。
神谷氏はまだ政治的主張から述べているかもしれないが、SNSなどでこの意見に賛同する男性たちの中にはひどい女性蔑視から攻撃的に「ほら女は若いほうがいい!だから若いうちから結婚して妊娠出産育児しろ!」とすら主張する人が少なくないのではないかと思う。
若い女性には学ぶ権利も、働く権利も、結婚する権利もしない権利もあるにもかかわらずだ、どストレートな人権侵害だと思う。
私は、これは日本全体の女性に対する人権意識の低さの表れだと思っていて、こういう意見がでてくること、そしてこういう意見がそれなりに認められてしまうことこそ自体が悪だと思っているから、政治家に「高齢女性は子ども産めない」「子どもを産めるのも若い女性しかいない」などと発言してほしくないのだ。
それに神谷氏の主張はどうも「女性」ばかりどうにかしようとしているように感じる、「男性」への支援は?「女性」ばかりやり玉にあげていないか?というのも懸念の一つだ。
そもそもこの主張、誰に刺さっているのか?
そもそも、この主張は誰に刺さっているのだろうか?こう主張するのなら「若い女性」がこの意見に賛同しなければ実現できない、同意してないのに子供を産む人生だけを強制的に選ばされるのは人権侵害である、昭和ならいざ知らず、今は令和だ、そんなのおかしい、と思う人が多いだろう。
まさか「若い女性」の同意も人権も無視して、「理論上は」正しい、だから若い女性は働きも学びもせず結婚して子供を産むべきだ、とでもいうのだろうか?
私個人としては、この主張を支持しているのは「18~25歳と結婚したい独身の男性」か「すでに出産を経験して妊娠出産育児の大変さを身をもって知っている、まさに参政党が「支援しますよ」と言っている立場にいる経産婦の女性」だ。
「これから母になる女性」には刺さっていない、というか私が女子高生だったら「ウチらが産まれる前からの問題なのに、そのケツをウチらに拭かせてんのヤバすぎて草」くらい言ってただろう。
個人的には神谷氏の主張は「女性は若いうちから結婚した方がいいという風潮に持っていって若い女性を(半ば暗示のように自主的に)結婚させようとしている」ように感じる。
どうにも神谷氏の主張を聞いていると「男女平等を謳い女性の権利を認めすぎてしまったから、価値観を昭和に戻して女性が結婚しないと生きていけない社会にしよう、そのほうが出生率が上がるだろう」というように考えているかのように思えてしまうのだ。
だが、日本は「女子差別撤廃条約」に批准している。今さら昭和に逆戻りするような流れには、社会的にも、法律的にも、認められないだろう。
神谷氏は演説の中で「今まで間違えたんですよ、男女共同参画社会とか」とすら言っている、男女平等を否定し女性差別を推進しているように私には思えてしまう。
しかし、法律上、女性から勤労や教育の権利を奪い妊娠出産育児を強制させることはできない。だから女性側のマインドを「若いうちから結婚して3人子どもを産んだほうがいいよね」に印象操作しようとしていないか?世の中の風潮をそういう風に持っていこうとしていないか?と私は疑っているのだ。
実際産む立場にいる「若い女性」が、神谷氏の意見に対して「なんか怖い、いやだ」と思うのは、その人自身の当然の権利だ。自分の体のことなんだから、怖い、いやだと感じたのならそれ以上何も強制することはできない。
しかし、政治の立場にいる人が安易に「高齢女性は子ども産めない」「子どもを産めるのも若い女性しかいない」などと発言してしまったがために、女性の「怖い、いやだ」に対して「何言ってんだ、理論上正しいんだからこの考えに従うべきだ!」と言い出す男性が、出てきかねないのが私はすごく怖いと思っている。
妊娠出産の強制など誰にもできないはずだが、神谷氏はそんな世の中を目指しているのだろうか?だとしたら、私は絶対に嫌だと思っている。
この国では【女性の人権を無視さえすれば】成り立つ論法は受け入れられやすい
そもそも、この国では【女性の人権を無視さえすれば】成り立つ論法は受け入れられやすい、そりゃそうだ、無いものとして考えてるんだから。そもそも女性に対する人権意識が低いのだ、だから「女性が若いうちから働かず学びもせず子どもをたくさん産めば少子化解決!」というどストレート人権侵害の主張がなぜか妙に認められてしまう。
でも実際は、言うまでもないが、女性にも人権はある。好きなことを学ぶ権利も、産む権利も産まない権利も、結婚する権利もしない権利も、結婚しようがしまいが出産しようがしまいが仕事を続けたいなら働く権利もある。
