短編99「もう、帰れない」
【注釈】
この作品には、恐ろしいまたは不気味な表現が含まれています。閲覧にはご注意ください。
あらすじ
下校時に交通事故で死んだはずのアヤカ。でも、彼女はいまも隣に座っている。彼女に道案内を頼まれた私は――。
死――そんな単語が日常生活に飛び込んでくるなんて、思ってもいなかった。
でも、それが真実だったら。私の隣の席に座っているのは、一体誰なんだろう。
放課後のホームルームで、担任の先生が不思議なことを言った。
「クラスメイトのアヤカさんが昨日、交通事故で亡くなりました」
淡々と告げられたそれにクラスは大いに動揺したが、私は実感が沸かない。
なぜなら、私の隣はアヤカの席。
彼女はそこにいつものように座っているからだ。
「ねえナホ、マジでびっくりしたんだから」
彼女は私に話しかけてくる。担任はいまも、空になったはずのアヤカの席を前に、話を続けていた。
「車がさぁ、キキーッって」
あまりに語彙力のないアヤカの間が抜けた説明に、私は反応しなかった。恐怖より、不気味な違和感しか感じない。
周りのクラスメイトたちは、アヤカが座っている空間を完全に無視して、顔をうつむかせている。
恐らく、アヤカは私にしか見えていないのだろう。
「ナホ、聞いてる? 昨日さ、アヤカって子、死んだらしいよ?」
アヤカは平然と言う。背筋に冷たいものが走った。
――なにを言ってるんだろう?
昨日死んだらしいのがアヤカ。目の前にいるのもアヤカ。
じゃあ、いま私と話している存在は、いったい何者なんだ。
恐る恐るアヤカの机を見る。教科書や文房具はそのままだが、アヤカの名前が書かれた文字が、インクが滲んだようにぼやけて読めなくなっている。胸の名札の文字も、すでに読めなくなっていた。
彼女の物理的な痕跡は、消え始めていた。
下校時間を知らせるチャイムが鳴る。
私はアヤカを無視して席を立とうとした。
ぐい。
アヤカの右腕が私の腕を掴む。驚くほど生々しく、そして氷のように冷たい手は、その細い腕から出る力とは思えないほど強く、私の肉を掴んでいた。
「ねえ、私を無視しないで」
初めて見る、アヤカの表情。僅かな怒りを滲ませたその声は、私の気持ちを押さえつけるには充分だった。
アヤカはすぐに笑顔に戻り、立ち上がると私の耳元で囁いた。
「ナホ、私ね。昨日から帰り道が分からなくなっちゃって。一緒に帰らない?」
いまの私には、彼女の手を振りほどく余裕なんてなかった。ただ、彼女の顔を凝視した。
彼女の瞳の奥を覗き込んで、なんとなく理解はできた。語彙力のなさは、きっと言語を処理する能力を与えられず、生の感覚が残されたものではないかと。
「アヤカは、どうしたいの?」
校門を出て、私の腕にしがみつくアヤカに、素直に聞いた。
「きょ、共有、きょうゆう――?」
彼女はぎょろりとした視線で、不思議そうに私を見た。
意志を感じない瞳孔に私はなにも言えなくなる。ただ、なにかを『共有』したいということだけは、理解できた。
アヤカの手が、私の肉を強く握り込む。その力は尋常ではなく、冷たい指の輪郭が皮膚に食い込んだ。「早く、はやく」と促すアヤカの姿は、僅かに揺らぎながら私を引っ張っていく。
信号のない交差点――アヤカが死んだ場所。100メートルほど先に、その現場が見えてきた。電柱の周りには献花が置かれている。
「か、帰ろう、かえろう?」
アヤカは笑顔でそう言う。
「う、うん――」
そう曖昧に答えた瞬間、アヤカは満足そうに笑う。その笑顔は、いつも以上に間の抜けた笑顔だった。
アヤカの制服の名札のぼやけたインクが、さらりと空気に溶けて完全に消えた。
彼女はもう、この学校の生徒ではない。
突然、けたたましいキキーッというタイヤのスキール音が、背後から響いた。一台の白い乗用車が、猛スピードでこちらに向かってくる。
運転席には誰もいないが、助手席に座っている顔には見覚えがある。
アヤカだ。
ナホは声も出せず、立ち尽くした。
隣で、アヤカがいつもの語彙力のない、間の抜けた笑顔で、ナホの腕を強く引きながら、呟いた。
「一緒に、帰ろうよ」
――そして、私ももう、一人では帰れない。
注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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