《短編小説》ひとりごとが返ってくる
ひとりごとがやめられなくて、仲間外れにされていた。
「お腹すいたなあ」「今日は寒いなあ」から始まり、テスト中にまで「これ何だったっけ?」と呟いたりするものだから、先生にも何度も注意されたし、クラスメイトからも「うるさい」と苦情が来た。
それでもついつい口に出してしまうから、友達が一人もいなかった。
ある日、僕は一段と落ち込みながら、とぼとぼと下校していた。
体育でペアを作るのに、誰も僕と組みたがらなかったからだ。
クラスの人数は偶数だったのに、余ったヤツは僕と目を合わせず、黙って三人組を作った。
僕は何も言えず、一人でボールを壁に当てていた。
先生も、見て見ぬふりをしていた。
僕はふと歩道を外れ、そばの石段を下りた。
その先には、校庭くらいの大きさの池が広がっている。
たまに水難事故が起きるので、一人で行ってはいけないと大人たちに言われていたが、どうしてか、引き寄せられるように近づいた。
ほとりに座る。
波ひとつ立っていない水面を眺めていると、心が落ち着いた。
しばらく、考え事をしていた。
ひとりごとをやめられない自分のこと。
そんな自分を白い目で見るクラスメイトのこと。
僕がクラスで浮いているのを気づいていながら、気づかないふりをする先生のこと。
「寂しいな」
思わずまた、ひとりごとが漏れた。
「寂しいな」
誰かが言った。
…え?
辺りを見回す。
人が隠れる場所は、どこにもない。
そして、誰も見当たらない。
気のせいか。
そうに決まっている。
「寂しいな」
もう一度、呟いてみる。
「寂しいな」
やっぱり、間違いなく聞こえた。
不思議と、恐怖は感じなかった。
やっと、僕を無視しない存在が現れたのが、嬉しかった。
「お腹空いたな」
「お腹空いたな」
「帰ろう」
「帰ろう」
「君は誰?」
そう問いかけてみると、急にしんと静まり返った。
「どこにいるの?」
沈黙。
「帰るか」
「帰るか」
また、聞こえた。
ひとりごとにだけ反応する、やまびこのようなものだろうか。
それでも良かった。
僕の言葉に返事をくれるというだけで、気持ちが明るくなった。
それから僕は毎日、帰りに池に寄るようになった。
何をするというわけではない。考え事をし、たまにひとりごとを言う。すると、そのまま返ってくる。その繰り返しだ。
たまに「誰なの?」とか「出ておいでよ」とか言ってみたが、やはり沈黙が返ってきた。
不思議なもので、この池で安心してひとりごとを言うようになってから、他の場所では言わなくなった。
先生にも褒められたし、話しかけてくれるクラスメイトも徐々に増えてきた。一緒に帰る友達さえできた。
いつしか僕は、池に寄らなくなった。
ある日の昼休み、僕は友達と些細なことでケンカをした。
野球で、僕は絶対セーフだと主張したのに、審判代わりの友達がアウトだと言って譲らなかったからだ。
いつも一緒に帰る友達だったから気まずくて、僕はホームルームが終わるや否や教室を飛び出した。
走って走って、石段を駆け下りて、久しぶりに池の前に来た。
「嫌だなぁ」
呟く。
「嫌だなぁ」
やっぱり、返ってきた。
「悲しいな」
「悲しいな」
「ひどいよ」
「ひどいよ」
ひとりごとが繰り返される度に感情が高ぶり、僕は思わずぶちまけていた。
「タカシくんひどいんだよ。マモルくんがキャッチするより僕がホームベースに還る方が早かったのに、アウトだって言うんだ。『審判の言うことは絶対!』なんて威張っちゃってさ。きっとマモルくんと仲がいいから、えこひいきしたに違いないんだ」
怒鳴っているうちに悲しみが溢れ、僕は泣いてしまった。
十分くらい思い切り泣いたら、かなりスッキリした。
静かな池が、全部受け止めてくれたのだ。
僕はため息をひとつついて、池を後にした。
幸い、泣き腫らした顔を誰かに見られることもなかった。
次の日登校して、「あのさ」とタカシくんに声をかけると、彼は険しい顔で振り向いた。
「お前、オレのことあんなふうに思ってたんだな」
「え?」
意味がわからなくてポカンと口を開けると、「とぼけても無駄なんだよ」とたたみかけてきた。
「審判だから威張ってるって?マモルのことひいきしてるって?」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