それを無視した主張は人権侵害だ。もう今の時代に許してはならない。というか、この国の「女性に対する人権意識の低さ」を改善しなければ日本はいつまでたっても少子化もGDPも改善されない。個人的にはそれくらい根本的な問題だと思っている。
女性が産まないのは少子化の【原因】ではなく【結果】である
実は「女性が産まないのは少子化の【原因】ではなく【結果】」だ。これはすべての政治家に対して声を大にして言いたい、政治家は「少子化なのは女性が子供を産まないから」だと思っている、その認識の人たちが政策を考えているのであれば、むしろ少子化の一途をたどるのが正しいとすら言えるだろう。
違う、まったくもって違う、そもそも女性が子供を産まないのは「原因」ではなく「結果」なのだ、「女性が子供を産まないから」が原因だと思っている限り「どうやって女性に子供を産ませたらいいだろう?」という考えから抜け出せない。
ちょっと話がそれるが、そもそも「女性に子どもを産ませる」という表現になること自体がよくないと思っている。「~せる・~させる」は強制や指示の言い方だからだ。
これに対し「いやそりゃ男は産まないんだから、男からしたら『産ませる』になるのは仕方ないだろ?」と思うのなら、その通りだ。
男性は産まないのだから「どうやって女性に子どもを産ませようか?」などと考えてはいけない、その考え自体が「出産の強制」であり人権侵害だからだ。
せめて「女性が子どもを産むには?子どもを産みたくなるには?」と考えるべきだ。使役ではなく「自発」の表現を使うべきだと私は思っている。
話を戻そう、少子化対策を考えるなら「どうやったら女性が子どもを産むんだろう?」ではなく、
「なぜ女性が子どもを産まないのか?」を考えるべきだ。
そして私は、「なぜ女性が子どもを産まないか」の原因は「日本全体にある根強い男尊女卑」だと思っている。
子どもを産んだら、その時点で、少なくとも3年は自分を犠牲にすることが確定しているからだ。そしてその「犠牲」になるのは圧倒的に母親のほうに比率が偏っているからだ。
子どもを産んだ立場から言えば、子どもはかわいい、正直私の体力と経済力と精神的なキャパが許すのであれば3人以上ほしいが、現実には無理だ、2人が限界だろう。
なぜか?「子どもはかわいい」という理由だけで飲み込める理不尽の量には限界があるからだ。子どもはかわいいが、それと引き換えに自分を犠牲にするには結構しんどいのだ。いやこれ本当にマジで。まぁここのキャパシティは人にもよるのだが、産後や育児中はうつになりやすいことからも決して楽ではないことが窺える。
妊娠出産育児に関する理不尽とは何か、例えば
妊娠出産育児のために仕事は休まざるをえずキャリアが断絶される、保育園に入れた後もちょいちょい呼び出される、2人、3人と産むならそのたびに仕事は休んで育児に専念しなければならない
産休に入るまでは仕事も通常通り働かなければならないが、妊娠により体が重い&ホルモンの影響でメンタル不調&人によってはつわりなどの体調不良&ホルモンの影響で妙に眠い
妊娠中や授乳中はお酒、たばこはNG、生ハム、お寿司などの生ものも食べれない
妊娠中は行動が制限される、妊娠後期になればなるほど外出できない、もし推しのライブが開催されたとしても我慢しなければならない
出産時は強烈な分娩の痛みに耐えなければならない、無痛分娩などもあるが無痛分娩も完全に無痛なわけではないし麻酔代として+10万円ほど追加でかかる
新生児は3時間おきに授乳しなければならず眠れない
新生児は吐き戻しやうつぶせ寝での窒息の危険などもあり、常に気を張っている
子どもの夜泣きが激しくて眠れない
昼夜問わず泣いてなかなか泣き止まない
子どもを連れてのお出かけは大変なので家にこもりがちになり、育児中は孤独を感じやすくなる
…などだ。でもこれらは「子どもを産んだのなら当然のこと、仕方ない」と思って受け止めている人が多いと思う。私もそうだ、私一人が大変なわけではない、それに自分が欲しくて産んだんだから、と思ってある程度のことは受け止められる。
だがしかしここに、
夫が育児に協力してくれない
子どもの夜泣きがひどいから一晩だけでも代わって眠らせてほしいのに代わってくれない
なんならそんなのぜんぶ母親がやって当然だろといわれる
俺は働いてるんだから休ませろ、と育児を下に見ているような発言をされる
などの理不尽が加わったら?
