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リクルートのダメ社員が、ブランディングの専門家になるまで。 続編① 

もらった悪意は、ただでは返さない。


入社して4年くらいは、なかなか機会を活かせずにかなり腐っていたという話を前編では、書かせていただきました。今回は、その続編にあたるストーリーです。

前編はこちら




気持ちを切り替えたらチャンスが舞い込んできた。

 ちょっと怖いなと思っていた先輩に自分から声をかけて、仲良くなってから、私に多くの機会が舞い込んできました。まずは、その前から仕込んでいた原稿で社内のトップ賞をとり周囲の見る目が180度変化。道路工事会社の原稿だったので、戸部は土木や建築に強そうだと思われ、道路標識の会社やメンテナンス企業などの案件が入ってきて、そのいくつかでも社内賞をとるなど好連鎖が生まれてきました。そうなると、営業から指名が入るようなちょっとした「売れっ子」状態に。その裏には、実力があり愛情深い先輩の熱い支援がありました。さらにラッキーなことに6年目になると、元々、社内賞をいくつもとっていて、有名な上司が着任。彼女から「元々、戸部ちゃんはいいと思ってた。サラッとやってのける感じが」などとこれまでと真逆に評価され、ますます環境は良くなってきました。このことからも、一つの気づきをきっかけに自分を変えると、運の方が勝手引き寄せられてくることが言える気がします。

先輩から受けた「えこひいき」愛。

そして、可愛がってくれる先輩からは、彼女が永年大事に育ててきた顧客を譲られることに。それは消費者金融の大手で、上場を迎えることに。先輩の言葉は、「この会社も上場する、もっと違う目線で採用の顔を作るべきだから、お前がやれ」と格好のいいもの。実際に、取引額も億を超えるようなスポンサーで、入社6年目の私が持つにはやや重いスポンサー。新人時代から私を知っている営業担当は、大反対でしたが、先輩の説得とゴリ押しにて見事、担当に。そんな経緯があったにも関わらず、足繁く通い、考え抜いたコンセプトを伝え続けることで、いつしか信頼関係が生まれ引き続き大きな取引をいただけるようになりました。まさに、一転して順風満帆と言えるような20代中後半。しかし、次なる試練は密かに迫っていたのです。

構造改革の波に飲み込まれて

それは、全社を挙げての事業のリストラクチャリングでした。要因となったのは、創業者が作った高額な負債でした。とはいえ、会社の成長を目指して様々な投資をした、その結果。20代中盤という伸び盛りの時期に差し掛かった私たち世代は見事にこの煽りを喰らうことになったのです。あっという間に、寮や福利厚生施設は売られ、呼応するように、クリエイティブに対する風当たりが強くなりました。一案件に時間をかけるのは「悪」という方針が敷かれ、その急先鋒となった部長が、我が部に異動。早速、私は目の仇にされることになりました。これを聞くと、なぜ?と思う方がいるかもしれませんが、背景に事業部間の小競り合いもあったのです。

入社した頃のリクルートは、創業者の江副が立ち上げた新卒採用の部門とその後にできた中途採用の部門が分かれおり、新卒部門は売上が大きくて花形。その次に、中途部門が続く形。数年後に、二部門が統合されHR事業部となったものの、この間には確執がありました。華やかでビックビジネスな新卒部門、小さいコマの原稿を大量に回す職人肌の中途部門。同じリクルートなのに、わずかな配属の違いで文化の差となり、溝は容易に埋まりませんでした。

リストラの急先鋒だった部長は中途出身で、そもそも新卒事業部をいけ好かなく思っていた。その上、彼はあまりクリエィティブが得意ではなく、効率化でのしあがってきた人。だから、私のように新卒事業出身で、お金をジャブジャブ使ってクリエィティブを作っている社員(中でも、潰しやすい若手)が改革の敵に見えたのでしょう。

