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【地獄の釜から脱出】アラフォー娘が母への依存と憎しみを断ち切れた、たったひとつの「本音の言葉」

もうアラフォーで。
2児の母だけれど。

実母と上手くいっていない。

母方の祖母の家と。
夫の実家だけが、わたしの実家。
そう公言して憚らなくなって、6年か。

ずいぶん昔に吐き出すだけの有料noteを書いた。

買わなくていいよー。
父亡き後、20年近く経って、わたしだけ知らされないまま、母が彼氏と同棲をはじめた、みたいな殴り書きのやつ。
母の彼氏なるひとは弟とは既知の間柄で、叔母たちも存在を知っていたそうだ。
わたしだけが、母から打ち明けてもらえなかった。
母からわたしへ、直接報告されて意見を求められたりしたら……
そりゃちよっとは文句も言ったかもしれないけれど。
やっぱり直接言って欲しかったなぁ。

あのころの母の恋愛を受け入れられないわたしは、常に迷宮の中にいた。

日常的にずっとパニックだ。
多分、あの頃のわたしは精神科へ行けばめちゃくちゃヘヴィーな病名とお薬と、閉鎖病棟への入院が決まったかもしれない。
おぼろげな記憶のなかで、わたしは自らの精神をコントロールすることを、半ば諦めていたからだ。
頭はぐちゃぐちゃ。
仕事は押し寄せてくる。
でも母への憎しみのブリザードも押し寄せてくる。容赦なしにだ。

母への尋問めいた質問が、地獄の釜の底から湧き上がってくるようだった。

どうして周りのひとはみんな知っているの
どうしてわたしにだけ言わないの
どうしてわたしにだけ本当のことを話しに来ないの
どうして「知り合いなんて嘘を吐いたの」
どうしてわたしを通り越して同棲の話しが聞こえてくるの?
わたしの意思はどうなるの?
わたしはまだ母の傍で暮らしていたかった。
母が彼氏と暮らすらしいとして、わたしたちと関係を切りたいってこと?

とめどなく溢れる疑問。不安。恐怖。
わたしがダメだからおいて行かれた。
わたしが彼より愛されなかったからおいて行かれた。
わたしが悪い子だから。
自分の子どもも母の家でほぼ子育てしていたような未熟な人間だから。
母が「いーんじゃない」と言ってくれないと自分の決定に自信が持てない、母に依存した人間だから。
わたしは弟より要領が悪くて役に立てなかったから。

ぐちゃあああと自責と他責と自己嫌悪と責任転嫁と自信のなさが、いろいろ足りてない脳みそのなかでスムージーになっていくようだった。

そんな陰鬱なスムージー、わたしなら絶対飲みたくない。

わたしは世界でひとりぽっちになったくらい、心細かった。
震えた。物理で。

それってつまり、わたし、母に見捨てられたの?

わたしから物理的にも心理的にも距離を取ろうとする母を、恨むことで、言葉悪しく罵るだけで、追い縋って「捨てないで」と這いつくばって泣くくらいが精一杯だった。

あのころの母には不用意にあり得ないほどの罵詈雑言を浴びせてしまった。
記憶がほとんど残っていないので、申し訳なかったとはずっと思っている。
でもここまでわたしの心のブレーキを壊した状況に追い込んだ、母への怒りは根深いものになりつつあった。

引越しが決まり、母が相手と実家を出ていくとき、わたしはその真下の我が家でカーテンを全部閉めて泣いていた。

母の家はアパートの2階
わたしと夫の家は母の部屋の真下。
アパートの1階。

「おかーさんにおいてかれる。もうかえってこない」

もうわんわん泣いた。
玄関を飛び出して、母にも懇願した。

「置いてかないで、わたしを捨てないでよ」

床に泣き崩れても母の体には届かなかった。
玄関の三和土の冷たさが足の裏から染みた。

「おかーさん、お願いだからおいてかないでよぉぉ」

もうわたしには叫ぶしかなかった。
泣いているのか叫んでいるのかわからないくらい、ぐっちゃぐちゃの顔とぐっちゃぐちゃの脳みその娘に。

母は青ざめた顔のまま、

「私の人生にあなたが口出しする権利はありません」

とだけ言って車に乗って消えた。

そこからわたしの精神は荒れに荒れた。
どこにいてもなにをしても母への怒りと責め句が、呪詛のように脳みそに浮き上がってくる。

まじでしんどいよこれ。
寝ようとしても。
朝歯磨きしても。
運動してても。
出勤に車の運転をしていても。
友だちとカラオケをしていても。

どんなときでも脳みその端を焼くような怒りの炎が消えずにいた。

「もう母にとってわたしは彼氏や息子(わたしの弟)と比べたら、不要なのかもしれない。 
同じ仕事をしていて、母のことをよく理解している弟が先に母から打ち明けられ、 
わたしのところに母からの相談や呼び出しがなにも来なかったのがその証左だ」

