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短編98「とうめいな、おり」 保護猫カフェバー Il Gatto Errante #6

登場人物紹介(最新話を元に構成・更新しています。そのため本編のネタバレとなる場合がございますので、閲覧にはご注意ください)

あらすじ
保護猫を預かるコンセプトカフェバー、「Il Gatto Errante(イル ガット エランテ)」。新人のココは公式SNSの運用を任されるのだが、どうもうまくいかなくて……?

 ――少しずつでいい。
 私たちは、変わっていくんだ。
 いつか、理想をこの手で受け取るために。

「おはようございまーす!」
 ココが裏口のドアを勢い良く開けて、飛び込んでくる。黒髪ツインテールと白いブラウス、紺色のパンツに小さなメッセンジャーバッグ。いつもの私服だった。
「ココ、ちょっといいかい?」
 顎ぐらいの長さの金髪が特徴の、キャストリーダーのレオンが声をかけてきた。ココは思わず、右の人差し指で自分の顎を指す。それにレオンは深く頷いた。

 ココはウォーターサーバーから出した水のカップを二つ、カウンターに置いた。それからカウンター席に座り、その隣にレオンが座る。
「実はお願いしたいことがあるんだ。イル ガット エランテの情報をSNSで発信したくて、それをココにお願いできないかと思っている」
 レオンの予想外の言葉に、ココは大きな音に垂直跳びをする猫のように、びくりと反応した。
「えっ!? 私、SNSってやったことないんですけど……」
「それは私もそうだ。キャストにもSNSに詳しいのはメイしかいない。とはいえメイも推し活――いや、色々と忙しいから、ココがメインで運用して、メイをサポートにつける。そういう形で進めたいと思っている」
「……」
 ココはもちろん戸惑う。お店に貢献したいという想いこそあれ、やったことがないのでまったく分からない。それに、お店の運命の一部を担うというのは嬉しいことではあったが、同時に荷が重いとも思っていた。
「……任せてもらえるのは嬉しいですけど、荷が重いなって思っています……」
「それでも、ココにお願いしたいと思っている。新人のココだからこそユーザーの立場に一番近い目線で発信ができることを、私は期待しているんだ」

 ココはすっかり考え込んでしまった。確かに関心のある仕事ではある。しかし、安請け合いはできないと考えていた。
「それはそうかもしれませんけれど……関心はあるけど自分にできるのか分からない、というのが正直なところです」
「それはそうだろうな……それでも私はココが適任だと思っている。生命を商品として扱うことの危うさや、保護猫カフェの本当の価値を社会に示して欲しいと考えている」

 やりがいのある仕事だというのは間違いない。それに、レオンがそこまで期待してくれているのを無下にしたくもない。ココはゆっくりと息を吐いてから、口を開いた。
「……分かりました。自信はないけど、やれるだけやってみます」
 それにレオンはにっこりと微笑んで、
「ココ、ありがとう。助かるよ」
 と、そう言ってにっこりと微笑んだ。

 ……とはいえ、なにをしたらいいんだろう。

 ココはカウンターの中に立ってお店のスマートフォンの画面を見ながら、途方に暮れていた。
 取り急ぎ、SNSアカウントの開設まではできた。でも、なにを発信したらいいのか分からないのだ。指を滑らせてページをめくりながら、色々な想いが頭の中を巡る。
うーにゃっ?意訳:さわらせて?
 自由奔放代表のソラが、ココの指に反応して前足を伸ばして肉球を滑らせる。それがココの緊張感を少しだけ、和らげてくれた。

 なにをどうしたらいいものかと思っていたココは、素直にメイに相談した。彼女は笑って、「一緒にペットショップに視察に行って考えよっか」と提案してくれた。
 そして、約束の日。出店前に駅の改札口でココはメイと待ち合わせていた。
「メイさん、おはようございます!」
「ココ! おはよぉ」
 改札口で手を降るメイは、いつも通り明るい茶髪をまっすぐに降ろして、アウターにはビビッドなオレンジ色のオーバーサイズなカーディガン。フリル付きのブラウスにコーデュロイのミニスカートを履いて、足元は白の厚底スニーカー。いつも通りのアイドル級の可愛さで、流石だなあとココに思わせていた。
「メイさん、今日もアイドルみたいに輝いてますっ可愛い!」
「ありがとぉ! それで今日は、SNSの運用を考えるためにペットショップのリサーチだねえ」
 メイが思い出したように言うのに、ココは頷いた。
「はい。全国展開しているチェーン店の視察をして、SNSの運用について考えます」
「わかったぁ。じゃあ、いこっか」
 二人は駅を出て、五分ほど歩くとペットショップのショーウインドウが見えてきた。中にはたくさんの猫たちが思い思いに過ごしているのが、歩道からも見えるようになっている。

「かわいいぃ……」
 店内に入ってすぐ、メイはガラスのケージにべったりと張り付いて、子猫の姿に魅了されていた。
 でも、ココは少し違うように見えている。

 子猫がガラス越しに陳列され、まるで値札のついた高級品として扱われている光景のように見えたのだ。目を背けたい、でもそれはできない。強い違和感と冷たい衝撃を覚えながらも、ケージを見て歩いていた。

