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スタートライン~努力は、孤独だ。 武田鉄矢・海援隊 贈る言葉から初恋のいた場所へ四つの歌詞テキストを読む


はじめに

 妻に海援隊のコンサートに連れて行かれたとき、彼女が一番好きだと言って聞かせてくれた曲が「スタートライン」だった。
 「贈る言葉」「スタートライン」「新しい人へ」「初恋のいた場所」——これら四曲は、武田鉄矢が主演したドラマ『3年B組金八先生』の各シリーズ主題歌として広く知られている。海援隊のボーカルとして武田鉄矢が作詞し、長年にわたって歌い継がれてきた曲たちだ。
 楽しそうに歌っている。でも私は素直に一緒に歌えなかった。歌詞をよく聞くと、これはかなり厳しい歌だ。「一人ぼっちになるためのスタートライン」「闇に向かって走り出すためのスタートライン」——努力とは本質的に孤独な営みであり、他者と交わらないものだ、とこの歌は言っている。意味がわかって歌っているのかな、と思った。
 そこから歌詞を読み込んでいくうちに、「スタートライン」と同じ構造が他の曲にも見えてきた。「新しい人へ」「初恋のいた場所」。後の三曲は、表面はいい歌に聞こえる。でも歌詞をきちんと読むと、一貫して同じことを言っている。価値あるものは孤独であり、他者と本質的に交わらない。
 逆に、最初に知っていた「贈る言葉」を読み直すと、これは違う。呪いの言葉にしか聞こえない。失恋の痛みをそのままぶつけた負け惜しみの歌だ。しかしそれが、後の三曲と並べると、別の意味を持ち始める。
 本稿は、その読みの整理だ。四曲を歌詞テキストとして並べて読むと見えてくる、二重の軌跡を辿る。一つは孤独というテーマの深化——「自ら孤独を選ぶ」命令形から、「孤独を与えられる」完全な受動へ。もう一つは表現技法の純化——直接的な生の叫びから、情景による静止へ。
 なお、私はこれらを歌詞テキストとしてのみ知っている。背景のドラマも、作者の意図も知らずに読んだ。その分、テキストそのものが語るものだけが見えた、と思っている。

一 出発点としての「贈る言葉」(1979年)

 これは卒業ソングではない。失恋の痛みをそのままぶつけた、負け惜しみの歌だ。
 情景描写は「暮れなずむ町の光と影の中」という美しい冒頭で始まる。しかしすぐに、説明的な感情の羅列に崩れ落ちる。「私ほどあなたの事を深く愛したヤツはいない」という言葉は、別れの瞬間に言うには重くてグロテスクだ。未練と説教がドロドロにこぼれ落ちる。
 生の言葉、直接的な表現が多すぎて、痛々しい。
 しかしこの曲が重要なのは、二つの意味で後の三曲の起点として機能するからだ。
 一つは技法の起点として。情景描写から始まりながらも、すぐに生の言葉に崩れ落ちるこの構造は、後の曲が情景による純粋な間接表現へと進化していく出発点として位置づけられる。
 もう一つは、テーマの伏線として。この曲の世界——未練、執着、生々しい感情——は「生きていくうちに心は少し濁った」世界線だ。「初恋のいた場所」の最終連がその世界線を「濁ったもの」として相対化するとき、この曲が静かに伏線として回収される。

二 孤独の命令形——「スタートライン」(1995年)

