ギフテッドの中学生時代を振り返ってみた
幼少期の記憶が怒涛のように蘇ってきたついでに、「小学生時代」に引き続き「中学生時代」のエピソードを書くことにした。
私は未就学児の頃から公文をやっていた。
マイペースに勉強を進められる環境が私の性格にピッタリだったため、面白いように教材のレベルが上がっていった。
その結果、何が起きたか。
数学の授業が、とんでもなく暇だったのである。
私は面積図の考え方が理解できなかったので、
連立方程式を立ててつるかめ算を解いていた小学生だったのだが、
中学校ではまず一元方程式からやり始める。
あの「 x+3=6 なら x=3 だよね」という感じの内容である。
暇である。
というわけで、私は教師の目を盗んで、読書に耽っていた。
ある日、見つかった。
本を没収された。
放課後、職員室に来るようにと言われた。
言われた通り、職員室に行くと、硬い顔をした教師が待っていた。
「何か、言うことはないんですか?」
私は真っ直ぐに教師の目を見て言った。
「反省点は、読書が先生に見つかったことです」
ブチギレられた(笑)。
とんでもないクソガキである。
だが、私のタチが悪いのはここからだ。
教師が激怒すればするほど、私は冷静になっていった。
「先生は教科書を読んで授業しているだけですよね。私はもう全部わかっています。誰にも迷惑をかけていないのに、何が悪いんですか?」
教師はもう見たことがないような形相になり、「話にならない」と席を立った。
「反省文を書いてこい」という言葉を残して。
私がまともな反省文を提出しなかったのは、言うまでも無い。
今ならわかる。
学校は「知識」だけでなく「規律」「協調性」をも教える場であったこと。
むしろ、時には前者より後者が優先されうること。
しかし、それこそが、ギフテッドの子供を追い詰める要因の一つになってはいないだろうか?
成績が良いことを鼻にかけて授業を妨害するような行為は当然注意されるべきだが、「授業を聞く他者」と「授業を聞かない自分」の間に明確な境界線を引くことが、本当にそこまで断罪されるべきことなのだろうか?
なお、幸いにして、私の両親は、この件に関して私の味方だった。
「やることをやって、他人に迷惑をかけていないのなら、放っておいてくれればいいのにねぇ」と。
私が学生時代、周囲との摩擦によってメンタルを壊さなかったのは、
私がいかに「変わり者」の烙印を押されても常に味方でいてくれた、
両親の存在によるところが大きかったのだと、
「ギフテッド」が判明した今になって、私は気づいたのだった。