当時、私は28歳。油も乗っていて面白い提案をすると評判もあり、部でも重要なお客様を持っていた。でも、事あるごとに部長は、私を潰しにかかってきた。「なんで、地位のある部長が、こんな小童を?」と思うものの、私も私で目に見えて反抗はしないものの、方針には疑義を抱いていました。さらに悪いことに、そんな中での妊娠。妊娠中は労働時間が減るという理由も加味され、査定を下げる絶好のチャンスとなったのです。

「お前を左遷させてやる!」と叫ばれた出向。

そんなこんなで、大手を担当し社内賞でも評価された私に下されたのは、唖然とするような低い査定。さらに育休の予定も、上司の申し送りで復帰後は制作に戻れない、と知り急遽、産休のみで復帰することに。けれど、復帰先は本社ではなく関連会社へ出向という。半分、憤りを感じつつも、半分は、まるでセンスの悪いジョークを見ているような感覚。(ちなみに、今はこういう人事は皆無だと思います)

 実は同時期に、一緒に励まし合ってクリエィティブで頑張っていた同士も、なんと営業へ異動。彼は、「クリエイティブ狩りだよ」と叫んでいました。そして、同僚たちが主催してくれた送別会で、偶然、顔を合わせたその部長からは「お前を左遷させてやったんだ」と憎々しい顔で叫ばれ、これまた呆気に取られました。なぜ、ここまで憎悪されねばいかんのか(笑)。

 

異動先でも、吹き荒れたリストラの嵐。

さらに、異動先も異常な状況に置かれていました。そこは、リクルートの千葉エリアを担当する子会社。業績悪化のため雇用していた制作社員を全員、業務委託へ切り替え。そんな首を切って再契約した部門のリーダーをやれという辞令でした。彼らにとって私は、自分の首を切った本社から派遣された手下。異動早々にかなりの困難が予想されました。

 その時は、「やってくれたな!部長」と思いましたが、これは、あまりにも見え透いた罠なんじゃないのか?(笑)

また、業務はあくまでマネジメントで、自分で制作してはイカンとされ、得意技が封じられての人生初マネジメント。しかも、本社と環境が違い、安価で短納期の製作物をぐるぐる回す事業モデル。ギリギリのタイミングで営業が受注するので、制作時間も短く、ギリギリで入稿するのでミスも頻発。また、クリエィティブに対しても「やりたい気持ちはあるけど、どうせ、僕たちなんか評価されないでしょう。」という空気が蔓延していました。


私は、当初は「言うても同じリクルートでしょ」とタカを括っていましたが、早々に「戸部さんは、どうせしっかり研修を受けているでしょうが!私たちは違う。」と自己憐憫トークが炸裂(実際は、放置プレイで育った)。その先制攻撃にたじろいだものの、是正する技も時間もないので、とにかくやるしかない。だが、現実的には出産からまもなく体力も戻っていない、左遷とまで言われて来たので、決して前向きとは言えないメンタルでした。

 そんな状況は状況として、プライドを持って制作してきた身としては、思うところも多々ありました。部署内で優秀とされているメンバーでさえ、原稿の基本的セオリーが抑えられていない。それでいて、社内賞に入れないと嘆く・・。そんな原稿クオリティの問題と。なにより課題感が大きかったのは、短納期のために起きる致命的なミスでした。

あきらめムードの制作組織と向き合って。

  最たるものが、求人広告の住所や地図のミス。当時は情報誌という紙媒体ゆえに、住所や地図が間違っていたら、面接に行きたくても辿り着けない。せっかく売った求人広告の価値がゼロになってしまうのです。でも、制作メンバーは、どこかで「仕方がない、ギリギリに受注してくる営業が悪い」と感じているようでした。また、随所に本社の代理人である私への敵対心が漂い、疎外感は常にありました。目に見えて、アシスタントが反抗したりもして。これだって、リストラという大きな波が生み出した茶番のようなものでしかないのに・・。

