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有料で「売る」のはわたしの価値じゃない

有料noteを書くのは苦しい。
有料noteを売るのはもっと苦しい。

100円noteを書こうと意気込んで2本リリースしたが、ずっと苦悩している。
だってなに書いても正解じゃない気がする。
わたしとっては、半日かけて書いた超大作かつ、超名作だけれど。

これが名作の1本(真顔)

ほかの人が読んで、わたしと同じように価値を感じてくれるとは限らない。

むしろ、自己満足で終わってしまうことも多い。

有料noteが売れないとめちゃくそに苦しい。
しんどい。
世界じゅうの誰からも自分が必要とされていない気がする。
わたしの書いたものではなく、わたしそのものに価値がなくなったような。

承認欲求と自己肯定感ってやつですかね!?

理性では分かる。
わたしの書いたものの価値と、わたしそのものの価値は同じではない。
比べるのもおこがましいけれど、プロの文筆家だって毎回ヒットを連発できるわけでもない。

つまり、全部受け入れてもらえるわけがない。

つまり、全部必要とされるわけじゃない。


わかってるんだけどねぇ。
これがねぇ。
胃がぎゅっとなって、夜も眠れなくなって、スマホの画面をチラチラチラチラ気にしてしまう。

中毒性が激ヤバである。
スマホの通知に一喜一憂する。
note公式のメールが来るたびに、心臓がゾクッとする。

「あなたの記事が売れました」


このタイトルのメールが来るまで、永遠にスマホの通知が気になる。

ここでひとつ明らかにしたいのは、わたしはお金が欲しいのではないということ。
いやもちろんあったら嬉しいよ。
使い切れないくらいお金欲しいよ。

でもそうじゃなくてさ!?

「有料noteが売れた」ことと、「記事が売れた」ことはなんとなく違う気がしている。
説明が難しくて詰んでるんだけどさ……

わたしの中身というか思考というか、お金を出してまで必要としてくれる人が広い世界の片隅にいれくれた。
わたしにとって、わたしが発信する意味とか希望とか、そんな感じなのが有料noteを買ってくれる人なのかもしれない。

知らんけどね……

無料だからいいとか悪いとかじゃなくて、覚悟を持って書いた記事に値段をつけて。
その記事を読んでもらえたら、その覚悟というか、腹の据わり方が嬉しいよねって思う。

でも無料noteを読んでくれる人もたくさん増えた。
1年前のわたしでは考えられなかったこと。

だから、今のわたしは無料noteをちゃんと読んでくれる人たちに恵まれた幸せな状態なのに、それ以上わたしを深く必要としてくれる人に出会いたいって感じかもしれない。


ほんとは有料noteを無料で出したいくらい、商売っ気がないので、値段をつけて、買われまで待ち続けて、自信を見失わない、という修行をしているのかもしれない。



▼有料noteの苦悩の切れ端がこちら▼

▼基本のスタンスはこのくらいゆるっゆるで▼


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