ロスジェネ脱線学 #26 送らなかったメールで考えたこと
送らなかったメールで考えたこと
下書きフォルダの重さ
私は1974年生まれだ。
手紙の時代と、メールの時代の両方を知っている。
若い頃、伝えたいことは紙に書いた。
消しゴムで消して、書き直して、
最後はポストまで歩いた。
投函した瞬間に、もう戻せなかった。
今は違う。
送信ボタンの手前で止まれる。
何度でも直せる。
消すこともできる。
だが、不思議だ。
送らなかった言葉のほうが、
いつまでも残る。
就職氷河期の頃、
本音を書きかけて、消したことがある。
怒りも、悔しさも、
正しさも。
送らなかったからこそ、
胸の奥に居座った。

50代になっても、
下書きフォルダは軽くならない。
誰かに言わなかった一文。
自分に言えなかった一文。
それらは、削除しても消えない。
送らない選択は、臆病だろうか。
それとも、優しさだろうか。
ロスジェネの世代は、
飲み込む技術を覚えすぎた。
波風を立てない。
摩擦を減らす。
だがその分、
胸の中に積もる。
今日もまた、
一通のメールを閉じた。
送らないまま。
それでも明日は来る。
言葉は消えなくても、
日付は進む。
たぶんそれでいい。
全部を外に出さなくても、
生きてはいける。
だが、
いつか一度くらいは、
送信ボタンを押してみたいとも思っている。

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