振り回した最初の男|あの日のわたしに会いに行く
中3の春は、涙でスタートした。
クラス替えで、わたしは親友たちと離れてしまったのだ。
悲しみにくれて泣いているところに、担任が通りかかった。
「どうしたのか?」
涙が止まらないわたしは、多くを語れなかった。
「担任が悪かった」
吐き捨てるように言ったそのひとことで、片づけてしまった。
その日は、帰宅後もいじけていて、早々にふて寝してしまった。
「わたしが悪かったのでしょうか?」
そう言って、担任がやってきたらしい。
翌朝、わたしは、そのことを知った。
「あなたが心ない言葉を吐き捨てるから、先生が困ってたじゃない」
と母親に呆れられた。
まさか、担任がやってくるなんて、と驚いた。
学校に行きたくない。
担任にも会わせる顔がない。
でも、当時はまだ不登校という言葉もない時代。
休むことは許されない。
「昨日は、すいませんでした。」
担任が嫌だったというのも、多少はある。
でも、ここは、とりあえず謝っておいた。
このクラスは、まとまりのないクラスで担任も手をやいていた。
わたしは、時間をみつけては家庭科室や保健室に逃げ込んでいた。
そんなわたしに、
「クラスの接着剤になってくれないか」
と、担任から頼まれた。
2年連続持ちあがりの担任だったということもあって、多少は気心も知れていたけれど、クラスに馴染んでいないわたしにクラスをまとめろとは、どういう神経をしているんだかと思った。
それまでのクラスの中心にいるような明るいわたしとは、まとっている空気が違ったのに。
ただ単に無神経だったのかもしれない。
でも、担任自身も苦しんでいた。
「俺も嫌だ」
多分、その言葉を聞いたのは、わたしだけだと思う。
結局、クラスはまとまらないまま卒業した。
それでも、この担任とは特別な絆みたいなものができていた。
教育実習で母校へ戻ったとき、わたしたちは教師と生徒というより、子弟コンビのような距離になっていた気がする。
多少は、ご自慢の教え子になれたのかもしれない。
二十代の頃には、親戚の子との見合い話まで持ってこられた。
そこは失礼のないよう丁寧にお断りしたけど。
うん、あれは上手に大人の対応ができたな。
定年退職後の勤め先が、当時、わたしが働いていた職場と近かったので、20年ぶりくらいに会いに行った。
長い前髪を指でかきわけるのが特徴だったので、前髪がなくなっていたら、また失礼な言動をしてしまいそうだなと思いつつも、勇気をだして行ってみた。
白髪まじりにはなっていたけれど、あの頃と変わらない担任がいた。
それから、まもなくして、入院したと聞いた。
2度ほど、お見舞いに行った。
がんだったらしい。
「髪の毛が抜ける」と言えば、
「病気じゃないひとも抜けてるよ」と答え、
「ご飯の匂いではきそうになる」と言えば、
「妊婦もつわりのときは、そうだよ」と答える。
くそ生意気なガキは、相変わらずの態度で励ました。
けれど、
「抗がん剤の効果がないんだ。モルモットにされているようで嫌だ」
と、とても弱気になっていた。
担任の頬に涙が流れた。
見てはいけないような気がした。
わたしは、ただ、そこで見守ることしかできなかった。
「お前は強いな」
っていわれた。
そのあとすぐ、ホスピスへ行ったらしい。
お葬式の連絡は、奥さんからだった。
同級生に声をかけ、皆でお葬式に参列した。
中学時代、果たせなかった接着剤の役割を少しだけ果たすことができた。
わたしは、転職を繰り返していた時期だったので、最期まで心配をかけてしまったと思っていた。
でも、お葬式のとき、
「『あなたは大丈夫』って言っていましたよ」
って言われた。
先生、逝くの早いよ。
もっとわたしのやんちゃを見てて欲しかったのに。
わたしは先生をずいぶん振り回した。
でも──
助けて欲しかったのは、先生もわたしも同じだったんだと思う。
わたしが、振り回した最初の男だったのかもしれない。
【この物語はまだ続きます】
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