え?日本語で?スリー・ディグリーズが『にがい涙』を歌った理由 #1
「え、スリー・ディグリーズが日本語で歌ってる?」
はじめて『にがい涙』を聞いた時、そんな驚きがあった。
当時はただ「すごいな」「めずらしいな」と思っただけで、その背景まで考えたことはなかった。
でもあとから知ると、この曲、実はかなり“攻めた企画”から生まれている。
ザ・スリー・ディグリーズ(The Three Degrees)は、3人組の女性ボーカルグループだ。いわゆるフィリー・ソウル(Philly soul)と呼ばれる、フィラデルフィア発祥のソウルミュージックの代表格でもあり、1970年代、アメリカだけでなく、日本でもとても高い人気を得ていた。
たとえば、『天使のささやき(When Will I See You Again)』のような楽曲で知られる。
またいつ、あなたに会えるの?
これは始まりなの? それとも終わりなの?
ところが当時、本国ではしばらく新曲がリリースされない状況が続いていたそうだ。
そこで動いたのが、日本のレコード会社。
「新曲が出ないなら、日本で作ってしまえばいい」
今ならちょっと無茶にも聞こえるこの発想だが、当時はレコードが飛ぶように売れる時代で、人気アーティストの新曲には確実に需要があった。
この企画を立てたのが、CBS・ソニーの洋楽担当ディレクター。
さらに制作は邦楽チームに委ねられ、
作詞:安井かずみ
作曲:筒美京平
という、当時のトップクリエイターが参加する。
つまり『にがい涙』は、
海外の人気グループ × 日本のヒットメーカーという、かなり贅沢な掛け算で作られた楽曲だったわけだ。
はたして、結果はどうだったかというと——
この曲、日本限定のリリースにもかかわらずヒットを記録する。
私もテレビの番組で彼女たちが歌う姿を見た記憶がある。
今でこそ「海外アーティストの日本語楽曲」は珍しくないが、当時としてはかなり先進的な試みだったはずだ。
このエピソードを知ったのはずいぶん後になってからだが、『にがい涙』の聴こえ方が少し変わった気がする。
ただの“変わり種の曲”ではなく、
「どうすれば売れるか」を本気で考えた人たちの意思が詰まった一曲だ。
そう思うと、あの時代の音楽業界の勢いとか、柔軟さみたいなものまで見えてくる気がする。
次の記事では、『にがい涙』の楽曲そのものの魅力についても、もう少し掘り下げてみたい。
続きはこちら。
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