「男と女は違う生き物」という幻想
最初に一言、断っておく。
この記事は、私自身の性自認・性的指向の話ではない。
むしろ、多数派である「男女の恋愛」を前提にして考察している。
巷でよく、「男と女は考え方が違う」「男には女心がわかっていない(逆も然り)」という考えを耳にする。例えば男は論理的で、女は感情的だとか、男は解決策を欲しがり、女は共感を欲しがるとか。
そして最後には「男と女は結局分かり合えないよね」などと結論づける。
最近ようやく、人間を性別で一括りにするのは如何なものかという考えが普及して、少なくとも公の場でそんな発言をする人は激減したように感じるが、それでも雑談レベルの会話ではまだまだこういった考えが散見される。
しかし、本当にそうだろうか?
大前提として、男だろうが女だろうが、人それぞれが違う生き物だし、誰かと分かり合うこと自体がそもそも難しい。ここに異論を持つ人はあまりいないだろう。
それでもなお、同性の考え方は理解できて、異性の考え方は理解できない、と感じるなら、私はここに、二つの理由があると考える。
一つ目は、同性の友人が多いからだ。
多くの人は、気が合う人と友人になる。友人になるくらいだから、相手の考え方も、比較的理解しやすい。であれば、「同性=理解可能」という図式が出来てもおかしくはない。
実際、同性であっても、何だかそりが合わない人はいるはずだ。「どうもあの人のことはよくわからない」という人は誰でも思い浮かべることができるのではないだろうか。
それでも気が合わない人とは、なるべく関わりを避けるから、結果的に「同性はやっぱり考え方が似ている」という感覚が強化される。
二つ目は、多くの人が異性を恋人にするからだ。
一般に、恋人に対しては「自分のことをわかってほしい」「言わなくてもわかるはず」「どうしてわかってくれないのか」という思いが強くなる。その期待値の大きさたるや、およそ友人とは比べ物にならない。
しかし、先ほども述べたように、恋人だろうと自分とは違う人間であることに変わりはなく、密なコミュニケーション抜きでは誤解やすれ違いが生まれるのも当然である。それなのに以心伝心を期待して、自分の考えや気持ちを伝える努力を怠ってしまい、結果「この人は自分のことを何もわかっていない」とか「この人はこんなに怒っているけれど、自分の何がそうさせたのかわからない」という不満が溜まっていき、最終的に「どうも女(男)はわからない」と首を捻ることになる。
これらを踏まえて考えるに、「男と女は別の生き物」という考えは、結局のところ、私たちが人間一人ひとりと向き合う認知コストを下げようとして行った、簡易的なラベリングに過ぎないのではないだろうか。
