湯起請を「魔女裁判」にしてない?『ワールド イズ ダンシング』第7話から考える、現代人の宗教観という色眼鏡
アニメ『ワールド イズ ダンシング』第7話「狭間にて」を見ていて、ちょっと引っ掛かった場面があった。
徳さんが「湯起請(ゆぎしょう)」にかけられる。
熱湯の中に手を入れ、その火傷の状態によって神仏の判断を仰ぐという、中世日本の神判である。
公式サイトのあらすじでも、
«徳さんが湯起請にかけられる。それはすなわち、罪人として処されることを意味していた。»
と説明されている。
もちろん、とんでもなく怖い。
現代人から見れば、
「熱湯に手を突っ込ませて、神様に有罪か無罪か決めてもらうって何だよ」
となる。
ところが私が引っ掛かったのは、湯起請そのものより、その後だった。
集落へ戻ってきた徳さんから、人々が顔を逸らす。
その場面を見た瞬間、なんとなく、
「これ、魔女裁判みたいな描き方になってない?」
と思ってしまった。
そして、詳しく調べる前にネットで軽く、
«「魔女裁判みたいに扱ったらダメだろ、多神教なんだし」»
なんてツッコミを入れてしまったwww
さて。
後から調べてみたら、この直感。
半分くらいは当たっていた。
ただし、半分くらいは雑だった。
その「雑だった部分」まで含めて、けっこう面白い話になった。
湯起請は「異端者を見つける儀式」ではない
まず湯起請とは何だったのか。
清水克行『日本神判史』によれば、中世日本の神判は、神仏に罪の有無や正邪を問う裁判だった。
湯起請や鉄火起請は、犯罪の犯人探しだけではなく、村落間の境界争いなどにも利用されたという。
つまり、
「こいつは邪悪な存在なのか?」
を判定する制度ではない。
もっと具体的に、
「盗んだのは誰だ?」
「この土地はどちらのものだ?」
「人間同士で話しても決着つかないぞ」
という争いの決着を、神仏に委ねる仕組みだった。
もちろん結果として処罰される者はいる。
現代の感覚からすれば残酷でもある。
だから湯起請を「平和で優しい日本の素敵な制度」なんて美化する必要は全然ない。
ただ、
「宗教的に邪悪な者を発見して共同体から排除する」
という物語とは、最初から目的が少し違う。
ここを一緒にしてしまうと、何かがおかしくなる。
しかも中世人、そんなに「迷信NPC」でもない
さらに面白かった。
現代人はこういう神判を見ると、
「昔の人は迷信深かったから、本気で神様が判定してくれると思っていたんだろう」
と考えがちだ。
ところが史料を読むと、そんな単純でもないらしい。
駒澤大学による『日本神判史』の紹介では、自分から湯起請を提案して無罪を勝ち取った人物や、土地争いであえて湯起請を要求することで相手から譲歩を引き出そうとした事例まで紹介されている。
つまり、
「神様が決めるんだから、何も考えず従います」
だけじゃない。
「じゃあ湯起請やるか?」
「……いや、そこまでは」
「ならこの条件で手打ちにしない?」
みたいな駆け引きまで存在するwww
信仰している。
でも制度として利用もする。
怖がっている。
でも交渉材料にもする。
このへん、急に中世人が「昔の迷信深い人」ではなく、生身の人間になってくる。
比べるなら「魔女裁判」より西洋の神判だった
そして調べていて、いちばん面白かったのがこれだった。
湯起請と比較するなら、
魔女裁判より、中世ヨーロッパの「神判(trial by ordeal)」の方が近い。
中世ヨーロッパにも、熱した鉄や水などを用いて神の判断を求める裁判が存在していた。
研究によれば、ヨーロッパではおよそ800年から1200年ごろに神判が広く用いられ、熱鉄や水によって「神の裁き」を顕在化させる司法制度として機能していた。
なんだ。
一神教圏でも普通にやっとるやんwww
ここで、最初の私の
«「魔女裁判みたいに扱ったらダメだろ、多神教なんだし」»
も少し修正しなければならなくなる。
「一神教だから魔女裁判になる」
「多神教だから湯起請になる」
そんな単純な話ではない。
キリスト教社会にも、人間には判断できないことを神に委ねる神判は存在した。
逆に、多神教社会だから排除や差別が存在しないわけでもない。
ここは大事だと思う。
では、なぜ「魔女裁判っぽい」と感じたか?
それでも私は、あの場面を見て、
「魔女裁判っぽいな」
と感じた。
なぜだろう。
たぶん、熱湯の場面そのものではない。
その後の「人々が徳さんから一斉に顔を逸らす」という映像の文法だったのだと思う。
神によって罪人と認定された。
その瞬間、その人物の存在そのものが変わる。
昨日まで一緒に暮らしていた人々が、彼を「こちら側ではない者」として見る。
そして共同体から排除されていく。
この流れ。
私たち現代人には、ものすごく見慣れている。
宗教映画や歴史ドラマで何度も見てきた、
「正しい共同体」と「邪悪と認定された異端者」
という構図である。
ヨーロッパの魔女観は時代や地域によって非常に多様なので、魔女裁判を一種類の制度としてまとめること自体にも注意が必要だ。
ただ、中世後期から近世にかけて、異端者と魔女のイメージが接近し、悪魔崇拝やキリスト教からの逸脱という観念と魔女迫害が結びついていったことは研究されている。
だから私たちの頭の中には、
宗教裁判
→ 神による善悪判定
→ 邪悪な者の発見
→ 共同体から排除
という強力なテンプレートがすでに入っている。
そして日本中世の湯起請を見たときにも、そのテンプレートを無意識に呼び出してしまう。
私が引っ掛かったのは、おそらくそこだった。
「多神教なんだし」は、答えではなく眼鏡をズラすための言葉
そこで改めて、
«「多神教なんだし」»
に戻ってみる。
これは、
「多神教社会なら差別なんて存在しない」
という意味ではない。
そんなわけはないwww
人間社会なんだから、対立も排除も権力争いも当然ある。
私が言いたかったのは、もう少し別のことだった。
日本中世の宗教世界を見るときに、
「唯一の正しい信仰があり、それから外れた者を異端者として排除する」
という宗教観を最初から当てはめてしまってよいのか?