「本当のわたしは母が大好きだったはずだ。距離感や温度感の差はあれど、愛されていなかったとは思っていない。でも自分に自信がなかったのも本当。弟ばかりを贔屓する母の陰で惨めさを感じなかったといえば嘘になる。純粋な気持ちでは母の幸せを願っているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう」

 母の恋人の存在を知ったのは、もう6年も前のことだ。
正確には「知ってしまった」という表現の方が近い。
母と関わる時間が長い弟はずっと前から知っていたらしい。

母とは祖母の家でたまに会える。
連絡も取り合うし、子どもたちの誕生日にはプレゼントも買ってくれる。
でも、わたしは母の家に行ったことがない。
母の同居人に自分の意思で会ったことがない(事故的に顔を合わせたことはある)。
ずっと母を許せない自分を責めてきた。
わたしに歩み寄ってくれない母のことも責めてきた。
いい歳ぶっこいて、わたしを置き去りにした母を責め続けて気分はいつもどん底。
たのしくなあああああいいいいい!!


時間が経てばいつか許せるのかと思っていた。
いやぁ。そんなことないわ。
時薬にぜんぶおまかせするには苦が重すぎる。

むしろ焼け石に水?

最初の数年はほぼ母とは会わない生活になった。
ただ、コロナ禍で新生児を抱えていた我が家のヘルプに来てくれたことがあった。
しばらく聞かなかった祖母の声に怯える下の子。
なにかあったことを察して祖母から距離を取ろうとする上の子。
さんざん助けてもらったのに、素直にありがとうが言えなかった。
言えないから、言えないわたしが悪いんだと思って落ち込んだ。
母は母で、自分の意見を強硬に通しすぎてきた自覚はあったようだ。
母もなんだか、申し訳なさそうな顔をしていた。
結局コロナ禍の数度のやり取りでは打ち解けたもとの家族に戻るのは無理だった。

だけど、コロナ禍の関わりがなかったら……
本当にもう母とは絶縁していたかもしれない。

数年が経って、わたしの脳みそも落ち着いてきた。


母の相手に会おうと考えたことも何度かある。
でも、考えただけで具合が悪くなった。
正直すぎるぜ、わたしの身体。

無理したらあかん。


それに、わたしには自分の夫と子どもがいて、そこそこ幸せだ。
日々の生活に疲れたり憤ったり、不安になったりもするけれど。
概ね、ひゃっほーう! な感じで暮らしている。
夫の実家とも円満で、ほどよい距離感で楽しんでいるし。
夫とわたしの、実家に対する見解も一致している。

たとえば

・在宅介護はしない
・ふたりとも亡くなったら墓じまい
・同居はしない
・金銭的な援助は基本的にしない(できない)
・両親については義姉と夫で話し合う(嫁は手伝い)

こんな感じ。

この見解が一致しているだけで、めちゃくちゃ心が楽だ。

そして夫は、実母に歩み寄れないわたしの心情を理解しつつ、実母が幸せになることを祝福してくれている。
だからどうしても実母の家に届け物(滅多にないけど)なんてときは、夫が代わりに行ってくれる。

なんの不満があるんだ、わたし!!
わたしはわたしの好きなひとと一緒に暮らして幸せだ。
母は母の好きなひとと暮らして幸せだ。
そこになんの差異もない。


わたしだって、狭量だけれど、母の幸せを願えないわけじゃない。
世界の中心が「母に置いてかれた自分」なだけで、母を不幸にしたいわけじゃない。


なんだ、これでいいんだ。

急になにかが腹に落ちた。
だから全部モヤモヤが吹っ飛んだ、なんていいものでもないけれど。
なんかこう、このままでいいのかって思えるようになった。
よし、これだ!!

毎週、夫と子どもたちを連れて祖母の家へ行く。
独居老人というには元気だが、祖父が亡くなってからは話し相手がいないのが寂しいらしい。
祖母の家に行くのは、ほぼ毎週の固定行事になっていた。

母は来たり来なかったり。
来たら子どもたちがはしゃぐので、母としても悪い気はしないらしいけど、なんで毎週来ないのかを詳しく聞いたことはない。
母の生活を掘り下げるとお相手まで勝手に掘り下げちゃうし。

心に波風はね、なるべく立てんほうがいいよ。


母のいない祖母の家。
祖母が台所仕事をしながら
「あと何年生きるか分からんからね」
と、笑いながら言った。
あと2年で米寿。それにしちゃあ元気な祖母だ。

腹落ちしたから、祖母の言葉もストーンとわたしの中心に落ちてきた。
わたしの心の奥からぽたりとこぼれ落ちてきたきもち。
祖母に向けてぽつんと放った言ってはいけないはずの一言が、わたしを一番楽にしてくれた決定的な言葉だった。

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