 努力は孤独だ、とこの歌は言っている。楽しそうに歌っているのを聞いて、意味がわかって歌っているのかな、と思った。
 冒頭の情景——夜明け前の薄暗い道、誰かがもう走っている、自分の汗で自分を暖めて寂しさ目指して走る人がいる——は、努力の孤独を遠景として描く。「贈る言葉」と比べると、情景がすでに主役に近づいている。
 しかしサビに入ると、「今 私達に大切なものは」「今 私達に必要なものは」と、同じことを繰り返しながら、二度「スタートライン」という言葉を突きつける。他人の努力は、意識して感じ取ろうとしないと分からない。自分の努力は、他人ではない自分でスタートラインを引いてはじめるものだ。この歌は、その孤独を執拗に提起している。
 この感触を哲学的に言語化するならば、とひとまず括弧に入れた上で、ハイデガーの『存在と時間』で言うダーザインの本来的存在を借りてみたい。日常の「世人(das Man)」——みんな上手にふざけて生きる馴れ合い——から離れ、不安(Angst)の中で自ら「一人ぼっちになる」決断(Entschlossenheit)をせよ、というあの思想に、この歌の厳しさは重なる。もちろんこれはあくまで読みの補助線であって、作詞者がハイデガーを意識していたわけではない。
 ただし、この厳しさは徹底されていない。二番の「雨が降ってる町の公園で 誰かが一人濡れている」「素直な奴ほど傷ついてしまう」「たったひとつの別れの為に真っ直ぐ涙を流す」では、「贈る言葉」の未練がまだこぼれ出ている。命令形の厳しさと、解消されない弱さが未解決のまま並存している。
 この未解決さが、この曲を中間段階として機能させる。孤独を選べと命じながら、まだ孤独になりきれていない。次の曲への橋渡しはここにある。

三 日常の引き受け——「新しい人へ」(1999年)

 孤独を引き受けて、それでも日常へ戻れ。厳しさが一度だけ、静かに割れる曲だ。
 「スタートライン」は日常から孤独へ向かえという命令だった。「新しい人へ」は逆方向を描く。孤独を経た者が、終わりなき日常へと戻っていく過程だ。
 この曲は、坂道を自転車でこぎ続ける「君」を、ただ見ている「僕」の語りで進む。君は一度も語らない。僕が君に関与した形跡もない。この非対称が、曲全体の構造を決定している。
 情景描写はさらに詩的になる。坂道を登る君、汗と一緒に涙をふく、冬を選んで咲く花——動きのある、色のある描写が続く。「スタートライン」より情景が主役に近い。
 坂の最初の部分で、「僕が押してあげるね」という一言が入る。しかし本当に押したのかさえ、テキストは語らない。届くかどうか分からない中で発せられた、この曲唯一の語りかけだ。価値は交わらないという真実を知った上で、それでも、せめてはじめの坂道だけは——という無力な優しさの発露として、この一言は機能する。
 そして坂の上に着くと、かろうじて成立していたかも知れない僕らは、君と僕になる。君は空を一瞬見上げる。飛んでみたくなるような空だ。しかし君はそこへは向かわない。振り返らずに、悲しみばかり染み込んだ街へ——坂を上る前にいた、あの日常の場所へ——一人で降りていく。
 これは幸せの発見ではない。高みを見ながら、それでも日常へ戻っていくという身振りだ。肯定でも否定でもなく、引き受けだ。孤独を抱えたまま、終わりなき日常を強く生きよ——そのテーゼが、この曲の構造に刻まれている。
 「スタートライン」が「孤独を選べ」という命令形だとすれば、「新しい人へ」は「孤独を引き受けて、日常へ戻れ」という促しだ。そして次の曲で問われるのは、その日常を生き続けた者の、原点への問いになる。

四 孤独を与えられる——「初恋のいた場所」(2004年)

 初恋は向こうからやってきて、語り手を圧倒し、一方的に孤独にする。誓いの言葉で時は永遠となり、また、動き出す。
 前の三曲と決定的に異なるのは、主体がi一見何もしていないことだ。
 「スタートライン」では、主体は孤独を選ぶ。「新しい人へ」では、主体は孤独へ向かう君に語りかける。しかし「初恋のいた場所」では、初恋は向こうからやってくる。世界を止めるのも初恋だ。語り手は止められ、積もられ、孤独にされる。完全な受動だ。
 この変化が、四曲の軌跡の核心にある。孤独の主体が変わるのだ。「孤独を選ぶ自己」から「孤独を与えられる自己」へ。

