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《読書感想文》ツナグ 想い人の心得/辻村深月

この作品は『ツナグ』の続編である。『ツナグ』を読んだ時は続編があると知らなかったが、私が使っているアプリ「ブクログ」でおすすめに出てきたため、続編の存在を知ることができた。ブクログさまさまである。


生者からの依頼により、その人が希望する死者と一晩だけ会わせることができる「使者ツナグ」。
その役目を祖母から引き継いだ青年が、様々な依頼を受けてたくさんのことを考え、人間的に成長していくという物語である。




私には、最近ずっと考えていることがある。

代わりのいない人間なんて、いないのではないか、ということだ。


直感に反する考えである。倫理にも反するかもしれない。
もちろん私も、すべての関係性においてこの考えが成り立つとは思っていない。
親子などの血縁関係は代わりなどいない、唯一無二であることはわかる。遺伝子のキャリアという意味で、理論上も代わりはいない。


だが、一見「唯一無二」だと思える人も、よく考えてみると意外にそうではないのかもしれない、と思うのだ。


例えばアインシュタイン。
彼の名前を聞けば、反射的に相対性理論が思い浮かぶ人は多いだろう。

しかし、もし彼がいなかったら、きっと他の誰かが相対性理論を見つけていたのではないだろうか。


私が言いたいことの一つは、そういうことで。
ただこれは、マクロの視点で「もし特定の人が存在していなくても、世の中は存外変わっていなかったのではないか」という話である。


よりミクロな視点における「人の代替可能性」について考える糸口になった話が、本作品の中にあった。


本作品の最終章であり、サブタイトルでもある「想い人の心得」である。


この章における依頼者は、蜂谷茂というおじいさんである。
会いたい死者というのは、彼がまだ10代の時に、板前として住み込みで修行していた料亭の一人娘、絢子。
蜂谷は絢子に恋をしていたが、身分差があり到底叶わぬ恋であった上に、彼女には決まった許婚がいた。
彼女は生まれつき病弱で、16歳で死んだ。


印象に強く残ったのは、蜂谷と絢子が再会した時の会話である。


絢子は蜂谷に尋ねる。
自分を覚えているために、まさかずっと独り身でいたのか、と。

蜂谷は答える。
結婚して子供もいる。自分の店も、今は長男が切り盛りしている、と。


絢子は言う。

「うちのことを憧れやのなんやの言うといて、皆、うちがいいひんでもちゃあんと幸せやないの」


私はうんうんと頷いた。
そうなのだ。彼の場合はそもそも叶わぬ恋だったが、たとえ恋人や婚約者であったとしても、その人が死んでしまったのなら、多くの場合なんやかんや代わりは見つかる。


だから思う。
代わりのいない人間なんて、いないんじゃない?と。


だからもし私が蜂谷だったら「まあそうですね。誰が死んでも結局はそうなるんですよ」と言うかもしれない。死者への言葉としては最悪である。


しかし、蜂谷はこう答える。

「幸せでしたけど、それでも、誰一人、あなたのいない人生でよかったと思った者はいませんよ」
「本当はずっとあなたと時を過ごしたかった。運命が少し違って、今の自分の店も家族も持てなかったとしても、それでも、選べるならあなたの生きている世界で、私は生きたかった」


完全に納得したわけではない。
だが、きっと「かけがえのなさ」を理解するヒントが、ここにある、と感じた。





私は脳内で理屈をこねくり回しているが、実際に身近な誰かを喪ったことは、まだほとんどない。
しかし生きていれば、そういった出来事を嫌でも経験することになる。


「かけがえがない」ということは、きっと理屈ではなく、経験で理解するものなのだろう。

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