せめて感謝してもらえたら、一言「大丈夫?」と気遣ってもらえたら頑張れることだってあるはずなのに、それがないから追いつめられる母親が、どれだけいるだろうか。
私が言いたいのは「妊娠出産育児は大変なんだから母親を大切にしてよ!!!」ではない。夫婦ならお互いにリスペクトを持つべきだし、リスペクトをもって接してもらえたらもっと頑張れる、という話だ。
私は、妊娠出産の大変さを軽視したり、育児を仕事よりも下に見ていることの根底には、日本全体に蔓延る「女性蔑視」「男尊女卑」が関係しているのではないかと思っている。あと「母性愛神話(母親神話)」というのも関係していると思うが、最近はこの「母性愛神話(母親神話)」も否定され薄れてきていると感じていて、とてもいいことだと思っている。
私の夫はすごく育児に協力的だ。協力的、というより、育児を自分ごととして考え、私ひとりに押し付けようとはしなかった。夫は「夫婦二人の子ども」として子どもに向き合ってくれていると感じる。だから私はこの人となら二人目もほしいと考えている。
男性の中には、妻がしんどいことはわかっているのに、育児をして妻を助けなければと思っているのに、仕事が忙しくて早く帰れない人もいると思う、本当に大変だと思う。
個人的には、育休中も額面の(ここ重要、手取りではなく額面なので案外もらえる)67%はお金がもらえるので(半年経過後は50%)できれば3か月は夫も育休をとったほうがいいのではないかと思っている。もちろん育休が取れない(権利なので育休が取れないとしたらそれは会社が悪いのだが)状況の夫もいるかもしれないが、まずはお金やキャリアより目の前の妻を大事にできたらと思う。
もう時代は令和なのだ、夫婦間でも、社会全体でも、お互いがお互いを思いやって生きるべきだ。意味のない男尊女卑はやめよう、無意識のうちに女性を下に見ても何にもならない、男女の分断が進んだり、生産性が悪くなったりするだけだ。
これは何も家庭に限った話ではない。仕事の場面でも同じだ。意味のない男尊女卑は、社会全体でやめていくべきだ。
少子化対策とは、単純に「合計特殊出生率」の逆を計算することではない
男性たちの意見を見ていると、どうやら少子化対策について単純に「合計特殊出生率の逆算」をやってる人が多い、政治家ですらそのレベルだと感じる。
「合計特殊出生率」とは、
合計特殊出生率(ごうけいとくしゅしゅっしょうりつ、英: Total fertility rate、略称: TFR)とは、一人の女性が一生の間に出産する子供の人数[1]。15~49歳までの全女性の年齢別出生率を合計した人口統計の指標[2]。
である。1人の女性が生涯何人産むかを表した指標だが、これはどう計算されているのかというと、
合計特殊出生率(TFR)=(母の年齢別出生数 / 該当年齢日本人女子人口)の15歳から49歳の合計
だ。上記は簡単に計算式として表したもので、詳しくは2014年の下記ブログがとてもわかりやすかったので下記を参照していただきたい
では、この計算式を見て、合計特殊出生率を増やしたい(=人口を増やしたい)、としたとき、どこを増やしたらいいだろうか?