一番——静止の発生

 太陽と海という圧倒的な外部存在が、世界ごと止める。

陽差しのように あなたはやって来たのです
生まれて初めて 海を見た子供のように 立ち尽くしていた

 語り手は完全に受動的だ。初恋は命令によって訪れるのではなく、太陽のように、ただやってくる。そしてその瞬間、世界が止まる。

二番——静止の内側

 世界はすでに止まっている。その中で、色も音も時間も消えているのに、感情だけが積もっていく。

散る花のように あなたはやって来たのです
騒がしかった 心は 雪の夜のように 静まり返った


 花びらと雪は、静止した空間の中での無音の堆積のメタファーだ。動いているのに音がない。これは矛盾ではなく、静止の質感そのものだ。色が消え、音のない世界、時間もない世界の中で、ただ感情だけが振り積もっていく。

誓い——静止からの能動

 そして唯一の能動性が、この完全な静止の中から生まれる。

見わたす限りの 空に誓った ただひとつ
涙の準備は していますから 愛します

 涙を流すことを知りながら愛すると誓う。叶わないことを最初から知りながら。この誓いだけが、この歌詞で語り手が能動的に発した言葉(意思)だ。
 清らかなものは、見返りを求めない誓い——意思、決断——として提示される。

静止点の永続

 そしてその静止した絶対点は、時間が動き出した後も、消えずに原点として残り続ける。

生きてゆくうちに 心は少し 濁ったけど
だけどあなたのいた場所だけは あの時のまま 少年のまま 澄み切っている

 「贈る言葉」の世界——未練、執着、生々しい感情——は「心が濁った世界線」として相対化される。「贈る言葉」が技法の起点であると同時に、このテーマの伏線として回収される瞬間がここだ。

おわりに——孤独の軌跡

 四曲を通して、孤独の質の変化として読むと、一つの軌跡が見えてくる。
 「贈る言葉」では、孤独になれない。生の叫びが漏れ続ける。「スタートライン」では、孤独を自ら選ぶことを命じる。しかし未練がまだこぼれ出ている。「新しい人へ」では、孤独を引き受けて日常へ戻れと促す。届くかどうか分からない優しさを一度だけ投げかけながら、それでも振り返らずに歩け、と。そして「初恋のいた場所」では、孤独はもはや選ぶものでも引き受けるものでもなく、ただ圧倒的な存在として現れる。
 完全な受動の中からだけ、純粋な能動性——「涙の準備はしていますから愛します」という誓い——が生まれる。
 表現技法もこれと並走する。直接的な生の叫びから始まり、情景描写が徐々に主役になり、最終的に「絶対的な静止」として色も音も消えた世界に到達する。感情は直接語られず、情景に溶け込み、やがて静止点として永続する。
 やはり、価値は交わり合えないのだろうか。しかしその孤独は、「初恋のいた場所」において、呪いでも命令でもなく、少年のまま澄み切ったものとして、静かにあり続け、胸に残る。

 最後に一つ。妻にこの読みを話したとき、「努力は孤独だ」という歌の世界観をどう説明したものか迷った。そこで、あなたが大変な努力をしたとき、その営みは孤独ではなかったか、と問いかけた。妻はしばらく考えて、途端に理解してくれた。そして、この詩をもっと好きになったと言った。価値は交わらない、とこの歌は言う。しかし言葉は、思わぬ形で届くことがある。妻は今、自身のスローガンを「スタートライン」にしている。

注釈・出典 本稿で引用した歌詞の著作権は、作詞者および各権利者に帰属します。noteのJASRAC等との包括契約に基づき、批評・研究の目的で引用しています。 それぞれの章において、カギ括弧、または、太字で本文と区別しています。引用楽曲は、本文タイトルのものです。**引用楽曲一覧(全作詞:武田鉄矢)** * 「贈る言葉」海援隊(作曲:千葉和臣) * 「スタートライン」海援隊(作曲:千葉和臣) * 「新しい人へ」海援隊(作曲:中牟田俊男) * 「初恋のいた場所」海援隊(作曲:千葉和臣)

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歴史論考・津和野歴史再発見シリーズ・その他論考をまとめています。

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