【心の避難所シリーズ】 お風呂というやすらぎ処 湯けむりに包まれる小さな再生の時間
■小学生のころから続く“湯との縁”
私にとって、お風呂はただの生活習慣ではなく、大切な時間であり居場所だ。
思い返せば小学生のころ、友達を誘っては近所の銭湯に出かけていた。湯気の中で交わす何気ない会話や、湯船から上がった後のコーヒー牛乳の味。あの頃からすでに「風呂」という場所は、私にとって心の避難所だったのだと思う。
当時の銭湯には、番台のおばちゃんがいて、壁には富士山のペンキ絵。木桶の香りと石けんの匂いが混ざった空気。湯気の向こうに映る大人たちの笑顔とざっくばらんな会話。湯は地域の情報交換の場であり、子どもながらに「大人の世界」を垣間見た瞬間でもあった。
*あなたは子どものころ、どんな“湯の記憶”を持っていますか?
■20代、スーパー銭湯ブームと共に
車を運転するようになってから、風呂との付き合いはさらに自由になった。
日帰り温泉、スーパー銭湯。仕事帰りに一人でふらりと立ち寄ったり、休日に友人と湯に浸かって長話をしたり。肩まで湯に沈めば、体の芯から軽くなるのを感じた。
ちょうど私が20代の頃はスーパー銭湯ブームの幕開け。
露天風呂で星空を眺めながら「また明日から頑張ろう」と思えた夜もある。どんな時も「風呂」は私を再生させてくれる装置だった。
■“今”の風呂事情 順番の最後に待つ冷めた湯
話を現在に戻そう。
今の私にとって風呂は「贅沢」であり「我慢」でもある。
なぜなら、私の風呂時間は一日の最後、家族全員が入った後だからだ。
まず父の介助をし、そのあと母。その次に娘、妻、そしてようやく私。
だが、我が家の風呂は追い炊き機能がない。床は昔ながらの石タイルで、冬場などあっという間に湯が冷めてしまう。
冬こそゆっくり温まりたいのに、いざ浸かる頃にはぬるま湯。
それでも肩まで浸かると、ほんのひととき「あぁ、生き返る」という感覚が訪れる。
この一瞬の安堵のために、一日の最後まで踏ん張れるのだ。
■窓から見える空が教えてくれるもの
うちの風呂には小さな窓がある。
そこから見えるのはほんのわずかな空だが、私には十分だ。
湯に浸かり、空を眺めながら、ただぼーっとする。
本を読むわけでも、音楽を聴くわけでもない。
ただ視線を空へ投げ、心を空っぽにしていく。
その時間は、日々の介護や雑事に覆われている自分を解放する小さな避難所だ。
短い時間でも、私にとっては大きな救いになる。
*あなたにとって“空を見上げる時間”はありますか?
■五感で覚えている風呂の記憶
お湯が石タイルを打つ微かな音、
木桶に残る石けんのぬくもり、
夜風と湯けむりが入り混じった独特の匂い。
湯船につかるわずか十数分の間に、心と体は驚くほどリセットされる。
この五感の記憶は、どんな高級なスパよりも、私にとって確かな贅沢だ。
■またいつか“湯に身を委ねる日”を夢見て
正直に言えば、今は「風呂での安らぎ」を堪能できているとは言い難い。
介助や順番待ち、冷めた湯、慌ただしい日々。
それでも私は夢見ている。
いつか再び、ゆっくりと湯に身を委ねられる日を。
空を見ながら「ただ生きている」ことに感謝できる時間を。
その日が来ることを信じて、今日もまた一日を過ごしていく。
■風呂が持つ普遍的な力
お風呂は単なる清潔のための空間ではない。
日本では古来から心身を浄める場として人々の暮らしに息づいてきた。
湯に浸かることで体温が上がり、副交感神経が優位になり、自然と気持ちがほぐれていく。
科学的にも「お風呂はストレスを和らげ、睡眠を深める」と証明されている。
忙しい日々こそ、湯けむりは小さな再生の時間を与えてくれる。
*あなたの暮らしの中に、心と体を同時にあたためる習慣はありますか?
■おわりに 読者へのひと言
湯船に浸かると、どんな一日も一度ゼロに戻る。
そこからまた、明日に向かう小さな力が湧いてくる。
私にとって風呂は、これからも心の避難所であり続けるだろう。
あなたにとっての湯は、どんな時間だろうか。
もし今日、少しだけ湯を味わう余裕があれば
そのひとときが、明日の自分をきっと支えてくれるはずだ。
ロスジェネ氷河期第一世代よ、他の世代の共感者たちよ
誰でも、きっと再生は出来る
挫けそうな時、つかれ果てた時、絶望した時
どんなときでも再生する場所
心の避難所が、あなたにもきっとある
今日もまた忙し日常が始まる
👉 風呂は、単なる清潔のためではなく“心を生き返らせる場所”。
忙しい日々の中でこそ、その意味を思い出したい。
(※以前のNOTEにお風呂について書いたので、興味ある方はぜひ覗いてみてほしい。)
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