家族を守りながら、自分が静かに壊れていく 50代が“防波堤”になるという現実
介護と家族と、自分という境界線のあいだで削られながら立ち続ける、五十代の覚悟
両親のインフルエンザとコロナワクチンが終わった
ひとまず、胸をなで下ろす。
次は帯状疱疹ワクチン。
病院の予定をカレンダーに書き込みながら、「とりあえず、ここまでは」と小さく呟く。
父の容体は、今のところ安定している。
"安定"という言葉ほど、脆く危ういものもない。
胸の奥で、何かが静かに軋んだ。
それは安堵でもあり、恐怖でもあり、そしてほんの少しの諦念だった。
カテーテルの詰まりが増えた
浮遊物が多く、月一だった交換も、今は二週間サイクルになった。
洗浄はその合間の一週間。
感染リスクを考えれば、どこかで妥協しなければならない現実がある。
それでも、やる。
やらなければ、父が苦しむ。
ただそれだけの理由で、私はこの作業を続けている。
余命一年の宣告から、もうすぐ二年。
"想定外の時間"を生き延びている。
それは喜びであり、同時に、家族全員がすり減っていく時間でもある。
延びた命を喜ぶべきなのか、終わらない介護に疲弊していく自分を責めるべきなのか。
その狭間で、私はただ黙って手を動かし続けている。

母は、悪い方へ進んでいる
もともと短気な性格が、認知症によってさらに増幅された。
どんなに柔らかく伝えても、怒りに変わる。
「そんな言い方しなくても」と思いながらも、受け止めるしかない。
怒りの矛先が、家の中を巡る。
私、妻、娘 誰も逃れられない。
ひとりが崩れると、連鎖のように、心が崩れていく。
これが、家族というものの脆さだ。
一本の糸で繋がった、張り詰めた均衡。
誰か一人でも倒れれば、すべてが崩壊する。
娘は思春期
発達障害もあり、感情の波が激しい。
母の怒りとぶつかると、その衝突は簡単には収まらない。
火種は日常のどこにでも潜んでいる。
きっかけは小さな言葉。
でも一度燃え上がると、家中の空気が張りつめる。
私は、そのすべてを受け止める防波堤になる。
そう決めている。
怒りも、悲しみも、戸惑いも、できる限り、自分の方へ流していく。
それが一番、楽だから。
誰かが壊れるくらいなら、自分が削れていく方がまだいい。
妻には言えない。
娘にも言えない。
母にも、父にも、言えない。
だから、私がすべてを飲み込む。
それが、家族を守るということだ。

妻の入院手術が近い
本人も限界ギリギリで立っている。
気丈に見えるその姿の裏で、何度も小さく息を詰めているのを知っている。
3日前は体調が悪くほぼ寝ていた。
入院とは関係ない頭痛が酷くてだが、それでもケアは必要だ。
家庭という船を保つために、私は舵を離せない。
たとえ波が荒れても、沈ませるわけにはいかない。
今、何よりも優先すべきは父の穏やかな日々。
それだけは、絶対に守りたい。
かつて父とは確執もあった
ぶつかり、離れ、長い間、言葉を交わさなかった。
けれど今はもう、そんな時間すら惜しい。
過去を責めている余裕はない。
残された時間の中で、できる限り穏やかに生きてもらう。
そのために、私は"防波堤"になる。
怒りを止め、不安を吸い取り、家族を支える。
それが今の、私の役割だ。
誰も頼んでいない。
誰も強制していない。
でも、誰かがやらなければならない。
だから、私がやる。
夜、洗面台の鏡に映る自分を見る
疲れが顔に滲む。
けれど、どこかで覚悟が固まっている自分がいる。
生きるとは、"削られていくこと"でもあるのだろう。
その削れた分だけ、人は他人の痛みに寄り添えるようになる。
若い頃の自分なら、こんな生き方を理解できなかっただろう。
「なぜ自分を犠牲にするのか」と問うただろう。
でも今は、わかる。
犠牲ではない。
これが、愛の形なのだと。
だから、今日もまた防波堤に立つ
だから、今日もまた防波堤に立つ。
波が荒れても、心が揺れても、この場所から離れるつもりはない。
まだ、守るものがあるから。

父の穏やかな寝息。
母の、時折見せる笑顔。
娘の、少しずつ成長していく姿。
妻の、必死に支えようとする背中。
それらすべてを守るために、私は立っている。
誰かを守るということ
誰かを守るということは、自分が静かに壊れていくことでもある。
けれど、その壊れ方の中に、人の強さは宿る。
防波堤は、波に打たれ続ける。
削られ、傷つき、いつか崩れる日が来るかもしれない。
それでも、今日は立っている。
明日も、きっと立っているだろう。
その先も、守るべきものがある限り。
これは、敗北の記録ではない
戦い続ける者の、静かな誇りの記録だ。
介護は、誰も褒めてくれない。
感謝の言葉もない日がある。
むしろ、怒りをぶつけられる日の方が多い。
それでも、私は立ち続ける。
なぜなら、これが私の生き方だから。

逃げることもできた。
すべてを放り出すこともできた。
でも、そうしなかった。
その選択に、後悔はない。
読者の皆様へ
もし、あなたも今、誰かの防波堤になっているなら。
家族を守るために、自分が削られていくことを選んでいるなら。
あなたは強い。
その強さは、誰にも見えないかもしれない。
誰も褒めてくれないかもしれない。
でも、確かにそこにある。
削られながら立ち続けること。
それが、最も美しい強さだ。
あなたの痛みを、私は知っている。
あなたの疲れを、私は理解している。
だから、今夜だけは、自分に言ってあげてください。
「よくやっている」と。
防波堤は、一人じゃない
どこかで、同じように立っている人がいる。
見えない場所で、誰かが誰かを支えている。
その連鎖が、この世界を支えている。
私たちは、孤独じゃない。
同じ痛みを抱えた者たちが、どこかで立っている。
その存在を感じるだけで、少しだけ楽になれる。
まだ、守るものがある
だから、今日も立つ。
削られても、疲れても、心が折れそうになっても。
それでも、立ち続ける。
それが、五十代を生きるということだ。
それが、家族を守るということだ。
そして、それが、人間の尊厳だ。
※誰かを守るということは、自分が静かに壊れていくことでもある。
けれど、その壊れ方の中に、人の強さは宿る。
👇️おすすめ
👇️こちらも是非
─────────────
EX-FAX-CE | NOTE執筆家
「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」
「ゆるぎなく、まっすぐに」
「言葉は、再起動ではなく継続の証」
▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点
X:@zdocomo / note:/exfaxce
─────────────

いいなと思ったら応援しよう!
応援が励みとなり、継続の力となります。
ロスジェネ氷河期第一世代に光と応援をお願い致します。