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ヴィパッサナーの魔境で見たもの4/瞑想バッドトリップ(恐怖と素戔嗚のテロの間)


5日目、再び鼻の下の三角地帯へ

五日目、張り切りすぎて瞑想バッドトリップに入った僕は、高鳴る鼓動を観察することによって朝方にどうにか少し眠ることが出来た。しかし、朝の瞑想ではヴィパッサナーに集中する事はもう出来なくなっていた。昨夜の体験がトラウマになっており、集中する事に恐怖を感じるようになっていたので再び鼻の下の三角地帯の観察、アーナーパーナに戻る事にした。気分は重く、せっかく瞑想が進んできたのにまた退化してしまった(恐らくこの時期のあるあるの一つ)事を残念に思った。
もう一度謙虚な心、執着のないあるがままの心を取り戻すにはまた時間がかかる。途中、集中力が上がってきてヴィパッサナーに戻ろうと思っても心が踏み出せない。
「また今日眠れなくなったらどうしよう。講師に予約をとって相談だな。」
午前の瞑想を終えると、僕は昼食後の相談のリストに名前を書き込んだ。

昼食後、予約の時間になってホールに行くと講師の白人女性と通訳の手伝いの女性がいた。
「どうされましたか?」

「昨日、夜になっても感覚が研ぎ澄まされすぎて寝ることが出来ませんでした。自分の心臓の音までうるさく聞こえ始めて、このまま気が狂ってしまうのではないかという恐怖に苛まされてとても辛いです。」

「そうですか。以前にもそう言った事はありましたか?」

「いえ、初めてのことです。」

「その時、あなたはどうしましたか?」

「寝っ転がったまま呼吸と共にそれを観察しました。」

「それでどうなりましたか?」

「最終的にはそれで少し眠りにつくことが出来ました。」

「そう。それでいいのです。あなたは正しい判断をしました。また同じことが起きたらそのように続けてください。」

相談はそれだけで終わった。
(そうだよな。あくまで自分で乗り越えないといけないんだよな。)
講師は医者じゃない。苦しみを取り除いてくれるわけではないのだ。

テロリスト化したスサノオ

午後、まだ重い気持ちと共にアーナーパーナの瞑想を続ける。集中力が上がると鼓動と共に不安が体に広がる。それとひたすらに六日目の午後は格闘した。
ホールで個人瞑想をしていると、先ほどの講師の言葉が蘇る。「以前にもそう言った事はありましたか?」確かに。僕は一度も経験したことがないのにもかかわらず、精神病になる事に漠然とした恐怖を抱えているわけだ。妄想か。

すると、男性宿舎の方から突然、

<ブバーッ!!!!>

という音が響いてきてその残響が瞑想ホールにこだました。
(......。は!?)
同室の白人、スサノオに違いない!今回は遠慮がどうとかそういうレベルではない。自室にいるはずの彼の屁が、瞑想ホールの静寂をぶち壊した。

(やめろ、全員に観察されているじゃないか......。)

一瞬、ほとぼりが冷めて濃度の濃い静寂が再び場を支配しようとしたその瞬間、

<バビッ!......ビ〜エィッ!!!??>

と今度はさらに大きな音、しかも疑問系みたいなやつがこだました。本人の体が浮いてもおかしくない勢いだった。

僕は呼吸を<細く、ゆっくり>に変えた。大きく呼吸するとそれだけで笑いが暴発してしまいそうだ。沈黙が痛い。痛すぎる。某カルト教団の尊師の空中浮遊が頭をかすめる。妄想。何よりもこの、<全員聴こえているのに頑張って無視しているであろう>状態の無言の共有がつらい。
薄目を開けると、さっきよりも猫背になって俯いている参加者が視界の端に入った。確実に笑いを我慢しているのが背中でわかる。何人かが鼻をすすったり、小さな咳払いをするのが聴こえる。

(見るな!感染る!)

十日間の無言の集団生活の期間、この瞬間が最も他の参加者との意識の<共振>を感じた瞬間だった。
(もうこの時間は諦めだな。)
僕の瞑想は、重苦しい恐怖とスサノオのガステロのはざまで一旦すっかり持ち崩してしまった。

恐怖を抱きしめに行く

夕方のお茶の時間、自分はこのまま集中を思い出せないままに残りの期間を終えるのだろうかなどと考えていた。
(やっぱり欲なんて出すからまた解消すべきカルマができてしまったか。)
深い瞑想に入れている様子の参加者は、果物を食べる一挙一動まで観察しているのかとてもゆっくりした動きだ。僕はきっと疲労の色を一旦出していただろう。

夜の瞑想の時間中、相変わらずの重い気持ちと共にアーナーパーナ瞑想をしていると<感覚>を感じ始めた。同時に迫り上がってくる恐怖を呼吸で逃す。その瞬間、自分の心が硬直している事に気づいた。足の痛みや痺れと一緒で、自分自身がその縁起を作っている事を感じたのだ。深呼吸をし、呼吸を安定させながら<感覚>の観察に戻る。
(狂ったら不幸になると決め付けている。なった事もないのに。幸せかもしれないのに。だったら狂ってもいいじゃん。狂うって何?どうしてそう思う?)
確かに何の根拠もなかった。僕の恐怖は何も根拠のない、自分の思い込みによって作られた暗い未来の妄想だった。
(そっか、また同じ様に最初から体の観察。できる事に戻ればいいだけだよな。)
急に心が軽くなった。途端にヴィパッサナー瞑想にまた集中することが出来る様になっていく。心も体と同じく、無意識の妄想が恐怖と緊張を生んでいるみたいだ。
心は雲のようで実体がなく、掴む事はできない。しかし体と一体。体は生きていれば呼吸や鼓動で活動していることが感じられる。
自発的な活動を一切やめ、生理活動のみの自分を観察し続けているうちに、中に詰まった無意識が浮かび上がってくる。きっとこれが心の池の底に詰まっている泥だ。もう「パッパラパー!♪」と叫びながら途中リタイアする自分を想像しなくても良くなっていた。
例えその人がズボンを半分しか履けていなくとも、「ヒュルリー🎵」と叫びながら夜中に来るはずのないバス停に駆けて行ったとしても、彼が存在してはいけないはずはないのだ。気が狂った人を穢れとし、自分には起きてはならない事と遠ざけようとしている。そういう気づきを得てからはこの悩みはすっかり消えた。

翌日、昼過ぎに講師から呼ばれてその後の様子を聞かれた。僕は自分に起きた事を話し、今は感覚に集中することが出来ていると答えた。
「それは何よりのことです。ではそのままの調子で修行を続けてください。」
面談はすぐに切り上げられて、以降は今までよりもより安定して瞑想が深くなっていった。

スサノオのイビキは日に日に大人しくなり、数日後には無くなった。しかし、それと反比例する形で今度は日中のガステロが多くなっていった。上からの邪気を出し尽くし、今度は下からという段階だったのだろうか。個人瞑想の時間にはもう普通に目を開けて考え事をするようになっていた。
続く→(たぶん次回最終回)



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