7月7日で干支が一回り~岩国市錦町大野までトンネル7つ抜けた2014年
あの日、七つの山のトンネルを歩き抜けて運命がそっと向けた先――祈りと語りと、ふるさとの神々へと続く道を十年ぶりに見つめ直す。
A decade after a life‑changing journey through seven mountain tunnels, I revisit the day destiny quietly turned my life toward prayer, storytelling, and the gods of my hometown.
映画『おーい、応為』を観ていたら、この記事を書きたくなった

こんばんは、おはようございます、こんにちは
縁パワメントおじさんの、天地成行(てんち・なりゆき)です

2003年に精神疾患を東京で発症して、新聞社を2012年末に退社し、山口県に戻りました。そして、2014年6月から、障害厚生年金への手続きとともに、10年間を振り返ることになり、これまでのふがいなさが躁に転じることに。
山口県をはじめ、山頭火のようにサンダルで、時に眼鏡なしで、昼夜問わず、一か月程度で4回歩き倒し、精神科病院に初めて入院しました。それまでは主に鬱症状だったわけです
2014年7月7日。母の日記帳にありました
干支が一回りする二日後を「特別な日」として、いろいろ書きます

わたしは、恩師の家に前日泊まって、家に帰らずに北海道まで歩こうと思って、歩き始めました。バスも使ってますが、岩国市の周防高森まで歩いてバスで岩国駅へ。そこでふつうは広島へ行きます。しかし、中国山地を通ろうと、錦町まで清流線を使って、錦町駅から歩き、国道187号線で県境近く、午後11時に警察に保護されたのです。
その時に、「ピュアラインにしき」という道の駅から、7つトンネルがありました

7月7日に生と死の光が交互に訪れた7つの真っ暗なトンネルを抜けて、わたしは世の中の理不尽を、錦川の支流、山深い龍の通り道と崖が横にあり、クマがでる道をサンダルでなにかの声に呼ばれるように上り続けました。一歩一歩。
以下、極まって神様に喧嘩を売る
「だれもしないことを率先して生きてきたよ、神様。ボランティアクラブをボランティアした。英語のクラブの出来損ないも出来が良いやつも、中国山地を2000キロ走って16大学まとめたよ、ギターもってクラプトン歌って。大学院行きたかったよ。でも、就職氷河期で一社受けたら新聞社受かって、ボランティア魂でやった。東京で悔やんだことは、仕事終わりに、駅のホームの向かい側で倒れているおじさんを助けに行かなかったことと、帰り道で神社のそばでだれかが悪そうなやつに囲まれて、いまにも殴られそうだったことを止めもせず、道を変えた。それぐらいだろうか。あとは、みなが『金にならないから・・・』『優先順位にないから・・・』『わたしの仕事じゃないから・・・』『前例がないから・・・』なんてことは全部、高校時代から引き受けてやってきた。なのに・・・だめになっちまったら、こんな感じにただ、いま俺は歩くしかない。朝からたばこも吸ってない。めしもくってない。だれも『勝手にだめになったやつは助けない』そんな日本なんて、地球なんて、神様よ。あなたが修行として、この星をつくったなら、わしはこんな地球なんていらんとおもうぜ、どうだーーー!」
という感じで西中国山地の島根県境で、どの神に向け語り掛けたかもわからない私に警察が保護されたのは、錦町大野の河内神社の近くであったのです。これは水の神様。配神に素戔嗚さま。
わたしの家の近くの末武川は荒神川ともいい。荒ぶる神は素戔嗚である、とするならば、なんと運命を感じた
いまは、下松市の荒神社によく行くし、地域の歴史や文化を掘り起こすようになった。龍神様もだ。そこに、文化人類学・地域学の安渓遊地先生(山口県立大学名誉教授)がいま個人的に「師匠」としてついていただけている奇跡がある。
干支が一周したら、なにかが待っているかもしれない。パチンコに行くかもしれません。よくわかりませんが、少し期待しておきます
こころとからだとご縁を大切に、てんちでした
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おまけ)
保護されたところは、河内神社の横でした。水の神様の神社
そのあたりは、大野という地域。最近こんな悲話があることを知りましたので、大体原文ママで転記します(ママは、てにをはレベルで少し読みやすくしているということで、内容は全くママです)

大野日浦の哀話 不義のえん罪で処刑された人妻
昔大野日浦部落の素封家に「おふう」と云ういたって気だてのやさしい人妻がいた。或る歳の秋頃身ごもりのためはげしいつわりに悩まされ、食物の好き嫌いが甚だしくなったので人目をさけ、その家の下男に与えていたが、いつの間にか誰と云うともなく下男との間に不義密通のあらぬ噂をたてられ、それが主人及び家族の耳にもはいり遂に当時の掟に依り裁かれ処刑されることになつた。
さていよいよ処刑されるその日がやってきて朝から邑中をやせ馬に乗せられ処刑される罪科状を認めた戸板と共に引き廻されたが、その途中馬上から当の「おふうさん」は自分の身肌につけていた腹帯(妊娠のために巻くもの)をサッと外して地上に投げ捨て、歌を哀調込めて口ずさんだのである。
所ふうかい 日浦場のくせか
落ちる木の葉もみな吹きたてる
村の若い衆 これみてお呉れ
歌の文句は「自分はこの通り身籠もりの身体なので食い物に好き嫌いがあり、嫌な食い物をみんなすてる訳にもゆかないので、しかたなく下男に与えたので決して下男と不倫の事実はなかったが、この土地の人達の邪推に依り、あらぬ噂をたてられ、それがため今日こうして御仕置きになるのが残念でたまらない」と云う意味を一片の歌に託し更に「これから後この日浦の沖の橋(今の下大野橋のこと)の川しもで色情関係のため非業の死にかたをした者がいたら妾のたたりと思って呉れ」と言い残し、はかない運命とあきらめ刑場の露と消え果てたと云うことである。
その後数組かの若い人達がこの川下で恋のいけにえとなって、この世を去って逝ったと云うことである。
○付記 この話は筆者の義姉(実兄山本武市の妻で大野黒石家より嫁す)から少年時代聞いたものである。
(『錦町発足二十年記念出版 錦町風土記』 第二編 郷土の故事来歴87,88p)
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障害厚生年金の生活です。制度の外におり、年齢もとり、社会のレールに乗ることが難しいため、noteの活動を頑張ってます。みなさんの「浄財」をお待ちしていますm(__)m