合計特殊出生率(TFR)=(母の年齢別出生数 / 該当年齢日本人女子人口)の15歳から49歳の合計
答えは簡単だ、右が割り算なのだから割られる数、「母の年齢別出生数」を増やせばいい。というか、そこしか増やせない。
だから「母の年齢別出生数を増やすには…そうか、10代の出生数が少ないから、10代の妊娠出産を増やせばいいんだ!そのほうが理にかなってる!」と考える男性や政治家が、少なくないと思っている。私からしたら「そんなわけあるか!!!!!」だ。
…これが、一部男性や政治家が考える「少子化対策」だ、実際数式に表すとしたらこうならざるを得ないのはわかるが、実際の妊娠出産はこう単純なものではない。
私は決して女性の代表ではないが、ではいち母親の私が個人的に考える少子化対策とは何かというと、
1人の女性が生涯出産できる子どもの人数には、実際にはいろんな要素が関係するのでその要素をなるべく解消すべきと考えている。
マクロでいうと「合計特殊出生率」という計算になるのかもしれないが、実はもっと個人レベルのミクロな計算だ、「自分が何人産めるか?」を実際考えるとするなら、
一人の女性が生涯出産する子どもの人数=産みたい子どもの数×(自分の体力とメンタルが妊娠出産育児に耐えられるか+自分に持病などはないか、もしあったら妊娠出産時に対応してくれる病院が近くにあるか+夫と自分の収入+育児の際に頼れる人(両親など)が近くにいるか+夫が育児に協力してくれるか+もし育児で限界になったときに頼れる公的なサービスはあるか+近くに公園はあるか+近くに保育園はあるか+近くに子供を連れて買い物に行ける場所はあるか+なければ生協やネットスーパーはあるか+子どもを育てられるだけのスペースがある家に住んでいるか+車は持っているか+車がなければ購入できるか、購入できないなら自転車や公共交通機関で子どもを連れて移動可能かetc…)
私がイメージする数式はこんな感じだ、というか数式ですらない、数式っぽい形にするならこうなると思うが、実際は「自分が何人産めるか?」を式として表すのは難しい。(便宜上かっこの中を足し算としている、かっこの中が1に近づくほど良い、みたいな感じだ)
とりあえずこの式が数式として正しいかどうかはおいておき(というか数式としては正しくないだろう)2つの式を並べてみよう。
合計特殊出生率(TFR)=(母の年齢別出生数 / 該当年齢日本人女子人口)の15歳から49歳の合計
一人の女性が生涯出産する子どもの人数=産みたい子どもの数×(自分の体力とメンタルが妊娠出産育児に耐えられるか+自分に持病などはないか、もしあったら妊娠出産時に対応してくれる病院が近くにあるか+夫と自分の収入+育児の際に頼れる人(両親など)が近くにいるか+夫が育児に協力してくれるか+もし育児で限界になったときに頼れる公的なサービスはあるか+近くに公園はあるか+近くに保育園はあるか+近くに子供を連れて買い物に行ける場所はあるか+なければ生協やネットスーパーはあるか+子どもを育てられるだけのスペースがある家に住んでいるか+車は持っているか+車がなければ購入できるか、購入できないなら自転車や公共交通機関で子どもを連れて移動可能かetc…)
同じ「一人の女性が生涯出産する子どもの人数」を表した式だとしても、上の式のように考えるのと、下の式のように考えるのでは、見えてくる考えが違うのではないだろうか?
特に下の式を見ていれば「女性が産まないのは原因ではなく結果」だというのもわかっていただけるのではないかと思う。産んで育てるにはこれだけの、いや、これ以上の要素が関係してくるのだ。
ぜひ、ぜひぜひぜひ、政治家の皆さんには下の式のように考えていただきたい!!!!!(切実な叫び)
そして、この下の式に加えて、育児には精神的負担もある。この精神的負担を軽減するのには、先に述べたように「男尊女卑の解消」が重要だと思う。
あとこれは全く関係ない個人的なつぶやきだが、子育てしていると近くにららぽーととかイオンモールとかめちゃくちゃほしい、歩いて行ける範囲にあったらいいのになぁ~~~といつも思っている。
世の中の母親と子どもは少子化対策のための数字じゃない
当然のことながら、世の中の母親と子どもは少子化対策のための数字ではなく、人権を持った一人ひとりの人間である。
私と夫の間に子どもがいるのは、私と夫が個人として幸福を追求したからだ。
夫婦ふたりでも不満はないけれど、子どもがいればもっと楽しくなるだろうと思ったからだ。