ということだ。
神もいる。
仏もいる。
土地ごとの神もいる。
寺も神社もある。
しかも後世のように「神道と仏教は別々です」と綺麗に分類できる世界ですらない。
そんな世界の人間が、
「神判で負けた人間」
をどう見ていたのか。
現代人が持っている「異端者」のイメージと、本当に同じだったのだろうか。
そこは一度、疑った方がいいんじゃない?
という程度の話なのである。
多神教を新しい絶対正義にする必要はない。
むしろ多神教という言葉は、
私たちが無意識に掛けている宗教観の眼鏡を、ちょっと鼻からズラすための道具
くらいでいい。
「顔を逸らす村人」が歴史的にあり得ない、とは言っていない
ここも誤解されたくない。
私は、
「中世日本人なら徳さんを暖かく迎え入れたはずだ!」
なんて言いたいわけではない。
湯起請によって罪人とされた者が忌避されたり、共同体から排除されたりすることは当然あり得る。
だから作品の描写を、
「歴史的に間違っている!」
と糾弾したいわけでもない。
そもそも『ワールド イズ ダンシング』自体、公式にも「鬼夜叉と呼ばれていた頃にあったかもしれない」物語として作られている作品だ。
フィクションなのだから演出もある。
問題にしたいのはそこじゃない。
私が面白いと思ったのは、
なぜ私は、その演出を見て「魔女裁判っぽい」と感じたのか?
という自分の側の話だ。
歴史を見るとき、私たちは「その後」を知りすぎている
そして、ここからもう一つ気になることが出てくる。
私たちは現代人なので、その後の歴史を知っている。
被差別民の歴史も知っている。
「穢れ」という言葉も知っている。
共同体から排除された人々が存在したことも知っている。
だから過去を見ると、
「この出来事が、後の差別につながっていったのだ」
という一本の線を引きたくなる。
湯起請。
罪人。
穢れ。
共同体からの排除。
被差別民。
こう並べると、ものすごく綺麗な物語になる。
でも歴史って、本当にそんな一直線だったのだろうか。
後世の結果を知っている私たちが、そこへ向かうレールを過去に敷いてしまってはいないだろうか。
これは今回の記事だけでは収まらないので、また別の話にしたい。
士農工商のイメージが大きく変わったことなどを見ていると、どうもこのへんにはまだ面白い鉱脈がありそうだ。
昔を美化したいんじゃない。眼鏡を確認したい
以前、金閣寺についても似たようなことを書いた。
金閣寺を見ると、
「権力者が金を使って建てた成金趣味の建物」
という現代的な見方をしてしまう。
もちろん、その見方が完全に間違いだと言いたいわけではない。
ただ、それだけなのか?
当時の人間にとっての金色、宗教、美、権威、浄土という意味を全部落として、
現代の
「金持ちが金ピカのものを建てた」
だけに翻訳してしまったら、何か大事なものが消えてしまう。
今回の湯起請も同じなのだと思う。
熱湯。
神判。
罪人。
村人からの拒絶。
それを見た瞬間、
「はいはい、昔の宗教による残酷な魔女裁判ね」
という引き出しに入れてしまったら、その時代の人たちが実際に見ていた世界は消えてしまう。
昔の人を美化する必要はない。
現代を否定する必要もない。
作品を責める必要もない。
ただ、
「この解釈、自分が掛けている眼鏡の色じゃない?」
と、一度確認してみる。
たぶん歴史を見る面白さって、そこにもある。
そして今回の私の場合、その眼鏡をちょっとズラしてくれた言葉が、
«「いや、魔女裁判みたいに扱ったらダメだろ。多神教なんだしwww」»
だった。
学術的には雑である。
でも雑な直感も、ときどき面白い穴を掘り当てる。
掘ってみたら、
湯起請の西洋版に近いものは、そもそも魔女裁判ではなく、キリスト教社会にも存在した神判だった。
自分の最初のツッコミまで一緒にズレた。
うん。
こういうズレ方なら、悪くないwww
参考
- TVアニメ『ワールド イズ ダンシング』公式サイト「第七番 狭間にて」
- 清水克行『日本神判史 盟神探湯・湯起請・鉄火起請』(中公新書)
- 駒澤大学図書館『日本神判史』紹介
- Vickie L. Ziegler, Trial by Fire and Battle in Medieval German Literature
- The Cambridge World History of Violence, “Violence towards Heretics and Witches in Europe, 1022–1800”
色眼鏡シリーズ③