あの場にいたのは絶対に僕だけだ。周りには誰もいなかった。
「誰がそんなこと言ってたの?」
「はあ?お前が自分で言ってたんだろ。あの石段の陰に隠れて悪口言ってたの、オレ、全部聞いてたんだからな」
確かに言った。
確かに言ったが、僕は石段の陰になど隠れていない。
池全体は、歩道からでもよく見える。もし本当に僕が一人で怒鳴っているのを聞いたのなら、僕の姿も見えていたはずだ。
「タカシくん、悪口言ってる僕のこと、見た?」
「何だよ、また疑うのかよ。あれは絶対お前の声だったよ。とにかく、お前とはもうゼッコーだからな!」
そういうとタカシくんはプイッと顔を背け、他の男子たちと一緒に教室を飛び出して行った。
心臓が嫌な音を立てている。
悲しみは感じなかった。
絶交されたことよりも、その場にいなかったはずの僕の声がタカシくんに聞こえたことの方が気がかりだった。
その日の帰り道、僕は一人で池へと向かった。
水面は相変わらず静かで、波ひとつない。
池の前に立つ。
「寂しいよ」
「寂しいよ」
「またケンカしちゃった」
「またケンカしちゃった」
「君なんでしょ?」
沈黙。
「僕が言ってた悪口をタカシくんに聞かせたの、君だよね?」
沈黙。
「どうして?」
沈黙。
「どうしてそんなことしたの?僕、せっかく友達ができて、学校楽しかったのに」
「…よ」
突然、今までのやまびことは全く違う声がした。
ついに、池が返事してくれたのだ。
「え?」
「…よ」
声が小さくて、よく聞き取れない。
僕はズボンの裾をまくり、池の中に入った。
そんなに、深くはないはずだ。
腰より上まで水が来たら、引き返す。
そう、決めた。
一歩一歩、進んでいく。
水は、足首くらいの高さだ。
「…でよ」
まだ聞き取れない。
池の中央から、声がしていた。
ゆっくりと、進んでいく。
水は、膝くらいまで来た。
「もう少し、大きな声で言ってよ」
「…に、…でよ」
もう少しだ。
僕は足を速める。
もうすぐ、池の中央だ。
太ももに、水が触れる。
「なんて言ったの!?」
僕は大声で聞き返した。
「こっちにおいでよ」
突然、大きな波が立った。
足首を、何かにつかまれる感触がした。
池の中に引きずりこまれる。
「助けて!」
そう叫ぼうとして、激しくむせた。
伸ばした手が、空をかく。
池の中で、僕は自分を引っ張っているものを見た。
僕と同じ年くらいの子供。
全身が真っ黒で、目だけがギラギラと光っている。
僕は、やっと気づいた。
どうして、この浅い池で水難事故が起きているのか。
気づいた時には、もう遅かった。
必死で振り払おうとするが、足をつかむ力はとてつもなく強い。
思い切り子供を蹴りつけ、力が緩んだ隙に、水の上へ顔を出した。息を吸い込む。
「助けて!!!」
喉もちぎれんばかりに叫んだ。
誰も来ない。
つんのめりながら走り出そうとすると、さっきよりも強い力で足をつかまれた。
今度こそ、底まで引きずり込まれそうだ。
このまま、誰にも知られず死んでいくのか。
いやだ。
絶対にいやだ。
涙が溢れた。
「健一!」
歩道の方から、声がした。
タカシくんだ。
マモルくんたちもいる。
「タカシくん!」
「待ってろ!」
タカシくんは転がるように石段を駆け下りて、池にじゃぶじゃぶと入ってきた。
僕の方に手を伸ばす。
僕は、足が抜けそうなくらいの勢いで、走り出そうとした。
その時、
僕の足をつかむ感触が、ふっと消えた。
勢い余って僕は派手に転び、水面に顔を打ち付けた。
「大丈夫か」
タカシくんが、手を差し出してくれる。
僕はその手を、しっかりと握った。
マモルくんが呼んできた先生に、僕はこっぴどく叱られた。
池に棲む子供のことは、話さなかった。
話したら、余計に怒られそうな気がしたからだ。
タカシくんにだけ「ねぇ、あの時何か見えなかった?」と聞いてみたが、「何言ってんの?お前が一人で溺れてただけだろ」と素っ気なく言われた。
それからしばらく、あの石段のそばを通るのが怖くて、必ず誰かと一緒に登下校していた。
どうしても誰とも都合が合わず一人になった日、僕は歩道から、おっかなびっくり池を見下ろした。
ふと、思い立つ。
うんと息を吸い込んだ。
「バカヤロー!」
池に向かって、思い切り怒鳴った。
沈黙。
何となく、そうじゃないかとは思っていた。
歩き出そうとした時、
池の中央で、さざ波が立ったような気がした。