決して「この日本社会が心配だ…よし、少子化を食い止めるために子どもを産みましょう!」などと思って産んだわけじゃない。
むしろ子どもを大事に思うなら「GDPの伸びは悪いし物価高、給料安いし、男尊女卑は根強いし、税金高いし、年金だってどうなるか…こんな国で子どもを産んでも、子どもたちが幸せになれないよね…」と思って産まないを選択する人だっているんじゃないかと思う
誰に頼まれて産んだわけじゃない、私と夫が欲しいから産んだんだ。だから私は「子どもを産んだから偉い!」とは思わない。社会のためでもお国のためでもない。私と夫が、個人として幸福を追求した結果、子どもがいるのだ。
だが、参政党の神谷代表の主張はまるで「個人が幸福を追求するのではなく、社会全体を考えてお国のために産もうと思ってくれる女性を優遇しますよ」と言ってるように感じる。
個人が幸福を追求した結果「私は独身がいいや」と思っているケースはお呼びじゃない、2人以下しか産まない女性や、いろんな事情で産めない女性、結婚しません産みませんという選択をする女性の権利は蔑ろにしていると思ったのが、街頭演説と創憲案を見ての印象だ。
まぁ「保守派」だからそういう考えなのは当然なのかもしれないが。(いや逆に、こういう考えのことを「保守派」と呼ぶのか?言い方が逆だったら申し訳ない)
この国に蔓延する「女性に対する人権意識の低さ」「女性蔑視」が浮き彫りになっているのではないか?
私はこれは形を変えた女性蔑視だと思う。結局女性をいち個人として見ていない、ただただ「国の人口を増やすための産む機械としての頭数」としてしかカウントしていないからこその考えだと感じる。言い方を変えただけの「産む機械」扱いだ。
「産む機械」であれば丁重に扱うようだが、そうではない女性はいったいどうなるのだろうか?私は神谷氏の考えは、すごく危ないし怖い考えだと感じた。
それなのに、なぜだかこの主張に賛同する人が多い。私はそれもとても怖い。私は子どもを産んだが、だからといって産む機械として丁重に扱われたいなどと思わない、誰もがいち個人として大事にされるべき存在で、そもそも誰もが「基本的人権」を持っているのだから侵害する権利など誰にもない。この辺りを、参政党に所属する女性党員はどう思ってるのだろうか?
つまり、この国に蔓延する「女性に対する人権意識の低さ」や「女性蔑視」が浮き彫りになっているのではないか?
それは女性自身もそうだ、女性たちは無意識に立場が低い場所に置かれていて、それに気づいていない。これが当然だと思って受け入れている。あるいは気づいていても諦めている人もいるかもしれない。
だから、この差別から抜け出すために、子どもを産めば「子どもを産んでいない女性」よりかは真っ当に扱いますよ、名誉女性になれますよ、となれば、それに賛同する女性も(特に産んだ女性ならなおさら)多いのではないか?と私は思うのだ。
結局それは新たな女性差別を産むだけだ、女の中に「子どもを産んだ女」と「子どもを産まない女」という2種類の女を作って、後者を迫害して、後者が嫌なら前者になれと脅してるだけだ。
私はそんな世の中は嫌だ、どんな女性でも、男性でも、老いも若きも等しく尊重されるべきだ、そもそも現在の日本国憲法で「基本的人権」は無条件で誰にでも保障されている、それなのに、どうしてこの国では「女性」の人権は無視され蔑ろにされ、そして無視され蔑ろにされていることが問題視されないのだろうか。
どうやら、私と同じように考えている女性もいるらしく、神谷氏の一連の発言に関してデモなども行われているようだ。
デモは新日本婦人の会北海道本部などが開催。参加者は神谷代表の発言について「女性の生殖機能を国家の道具かのごとく考え、女性の価値を(子どもを)産むか産まないかで差をつける発想」と批判。道行く人に「これ以上ジェンダーバイアスを強化していったら、少子化はさらに進む」などと訴えた。【片野裕之】
私はこれはいい流れだと思う、昭和に逆戻りなんかしたくない、女性差別を許さない世の中になっていくべきだ。
神谷氏の発言からいろいろ自分なりに考えてみて、私はこれは根深い問題だと感じている、この国の、女性に対する人権意識の低さを、お願いだから改革してほしい。女性蔑視がなくなればこの国はもっとよりよくなるのではないだろうか。
未来を生きていく子どもたちが安心して暮らせる社会になることを、いち母親として心から願っている。
