【第1章】壮絶な出産⑤ICUで目覚めた私が知った出産の真実と奇跡の回復
これは「命のふちで出会った私たちの物語」第1章『壮絶な出産』の第5話です。
前回(第4話)はこちら↓
目覚めた私の混乱
私の意識が回復したのは、あれから丸一日たった朝だった。
私は、気づいたらICU(集中治療室)のベッドの上にいた。
天井を見上げながら、ピコピコと鳴るモニターの音と
慌ただしく動く看護師さんたちの様子を見ながら、
状況がよく理解できずにいた。
声を出そうとするけれど、出せない。
呼吸がうまくできず、喉に何かつっかえている。
「何これ?今は何日?何時?私なにしてんの?あれ?赤ちゃんは??」
自分の置かれた状況全てが、謎だらけ。
ただ、窓の外に雪が降っているのが見えたので、
きっと出産したあの夜が明けて、
お昼ぐらいになったのだろうとぼんやりと思った。
救急車で病院に来たところまでは、覚えている。
私はたしか、手術をしたんだよな…
まさか自分が生死をさまよっていたとは、夢にも思わなかった。
その時の私は人工呼吸器のチューブが挿入されていて、
身体にはたくさんの管がつけられていた。
手足はベルトでぐるぐる巻きにされ、
マッサージ器のようなベッドの上で固定されていて、
全く身動きがとれなかった。
「そうか、手術したもんな…手術の後ってこんな感じなんだな」
私はそんな風に軽く考えていたが、
目の前にいた夫は目を真っ赤に腫らし、
ものすごく憔悴した表情をしていた。
赤ちゃんのことを知りたい
「よかった……起きた……」
私が起きただけで、そんなに喜ぶなんて大げさだな。
と、何も知らなかった私はそう思っていた。
私は夫の手の平に
筆談のように人差し指を動かし、
一番に聞きたかったことを聞いた。
「あ、か、ちゃ、ん、は?」
呼吸器のせいで、息苦しくて仕方ない。
でも、次女が無事に産まれたのかどうかを、真っ先に知りたかったのだ。
夫は
「ちゃんと産まれたよ。今は別の病院で治療を受けてるから、安心して。」
と言って、一枚の写真を見せてくれた。
産まれたばかりの小さな赤ちゃんは、
口と鼻にチューブが付けられていた。
頭にも何か巻かれていて、
身体にもたくさんのチューブがつけられていた。
上の子の時に当たり前のように経験してきた、
可愛らしくふっくらとした新生児の姿とはまるで違う、
痛々しい次女の姿に、私は胸がぎゅっとなった。
ほんとうは、次女のことを聞くのが、少し怖かった。
でも、こんな状態とはいえ、
この世に誕生してくれて、生きてくれていたんだ。
そのことだけで、十分だ。
この時の私は、次女が無事だったということに、心からほっとした。
おめでとうと言われなかった出産
私はあの夜、お腹の赤ちゃんが
何らかのダメージを受けるであろうことは覚悟していた。
「ちゃんと生きているんだろうか…私が眠っていた間に、
いなくなってしまったんじゃないか…」
そんな不安がよぎったけれど、赤ちゃんは奇跡的に生きていた。
今ここにいないから、出産した実感がわかない。
産んだことを覚えていない出産なんて、初めてだ。
「おめでとう」と言われない出産も。
赤ちゃんを抱けない、顔を見られない出産も…。
眠っている間に起きた事実を知って
夫も、出産を喜ぶような雰囲気は一ミリもなく、
なんだかすごく、疲れている様子だった。
私に気を遣って、平常を装っているのが伝わってきた。
今は何日で、上の子たちはどうしているのだろう?
私は何でこんな風になってるんだろう?
私は、紙とペンを用意してもらい、
そこからは筆談で夫にいろいろなことを聞いた。
私は数時間寝ただけだろうと思っていたので、
「今日は何日?」と聞いて返ってきた答えに、驚きを隠せなかった。
この一日で、私と次女に
何が起こっていたのかを、少しずつ聞いた。
夫はたびたび感極まって涙ぐみながら、一つ一つ話してくれた。
「またこんな風に話ができているなんて、信じられない…」
命が消えかけていた私と今話をしている状況を
「ありがたい…」と、何度も何度もかみしめていた。
私はここで初めて、自分と赤ちゃんの命が危なかったことを知った。
今ここにいて、こうやって夫と話している自分は、
命のふちから生還した自分なのだ。
そう思うと、なんだか自分が自分じゃないみたいな、
不思議な気持ちになった。
今はとにかく早く退院して、赤ちゃんに会いたい。
そして上の子たちのことも、心配だ。
ICUの面会時間は朝、昼、夕方の3回、
それぞれ一時間までと限られていて、
夫や両親が何度か交代で来てくれた。
ICUは大人しか面会を許可されていないので、
子どもたちが夫の実家で元気に過ごしていることを聞き、安心した。
奇跡的な回復
その後私は少しずつ回復し、人工呼吸器が外れ、
だんだん普通に会話や軽い食事もできるようになっていた。
赤ちゃんに届けるため、私の匂いを
タオルに染み込ませたこともあった。
夫は私のところに来る前にNICUに通って、次女に会いにいっていた。
面会以外の時間は何もすることがないので、
天井や窓の外を見ているしかなかった。
一人になると、次女のことばかり考えた。
生きていてくれさえすれば…
赤ちゃんは、生きている。
「元気な女の子」ではなかったけれど。
「どんな障害が残ってもいい、とにかく生きていてくれさえすれば…!」
あの過酷な状況で、命があっただけでもありがたいと思った。
そのときは、確かにそう思っていた私だが、この後、絶望の淵に立たされることになるのだった。
その後私は、誰もが驚くほどのスピードで回復した。
「後遺症が残るかもしれない」と
言われていたにもかかわらず、
わずか3日ほどでICUから一般病棟に移ることができた。
しかし、一般病棟に入った私に、
またすぐ次の試練がやってくる。
次回は、そのことをお話します。
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