第22話 古代史 卑弥呼から始まる女帝の系譜?!祭祀王と統治王?!
今回から新たに卑弥呼とその周辺人物の比定について考えていきたいと思います。
また、併せて、今回も前回の続きとして、卑弥呼と台与の後継者について考えていきたいと思います。
皇室の系図には時々「足姫」という名を持つ女性が記されていますが、この「足姫」は「タラシヒメ」と読み、これは本来「テラスヒメミコ」という意味であると思われ、つまり、「足姫」という名を持つ皇室の女性も天照大御神に比定されている卑弥呼の後継者であることを表現していると思われますが、
応神天皇の母とされる神功皇后(気長足姫尊、大足姫命皇后)も「足姫」という名を持つ女性皇族とされ、この神功皇后は卑弥呼にも比定され、かつ、台与にも比定されており、私はこの両方の説に大きく賛同いたします。
古代エジプトの先進的な文明文化が日本列島にまで波及する中でその宗教観も伝わり、神を祀(まつ)るようになり、卑弥呼の時代に日本という国が本格的に開闢した(始まった)と思われますが、
「神」という字を漢風諡号に持つ三人の天皇、即ち、初代神武天皇、第十代崇神天皇、第十五代応神天皇のうち、卑弥呼や台与と同時代の天皇であるという説のある第十代崇神天皇は初代神武天皇と同じく「ハツクニシラススメラミコト」という名を持ち、そして、第十五代応神天皇は卑弥呼にも台与にも比定されている神功皇后の子とされています。
太陽神を最高神とするという宗教観を持つ日本では、その宗教観に由来する名の継承が歴代の相応の人物により行われて来たと思われ、また、卑弥呼の晩年の時代に二年連続で発生した日食を表現していると思われる「天の岩戸隠れ」という出来事も女性天皇の重祚などにより儀式的に継承して来たと思われ、太陽神を最高神とするという宗教観を持つ日本では、ことにそうしたことがとても重要視され、伝統的に儀式的に継承されて来たと思われますが、それらの起原は日本という国が開闢した時の王と思われる女王卑弥呼ただ一点に求めることができると思われ、これらのことを総合的に考えると、やはり、卑弥呼の時代に日本という国が本格的に開闢したのだと思われます。
そして、「魏志倭人伝」などの史書には、卑弥呼や台与の時代あたりに「男王」の存在も記されていますが、日本には古くから祭祀王と統治王という二人の王がいたとする説があり、私はこの説に賛同いたしますが、卑弥呼や台与の時代前後から日本には統治王と祭祀王がいたと思われ、この「祭祀王と統治王」という説の視点から見た時に、卑弥呼や台与の時代と半ば被る時期にその「男王」と思われる「神」という字を漢風諡号に持つ天皇の存在があった「真の歴史」が見えてくると思われます。
そして、前回までに考察した通り、古代の全ての女帝は伝統的に豊受大御神の化身的な存在となり、かつ、日本の太陽神である天照大御神の化身的な存在となることを継承して来たと思われ、卑弥呼と台与以降の全ての古代の女帝は正に卑弥呼と台与の事跡を継承する後継者であったと思われます。
卑弥呼と台与以降の古代の女帝を列記しますと、
第三十三代推古天皇(豊御食炊屋姫天皇)
第三十五代皇極天皇・第三十七代斉明天皇(天豊財重日足姫天皇)
第四十一代持統天皇(大倭根子天之廣野日女尊)
第四十三代元明天皇(日本根子天津御代豊国成姫天皇)
第四十四代元正天皇(日本根子高瑞浄足姫天皇)
第四十六代孝謙天皇・第四十八代称徳天皇(倭根子天皇)
ですが、
これらの卑弥呼と台与以降の全ての古代の女帝は卑弥呼にも台与にも比定されている神功皇后の後継者ということにもなると思われます。