 ――彼らは、かつての私と一緒だ。

 自分の殻に閉じこもって、透明な檻から外を見ていた、かつての私。外界との関わりを避けて、自分の小さな世界に閉じこもることで、保身を願っていた私。
 自らで檻を作っていたのではないかという、苦い自責の念に襲われる。目を背けたいほどの違和感を覚えるのは、それが『他人事ではない』からだと、深く理解する。
 だからこそ、こんなに胸が苦しいのだとココは結論づけた。

 そして翌日、ココは初発信の準備をする。スマートフォンを左手でしっかりと握って、右手でコメントを入力する。なるべく感情的にならないよう言葉を厳選して、ゆっくりと文字を打った。

『生命を価格で測らない選択をしませんか?』
 店内の写真を添えて、そんな一言を発信した。店の理念に基づいた投稿。公式SNSで発信したコメントは、特に反応がなかった。

 ……と思っていたが。

 翌日出勤したココがお店のスマートフォンを立ち上げると、アイコンに赤いバッジがついている。それも、『999』なんて見たこともない数字だ。脳がパニックを起こす。
 慌ててSNSを見ると、どうやら暴露系インフルエンサーの目に止まり、転送されてしまっているようだ。それに紐づく形で、『保護猫カフェも同じだろ。偽善者』『猫の生命を人質に取る商売しやがって』といった強い批判と、多くの誹謗中傷。
 そしてそれが大量に転送されて広がっているようだった。

 ココは目の前がぐらぐらと揺れて、倒れそうな目眩を感じて、思わずカウンターに手をついた。体重を預けてしまって大きな音が鳴るが、動くことができない。

 ……一体なにが起こっているのだろう?

「おはようございますぅ」
「おはようございます」
「――メイさん! シズカさん!」
 ちょうど出勤してきたメイとシズカに、スマートフォンの画面を見せながら、ココは泣きついた。
「あー……SNSなんて炎上と誹謗中傷までがセットだから、気にする必要ないよぉ」
 メイは明るく励ましてくれる。
「そうですよ。力で押し返しても、相手は動きません。静かに、しかし揺るぎなく立つ姿勢が、最も強いものです」
 シズカは合気道の話を持ち出してくる。
「だから、ココ。気にしちゃダメだよぉ?」
 メイはいつものように明るく微笑みながら、ココの身体を抱きしめる。ちょっと高めの体温による包容が、安息で心を少し溶かしてくれたと感じられた。

 カフェタイムが始まってすぐ、一組のカップルが来店する。
「ねえ、ブランド猫って、いないの?」
 ナイトドレスのような、胸元がざっくりと開いてスカート丈の短いワンピースに身を包んだ女性が、そう切り出した。
「あ、はい……店内の猫は全て、保護猫なんです」
「えー? わたし、血統の良いブランド猫しか、興味ないんだけどな〜」
 女性の声はココの心を通り過ぎていく。その言葉は心には届かず、深い無力感と動揺に打ちひしがれ、言葉が喉に詰まってなにも言えなくなっていた。

 ココはバックルームに戻って、椅子に座る。それから自分の膝をぎゅぅと抱え込んで、身体を小さく丸めた。

 ――生体販売と保護猫カフェは、そもそも違う。どちらが正しいという話ではない。その根本的な違いが理解されないことに、ココは苦しんでいた。
「私たちは、生命を扱っている。猫たちの生命は、お金では測れない。ただ、それだけなのに……」
 ココは、小さく呟いた。

 それからココは、レオンに呼ばれて診療室に向かう。椅子に座って、彼女の言葉を待った。
「ココ、まずはありがとう。大変だったね」
 レオンは微笑みながら、第一声を切り出した。それにココは瞳をきゅっと閉じて、零れそうな涙を押さえながら「はい……」と言うだけで精一杯だった。
「世間の声に耳を傾けすぎたり、塞いだりする必要はない。言葉の強さで私たちが扱っている生命の重さは決まらないよ」
 言うレオンの声はよく通り、心にすっと入ってくるような説得力があった。
「私たちは、理念を押し付けるために存在しているわけじゃない。この店の存在そのもの、猫たちの幸せな姿で、理念を伝えるために、ここに居るんだ」
 言ってレオンは、微笑んだ。
 レオンの言葉は、ココが抱えていた発信することへの恐怖を打ち破る、静かなる光のように響いた。
 ココは、声の大きさではなく、命の輝きこそが説得力を持つというレオンの真意を悟る。彼女は、言葉の盾を置く決意をした。

 それからココは、メイと相談した上で発信のルールを決めた。

 ひとつ、店の保護猫の個性を見せて、店に来るまでのストーリーを描く。
 ふたつ、譲渡先で幸せに暮らしている写真を載せる。

 そういったストーリーテリングを中心とした発信をすることにした。

 数日後、一人の女性が来店してくれた。彼女はSNSを見て魅力を感じて、来てくれたのだという。前向きに譲渡について相談したいとのことで、別室でレオンから説明を受けていた。
 ココの作ったストーリーは、生命への向き合い方が確実に変化し始めているのだと、そう思えた。

 世界は一度に変わることはない。地道な活動と小さな変化の繰り返し。
 ココはその重要性を強く感じていた。
 彼女の顔つきは、純粋な理想家から頼れる実践者へと変わりつつある。キャスト全員がそれを感じていた。

 店に注ぎ込む穏やかな光が、猫たちの幸せな姿と、その理念を優しく包みこんでくれていた。


注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する実在の地名や場所は物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。


最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。

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