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ソファーの人は、書いている。#7|来ない日

第7話|来ない日

来ない日、というのは、
それだけならただの事実だ。


休みだったのかもしれない。
別の店に行ったのかもしれない。
仕事が長引いたのかもしれない。
書く気分じゃなかったのかもしれないし、打つほどでもなかったのかもしれない。

理由はいくらでもある。
だから、来ないこと自体に意味なんてない。
ないはずだった。

その日、最初にソファーのほうを見たのは、たぶん偶然だった。
見たというより、ただ視界に入った。

でも、そこにいなかった。

黒い手帳も。
黒い万年筆も。
あの、ソファーの端に少しだけ斜めに座る感じもなかった。

ああ、いないんだ、と思った。
ほんとに、それだけだった。

それだけのはずなのに、無線を返して、補充をして、島を回っても、頭のどこかにその空き方だけが残った。

ソファーが空いている。
そんなの、別に珍しくもない。
誰かが座って、誰かが立って、
空いて、また埋まる。
それだけの家具だ。

なのに、その日は、空いていることが先に見えた。

それが少しだけ嫌だった。

昨日まで、
毎日あんだけ声を聞いていたら、なんて思っていたくせに。
そう思うと、余計に変な感じがした。

その日は、書く日っぽい空気だった。

なにがどう、とは言えない。
でも、わかる時がある。

やたら出ているわけじゃない。
かといって全体が死んでるわけでもない。
人の顔が、勝ち負けより先に疲れている日。
音はいつも通りうるさいのに、
店の中にいる気持ちだけが妙に鈍い日。

あの人は、そういう日に書いていることが多かった。

多かった気がする。
たぶん、
そう見えていただけなのかもしれない。
わたしが勝手に、店の空気とあの人を結びつけていただけかもしれない。

でも、そういう日に限っていない、
ということだけは、
その日ちゃんと残った。

昼を過ぎたあたりで、
一度だけ喫煙所のベンチを見た。

見に行ったわけじゃない。
勝手口のほうへゴミ袋を出すついでだった。

ベンチは空いていた。

灰皿には吸い殻が少しだけ残っていて、誰かがさっきまでいた形だけがある。
でも、
その誰かはあの人じゃなかった。

そういうのも、
わかるようになってしまっていた。

何でわかるんだろうと思う。

匂いなのか。
箱の置き方なのか。
ただの思い込みなのか。

思い込みでも、たぶんもう、
困るには十分だった。

午後のあいだ、何回か無意識にソファーのほうを見た。

そのたびに空いている。

見なくていいのに、と思う。
見たところで、いないならいないだけだ。
そこに何かが増えるわけでもない。

それでも見てしまう。

前の日までいた人が急にいないだけで、店の風景は少しだけ形を変える。
ソファーが広く見える。
通路が一歩ぶん長い。
喫煙所までの距離が、妙にまっすぐに伸びている。

そんなふうに感じる自分が、
いちばん面倒だった。

上がりが近づくころには、
もう少しだけ諦めていた。

今日は来ない日なんだろうと思う。

来ない日。
そういう日があって当たり前だ。
むしろ、今まで毎日みたいにいたことのほうが、少し変だったのかもしれない。

そう思いながらロッカーを閉めて、
エプロンを外した。

いつもなら、そのまま帰る。
勝手口を出て、空気を吸って、
駅まで歩く。
それだけだ。

その日は、帰る前に一度だけ、ほんとに一度だけと思って、喫煙所のベンチを見た。

空いていた。

当然のことだと思う。
なのに、
その当然がやけに静かだった。

そこに誰もいないだけで、
夜の空気まで少し薄い。

そんなわけないのに、そう見えた。

ベンチに近づく。
近づく必要なんてない。
ないのに、足がそっちへ行く。

灰皿の金属は少し冷えていて、誰かが少し前に火を落とした跡だけが残っていた。

セブンスターの箱は、
もちろんどこにもない。

そこまで見て、ようやく自分に腹が立った。

何を確認してるんだろう。
いないことは、とっくにわかってる。
わかってるのに、まだ見てる。

たかが、それだけのことのはずなのに。

ベンチの前に立ったまま、少しだけ夜の空気を吸う。
煙草は持っていた。
でも、
なんとなく吸う気になれなかった。

同じ銘柄を吸う人がいないだけで、
味まで少し違いそうな気がした。

帰ろうとして振り返った時、
勝手口の灯りが少し揺れた。

誰かが出てきたのかと思って、
一瞬だけ足が止まる。

でも、
出てきたのは別のスタッフだった。

期待したのか。
今。

その一瞬の自分が、ほんとうに嫌だった。

そう思ったら、
ちょっとだけ笑いそうになった。
笑えないのに、
笑うしかない感じだった。

今日はいない。
それだけだ。

帰り道、
信号待ちのあいだにポケットの煙草を触る。

箱の角。
中に残ってる本数。
何も変わっていない。
変わってないはずなのに、
その感触だけが少し違う。

少し前までは、
ただのセブンスターだった。
今は、それに少しだけ、
あの人が混じる。

それが、あんまりよくなかった。

家に帰ってからも、理由はいくらでも浮かんだ。
休みかもしれない。
別の店かもしれない。
仕事が長引いただけかもしれない。

どれでもいいはずなのに、
どれでもよくなかった。

名前も知らない。
仕事も、住んでる場所も知らない。
知っているのは、黒い手帳と万年筆と、同じ銘柄と、来る日の気配くらいだ。

そんな程度なのに、帰る前にベンチを見た。
いないことは、とっくにわかっていたのに。
そのことだけが、家に帰ってからも少し残った。

家に帰って、一本だけ吸った。
いつものセブンスターのはずなのに、少しだけ味が違った。

そこまで考えて、やめた。

自分で言葉にしてしまうと、
少しだけ本当になりそうだったから。

気のせいで済ませれば、
それまでの話だ。

でも、来ないだけでこんなに静かになるなら、
たぶん、それで済ませるには、
もう少しだけ遅かった。



つづきはこちら
第8話|少し壊れる日

前作はこちら
第6話|この店で書く理由

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