第26話 古代史 東アジア全体の文献の様相は日本の文献と連動している?!
前回、「卑弥呼とその周辺人物と同一視される、あるいは、少なくとも部分的には同一人物の可能性のある方々の比定」を書いたのですが、その中で卑弥呼については、例えば、垂仁天皇の娘とされる倭姫命にも息長宿禰王の娘とされる神功皇后にも比定しています。
そして、神功皇后一人で卑弥呼にも台与にも比定しています。
これらの人物比定のほとんどは一般的な学説でもあり、実はそれらの学説のほとんどが正しいと思われ、大きく賛同致します。
つまり、「この人物は比定として正しくて、この人物は比定として明らかに間違っている」ということはあまりないと思われます。
ということは、系図上、あるいは、史書上、少し違う時代の別の名の複数の人物が実は同一人物であるということになり得ると思われます。
そのことから、特に系図や史書における古代のパートでは、同一人物が何度も何度も繰り返し別の名で表現されて登場していると思われます。
しかも、人物名だけではなく、神の名としても表現されて登場していると思われます。
そして、いわゆる「とんでも説」と言われる俗説についても、「火のないところに煙は立たない」、つまり、大元となる根拠や所以(ゆえん)があると思われます。
系図や史書などの文献は誇張されて表現されていたり、象徴的に表現されていることがとても多いと思われ、これは日本の系図や史書などの文献だけのことではなく、むしろ、中華や朝鮮半島の系図や史書などの文献も同様であると思われ、実は中華や朝鮮半島の文献のそういった様相は日本の文献とも連動していると思われます。
ここまでの回では主に、「東アジアにおける日本列島」の真の歴史を考察するための、その前提事項についてご紹介して来ているのですが、次回からはいよいよ「東アジアにおける日本列島」の歴史の背景を本格的に考察していきたいと思います。
