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満身創痍でも、散歩で少しだけ楽になった日【教訓付き】

朝から重なる不調、それでも目は覚めた

またこの感覚か、と思いながら目が覚めました。

朝6時前。最近は早く起きることが増えています。悪いことではないのかもしれませんが、起きた瞬間に背中の腰のあたりにだるさがあり、「今日も万全ではない」と分かってしまうのがつらいところです。

舌の痛みは続いていて、歯茎の腫れも引いていません。めまいや悪寒はそこまでではありませんでしたが、体にはずっと力が入っている感じがあり、どこか神経が張りつめたままでした。

午前中の散歩

朝食のあと、思い切って散歩に出ました。昨日よりふわふわ感は少なかったです。

歩いている間はマイナスのことばかり考えていましたが、帰ってくるとメンタルが少し楽になっていました。体というのは正直なもので、考えの中身がどうであれ、動けば動いただけ何かが変わります。

父の焼きそばと昼食

昼食は父が作ってくれた焼きそば。食後にセフカペンを飲みました。残りはあと2錠になりました。歯茎の腫れはまだ続いていました。

ハガキを持って、2度目の散歩へ

昼食のあと、もう一度散歩に出ました。聴聞会(4/9)への参加ハガキを書いて、それをポストに投函しに行ったのです。ふらつきはありましたがなんとか歩けました。

コンビニを通り過ぎながら「お金を持ってくれば良かった」と思ったのはご愛嬌です。

胃の反応と、諦めの境地

夕方から胃が反応し始めました。吐き気や胃痛ではなく、胃が濡れたような感触です。過去に何度も経験した、あの感覚でした。

消化器科を受診して1ヶ月薬を飲むいつものコースが頭をよぎり、気が滅入り、そして諦めの境地になりました。

悪循環はわかっています。ストレスが胃を刺激して、胃の反応がストレスを増やすんですよね。歯ぎしりが止まらず、呼吸法にも集中できなかったりします。

それでも1つ気づいたことがありました。これまでの呼吸法は「うまくやろう」としすぎていたのだと思います。4カウントで吸って、秒数を数えて、正しくやろうとするほど、体が緊張していました。完璧な呼吸法を目指すこと自体が、過緊張をさらに強めていたのです。

答えはシンプルでした。秒数を数えず、ただ息を長く吐ききるだけでいい。「吐く」ことだけに集中する。それだけで体が少し落ち着いてくるのを感じました。完璧な呼吸法より、続けられる呼吸法の方がずっと大事でした。

小さな食卓の温もり

夕食は餃子と焼売でした。日本ハムが開幕から2日連続で負けたので、父が「もう野球は見ない」と冗談を言いました。食卓が少し笑いに包まれました。

母は、私が「最近食事中に話すようになってくれた」と言って喜んでくれました。ちょっと意外でした。

食後に父と2人で食器を片付けました。そのとき少し話をして、気持ちが通じたような気がしました。

両親の期待に応えられていないという気持ちは消えませんが、なんとか食卓の雰囲気は和やかに保つことができたかもしれません。

体調について両親に話すと、どうしても心配をかけてしまうので申し訳なさはあります。ただ、完全に黙っているのも違う気がするので、そのあたりのバランスはまだなかなか難しいです。

満身創痍でも、何もできなかった日ではなかった

夜になっても歯茎の腫れは続き、胃の「濡れた感覚」も時折ありました。症状が長引く可能性もありますが、今はまだ初期段階です。

今日できたことは、散歩2回、ハガキ投函、朝昼夕の食事、食器の片付け、家族との会話、そしてこのnote。何もできなかった日ではありませんでした。

こういう日の積み重ねが、後から振り返ったときにきっと意味を持つ。今はそう信じることにしようと思っているところです。

今日の3つの教訓

「思考」がマイナスでも「行動」が心を変える
 
気持ちを前向きにしようとしてもうまくいかないときがある。そんなときは無理に考えを変えようとするよりも、体を動かすことの方が現実的だったりする。動いた分だけ、思考の流れが少しだけ変わることはある。

完璧じゃなくても「終えたこと」は残る
 
満身創痍のときに「完全に回復すること」を目標にすると、かえって苦しくなる。そういう日は、「できたこと」を1つずつ数えるくらいでちょうどいい。

「弱さの共有」が、家族との新しい絆を生む
 
弱さを見せることや、不調を伝えることは簡単ではない。心配をかけてしまうこともある。それでも、何も言わずに抱え込むよりは、少しでも共有した方がいいのかもしれない。

今日のnote、今の私には精一杯の挑戦でした。もし共感していただけたら、スキやコメントで応援いただけると、明日の散歩の励みになります。

前回の記事はこちらです↓


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