父から譲り受けた奥義の行方。
県大会の予選を終えた夜。
我が家の道場。
つまり、
リビング。
昨日に引き続き、
そこにはまたしても、
向かい合って座る父と息子の姿があった。
<昨日の記事>
もちろん、
畳はない。
掛け軸もない。
師範代もいない。
あるのは、
いつものリビングである。
しかし、
雰囲気だけは完全に道場だった。

父は静かに口を開いた。
「さて。」
「今日の中学1年生1500m、どうであった?」
息子は少し背筋を伸ばして答えた。
「はい。」
「ギリギリの走りでした。」
父は深くうなずいた。
「そうだろう。」
「まさか、あんな走りをするとは思わなかった。」
今回の1500mは、 タイムレースで行われた。
上位15人が決勝へ進む。
つまり、 順位だけではなく、 タイムも大切になるレースだった。
それなのに・・・
息子は途中まで、 まるでピクニックでもしているかのように走っていた。
ルンルン。
のんびり。
楽しそう。

いや、
楽しそうなのは良い。
良いのだが、
県大会の予選である。
しかも、1500mである。
しかも、決勝進出がかかったレースである。
父としては、 見ていてかなりヒヤヒヤした。
先頭で走っている。
それは良い。
しかし、
ペースが遅い。
あまりにも遅い。
父の心の中では、 何度も警報が鳴っていた。
「おい、大丈夫か。」
「そのペースで本当に大丈夫か。」
「これはピクニックではないぞ!!」
しかし息子にも、 息子なりの事情があったようだ。
息子は言った。
「今、自分がどれくらいのペースで走っているのか分かりませんでした。」
「どうすればいいのか分かりませんでした。」
なるほど。
それは経験である。
初めての県大会。
初めての大きな舞台。
周りのペース。
自分の感覚。
タイムレースの難しさ。
そういうものを、 走りながら感じ取るのは簡単ではない。
とはいえ、
このままでは危ない。
父は慌てて声をかけた。
「ラスト1周、上げた方がいいぞ!」
その声が届いたのか。
息子も、
「やばい」
と感じたらしい。
そこからだった。
ラスト1周。
息子は一気にペースを上げた。
それまでのピクニック走法から一転。
急にレースらしくなった。
そしてなんとか、 決勝進出を決めることができた。
父は改めて息子に聞いた。
「して。」
「スパートはどうだった。」
「周りに奥義を悟らせなかったな?」
息子は静かに答えた。
「はい。」
「ラスト1周でかなりスピードは上げてしまいました。」
「でも、多分・・」
「ずっこいスパートの存在を悟られることはなかったと思います。」
父は大きくうなずいた。
「よくやった!」
「それでよい。」
「奥義とは、むやみに見せびらかすものではない。」
「本当に必要な時に使うからこそ、奥義なのだ。」
そう。
ずっこいスパートは、 ただ速く走る技ではない。
温存する勇気。
我慢する心。
相手に悟らせない冷静さ。
そして、
ここぞという時にだけ炸裂させる決断力。
それらが合わさって初めて、
ずっこいスパート
となるのである。
父は続けた。
「来週の決勝。」
「そこでこそ、この最終奥義を炸裂させるのだ!」
息子は力強くうなずいた。
「はい。分かりました。」
父は少し表情を緩めた。
「とりあえず、まずは予選突破おめでとう。」
息子は少し照れながら答えた。
「ありがとうございます。」
こうして息子は、 中学1年生1500mの県大会予選を突破し、 上位15人が進出する決勝の舞台へ駒を進めることができた。
もちろん、 経験不足が出た走りではあった。
ペース感覚。
レース運び。
タイムレースの難しさ。
課題はたくさんある。
でも、
それも含めて経験である。
そして何より大きかったのは、
ずっこいスパートを温存できたこと。
これは大きい。
非常に大きい。

来週こそ、
決勝の舞台で、
父から受け継いだ最終奥義が炸裂するのか!!
それとも、
まさかの不発に終わるのか・・・
その答えは、
来週の競技場で明らかになる。
県大会決勝は、
6月27日、土曜日。
親の方が、 すでにドキドキしている。
