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短編77「いつもワンオペの私」

あらすじ
高岩 敬子たかいわ けいこは、全てを自己完結させる一人暮らしの「ワンオペ」を自由と安寧の空間として享受していた。誰の機嫌も伺わず、自分の裁量で世界を回すことに心地よさを感じている。しかし金曜の夜、重い食材を持つ彼女に……。

 私の人生は、常にワンオペレーションで回っている。

 朝目覚めて、仕事の準備をして出社する。仕事から帰ってきたら入浴して洗濯機を回しながら、翌日の弁当を詰めて、冷蔵庫に入れる。ちょっとだけ丁寧な暮らし。

 自分の裁量。自分の計画。自分の責任。全て高岩 敬子たかいわ けいこ、私1人が背負う荷物だ。
 誰の機嫌も伺わなくていいし、スケジュールを他人に合わせる必要もない。
 この、全てが自己完結する開放感が、私にはとても楽で、心地よい。もちろん、異論は色々とあると思うけれども。

 『ワンオペ』というと、一般的には過酷や疲弊といったネガティブな文脈で語られることが多いと思う。けれど、私にとって一人暮らしのワンオペは、自由と権利の代名詞だった。
 誰かと共有すれば話し合いという工程が増える。たしかに、2人以上でやれば労力は半分になるかもしれないが、調整の時間や許容するための精神的コストと折り合いがつくとは考えられなかった。
 だから、私はいつも黙々と、粛々と、1人でこなすことを選んでしまう。友達も多い方じゃない。パートナーでもできたら気持ちは変わるのかもしれないけれど、進んで行動するつもりはなかった。

 いまの私は、それで良かった。

 ある金曜日の夜、仕事帰りにスーパーに立ち寄って、1週間分の食材を買い込む。さすがにちょっと買い込み過ぎたかも……とは思うけれど、今更どうしようもない。仕事に疲れている上に、大量の食材。腕がぷるぷると震えて、エコバッグの持ち手が手に食い込む。
 あと一段、あと一段。そう自分を鼓舞しながら、なんとか膝を上げて階段を登る。

「あの」
 不意に階段の下から聞こえる女性の声。ゆっくりと振り返ると、そこには黒髪の女性が立っていた。
 確か、隣に引っ越してきたばかりで、挨拶に来てくれた記憶がある。
「……なにか手伝えること、ありますか?」
 彼女は少し弱気な口調で、右手の人差し指でバッグを指差すと、ゆっくりと言った。

 全身が、まるで硬い石像のようになる。時間の流れが止まった。
 私は視線を彼女から外して、少し上を見上げて、それから右を見る。それからもう一度、不思議そうな視線を彼女に向けた。
「ひとつ、持ちますよ」
 彼女の声は静かにそう言うと、私の左手からバッグを両手で掴む。ふっと軽くなるのが伝わってくると、全身がふわっと浮いたような感覚が身体を撫でていく。身体に付けられた錘が外れていく。

「お、重たいですね……?」
 バッグを抱えながら、彼女は素直な言葉でそう言った。眉間を少し寄せているあたり、彼女にとっても想定外なんだろうと、私は思っていた。
「そ、そうなんです。あはは……」
 返す言葉なんてないな、と私は笑って誤魔化した。

 玄関先に荷物を降ろしてもらうと、彼女はゆっくりと息を吐いた。急いで冷蔵庫からお茶のペットボトルを取り出すと、その手に握らせる。
「あ、あの……」
「本当に助かりました。ありがとうございます」
 彼女の言葉をわざと遮って、何度もお礼を伝える。
「またお手伝いできることがあれば、声をかけてくださいね」
 彼女は微笑みながら言って、頭を下げてからドアを閉めた。

 ……それを見送った私は、玄関先で立ち尽くしてしまっていた。
 思わず、はああぁ、と息が漏れた。びっくりした。

「たったこれだけの共同作業で、こんなに楽になるなんて……」
 思わず呟きながら、置かれたバッグの持ち手を掴むとキッチンに持っていく。
 頭の芯が少し痺れているような感覚。ぼんやりとした頭の中でぐるぐると、たくさんの言葉が巡っている。

 ……もし私が、人生の全てを、誰かと『2人でする』ことができたなら。掃除も、食事の準備も、他のタスクも。
 もしかして、労力が半分ってことは、効果が倍になる……なんてこと、あるんじゃないだろうか。
 1人じゃ半年かかる目標が、2人なら3ヶ月で到達できるかもしれない。あるいは、諦めていた夢も、2人なら掴めるかもしれない。

 きっと彼女は、私の労力を半分にしてくれたんじゃない。
 私の精神的な重圧を減らしてくれたんだと思う。重い荷物を1人で運ぶという『思考そのもの』から、開放してくれた。

 私の世界では決して手に入らない、達成感。
 彼女の優しさは、私に夢を見せてくれたんだと思う。

 けれど、私はすぐに頭を振る。
 棚に積み重ねられた、1人用の小さな食器たちに目をやった。2人分の食器が並ぶキッチンを想像する。それはきっと華やかだろう。ペアで揃えられた食器は、小さなカップルたちのように見えるはず。

 しかし、その食器棚にぽっかりと空いた空間ができることを、私は最も恐れている。
 だって、きっと……もう1人がいなくなったときの孤独の深さは、とても大きいだろうから。
 私は買ったばかりの野菜を冷蔵庫にしまいながら、そんなことを考えていた。

 ――だから、いまはまだ、早い。
 制御された自分のワンオペは安寧の空間。全てを把握できる安心感が、いまの私には必要だ。
 夢は夢のままで、手の届く範囲で世界を完結させたいという気持ちの方が強いから。
 私はエコバッグを畳みながら、まるで自分に言い聞かせるように、思う。

 悪いことじゃない。
 でも、週末の献立を1人で考えるこの時間こそ、いまの私を構成する要素なのだから。

 彼女に握らせたペットボトルと同じお茶が、まだ冷蔵庫にあったかもしれない。
 そう思いながら冷蔵庫の扉を開けて、壁一枚隔てた隣室の静けさに心を寄せた。

 誰にも邪魔されない、自分のためのオペレーション。
 いまの私には、この時間が大切なのだから。


注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。


最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。

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