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本棚に本があっても賢くならない

わたしの趣味は本を読むことだ。
だけど、もうひとつの趣味は本を買うことだ。

今まで気になる本は片っ端から全部買ってきた。

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これらはすべて紙の本で、わたしの前に在る。
大層なタイトルと大層な帯と大層なレビューを背負って、わたしの前に在るのだ。

紙の本のいいところは、書き込んだり人に貸したりと物理的な利便性にあるが、重たい。
そしてスマホをいじりだすと、紙の本なんて開かない。

ただわたしの本棚の片隅でホコリをかぶり続けるのだ。
3ページくらいしか読まれずに放置されている本が、本棚にいったい何冊在るのか。

怖くて数えるのを辞めた。


紙の本は装丁も美しい。
どっしりと存在感もある。

だから、きっと……
勘違いしてしまう。

わたしの本棚に新しい本がきたら、わたしは勝手に賢くなれるって。
1ページも読まずに、おカネさえ払って本棚にお納めしたら、わたしの脳みそまで賢くなれるって。

本気で思っているわけじゃない。
そこまで夢見がちではないはずだ。


だけど。
買っただけで賢くなった気になって満足する持病は、ずっと抱えている気がする。

そして内容がむつかしかったり、フィットしなかったりで、読み進められなかった本に、わたし自身が負けたと思いたくなかった。

本のほうが絶対賢いよ。
大前提として絶対そう。


でも、わたしの怠け心なんだろうなぁ。

ナニカになりたくて。
ナニモノにもなれなくて。
出口が見えないまま、わたしはこのまま終われないって思って。

求めた先はもちろん努力なんだけど、だけど。
「本を買ったから大丈夫」って安心する自分がいたことは、否めない事実だ。

情けないけれど、わたしは買った本の内容をすべて吸収してスキルに替えられなかった。
本の表紙と前書きを見ただけで賢くなれるような、異次元の天才でもなかった。

どんな本を買ったって、わたしはわたしのままだ。


それを認められないから、手放せない本がたくさんあった。

字面だけで賢そうな分厚くて高い本ばっかりね。

ITパスポートとか。
セールスライティングとか。
マーケティングとか。
コンテンツ戦略とか。
Adobeの複雑なソフトの使い方とか。


ね、もう見た感じで頭良さそうでしょ?
こんなこと思って満足してる時点で、なんにも賢くないし、どんだけ自分の適性無視してるんだって感じなんだけど。

やっと認められた。
この本たちは憧れのカタマリだけど、わたしの血肉にはなってくれないってこと。

できないもんはできないし。
理解できないもんは一生理解できない。

本棚にぎっしり詰まっていた、わたしの虚栄心と羨望と焦燥感と承認欲求を、全部手放すことにした。


「よし、売ろう」

ついでだからストーリー性も興味もない歴史書とか、新刊を買い揃えて満足した流行りのマンガも手放すことにした。

「オタクなら持っとくべき」みたいな本を持ってない自分はオタクじゃないのでは?とか、そういういらんことまで考えていたらしい。

もうこの際だ、全部手放そう。

手放して、うちの子たちとハマっているアニメの原作コミカライズ本をまとめて買おう(結局買うんかい)

昔の推しの雑誌とか。
重苦しくて見られない映画とか。
惰性で買い集めた子どものころ好きだったマンガとか。

「これいらない」
「これもう読めない」
「この絵はもう疲れた」
「この作者の思想しんどい」

本を1冊ずつ自分の心に沿うか考える

今のわたし、こういうお話しはいらないんだな。
5年前のわたしなら、きっとこれ好きだった。

「いつか読むかも」なんて幻想だ。
「買っただけで賢くなる」も同じくらい幻想。

ゆめものがたりみたいな幻想を抱えていたわたし、お疲れ様。
苦しかったね。
「ナニカにならなきゃ」って焦り続けていたことが、本の表紙から伝わってくる。

今のわたしはナニモノにもなれなかったし、賢くもないけれど、まあまあ楽しいししあわせに生きている。

おカネはあんまり持ってないけれど。
おカネ以外は足りないもの、もうないよ。


ダンボール4箱分の「挫折」は、いまのわたしをつくるために必要だった。
絶対に。


オタクやるのも命懸け(そんな大袈裟なものではない)

これを突き詰めたら宗教家になれるかもしれないと思うなど(飽き性には不向きだ)


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