 そんなこんなで日々、だいぶ気が重かったけれど、制作出身者としては、どうしても我慢ができないことが2つありました。それが、ミスとクリエィティブへの向き合い方。まず、ミスの削減については、地図や住所の情報を間違ってしまうと、商品価値がゼロになってしまうこと。それは、表層的なクリエィティブよりよほど大事なこと、などをみんなに向けてメッセージしながら、入稿の際には、特にミスの多い社員の入稿を一緒に見るなどして守りを固めました。

 また、原稿のクオリティに関しては、賞を目指したいようなメンバーの原稿は、よく見てあげて、辻褄のおかしいことがないかなどをアドバイス。もっと若手のメンバーには目線をあげてもらえるよう優秀なコピー作品が掲載されているTCC年鑑(コピー中心の広告年鑑)を私のデスクのすぐ横に置いて、誰でも閲覧できるように工夫。さらに、打ち合わせに同席したりして、良い作品を見るようにナビゲートしていきました。

その結果、入稿時に「これは、あの作品のパクリだよ」という原稿も出てきて。嬉しいのか、悲しいのかよくわからない気持ちになりながらも、励まして指導をして。そのうち全体に、クリエィティブを頑張ろうという空気が醸成できたのかなと思います。

「あなたについていこうと思った」と言われた日。

 そんなことをしていると、ベテラン2名くらいが、少しづつ私の味方になってくれて。「僕が、ムードメーカーになるから、こうしたいと思ったら教えてくれよ」と温かい言葉をもらったこともありました。

 でも、どんなに奮闘しても、上司は本社にいて評価されるどころか、その前の査定を引きずって悪い評価。また、リクルート自体も、制作組織を関連会社の印刷会社と合併されるという方針が提示。これでは、しばらくクリエィティブが重視されなくなるのではないかと予測。それなら退職して、これまで注力できなかったコピーライティングに挑戦して、TCCを目指してみよう考えたのです。それを告げた時の上司の反応もあっさりしたもので、少しがっかりしたことを覚えています。

 こうして出向から1年が経ち、区切りもいいので、いよいよ退職の挨拶をした時は、意外な反応が返ってきました。みんな驚いていて「あなたについて行くつもりだったのに」という言葉までもらいました。正直、びっくり。本音は嫌で嫌でしょうがないけど、あまりにも看過できないことをなんとかしようと頑張っていただけだったから。今でも、あの時のみんなの気持ちの本当のところはよくわからない感じです。どこまでお世辞でどこまで本気だったのか。あまりに理不尽な評価とそれに続く暗黒時代で、その時は感性さえ痺れてしまっていたのかもしれません。

 さて、この後の話はまた続編になりそうですが、端的に言えば、別の信頼する先輩の縁で、リクルートと再契約。その後、希望通りコピーの賞をとり、外部ながらクリエーティブディレクターに抜擢され、後進の育成と大型案件を牽引するという未来へと繋がっていきました。

逃げない。構造で見る。

 思えば毀誉褒貶の激しい20代でした。それでも、自分を褒めていいと思えるのは、まずは逃げなかったこと。嫌な職場からも結果的には逃げず、なんとか組織をあるべき方向に導けたこと。もう一つは他責にしなかったことでしょうか。感情的な上司も恨むことなく、ひいて見て時々、笑い飛ばしていた。意識して誰かのせいにせず、構造で見ようとしてきた。この経験は自分を強くしたのかもしれないな、と思います。

日頃は、経営者だとか、やれブランディングだとか綺麗事を宣っていますが、こんな泥臭いサラリーマン時代があったこと。だからこそ、お客様の組織風土に誰よりピーンと来てしまうこと・・・。いま思うと、すごいプレゼントをもらったのかもしれません。この異動そのものは、悪意だったとしても。

戸部二実(株式会社カラビナ 代表取締役) コピーライター/ブランドデザイナー。500件以上の企業ブランディング支援。 著書:『強みを見つけるブランディング』(宣伝会議, 2024) https://www.amazon.co.jp/dp/4883356043 カラビナでは、企業ブランディング・採用ブランディングのご相談を承っています。 お問い合わせ: https://carab.jp 



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