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短編72「ワインが導く物語」

あらすじ
多忙な会社員・和香那は、ファミレスで甘口のランブルスコを飲むのが週末の癒やし。元ソムリエの老紳士から「ワインは人生の鏡」と見抜かれ交流が始まるが、彼は「鏡として見れなくなった」と告げて……。

 普段は会社員の和香那わかな。土日祝は自由。
 概ね、そんな感じで私は生きている。

 土曜日、11時。
 私はゆったりとしたパンツにTシャツを着て、ファミレスに向かう。なにかと真面目に向き合いたい時は辛口のワイン、疲れているときは甘口のワインが飲みたくなるのだ。

 今日は、後者の気分。ランブルスコを注文する。
 正式名称は「ランブルスコ・グラスパロッサ・ディ・カステルヴェトロ・ドルチェ」だそうだ。長い。
 イタリアのスパークリングワインで、柔らかな泡とフルーティな甘みが特徴のワインだ。プラスチックのグラスにワインを注いで、一口飲む。微炭酸が舌の上を流れていき、ふわっとしたフルーティな甘さを広げていく。最後は柔らかなタンニンが全てを締めくくる。なんとも贅沢な一杯。

 私は本を読んだり、ノートパソコンでWebサイトを閲覧したりと、充実した時間を過ごしていた。
 これこれ。この贅沢な時間は、私のライフスタイルに必要なことなのだ。

「なにか、癒やしを求めていますか?」
 ふと、隣の老紳士が私に言う。真っ白な髪を耳が少し隠れるぐらいに整えて、口元には髭を蓄えている。細身の体躯に合わせたスーツにはネクタイもしっかりと締めて、休日にしてはフォーマルなスタイルだなと思う。

「どうして、そう思われたんですか?」
 私は思わずそう聞き返していた。彼の言葉があまりに的確すぎて、警戒心より驚きと好奇心がつい勝ってしまう。
「失礼。元々ソムリエで、選んだ銘柄でその人を見てしまうのは、悪い癖だ」
 こちらの戸惑いが伝わったのか、彼は頭をかきながらそう答えた。彼も思わず口を出してしまったのだろう、戸惑いや困惑が伝わってくる。
「なるほど……どうりで、的確な指摘だと思いました。今日の私は、癒やしを求めているんです」
「そうか。それなら、良かった」
 彼がふわっとした笑顔を見せる。たくさんの接客をしてきた中で得たのだろう、こちらの警戒心を溶かす穏やかな表情が印象的だった。

「そうですね。……それで、どうしてランブルスコから癒やしを求めていると思われたのか、詳しく聞いても良いですか?」
「それはですね……」
 彼は瞳を閉じて顔を上げる。きっとなにかを思い出そうとしているのだろうと、私は思った。
「昔、店をやっていた時の話なんですが……常連の女性が、ある日疲れた顔で来店されたんです。悪い顔色はメイクで隠しきれず、目の下にはクマができていて、明らかに疲れている様子でした」
 彼の言葉に私は頷きながら、ワインをもう一口飲んだ。
「そんな彼女が注文したのが、ランブルスコでした。それからも彼女は疲れたときには来店されて、毎回ランブルスコを注文してくれたんです」
 私は何度か大きく頷く。手に持ったグラスを無意識にくるくる回すと、しゅわしゅわと小さな泡が揺れた。
「……それからは、疲れた様子の方に、ランブルスコを勧めるようになったんです。あくまで私の経験ですが、概ね喜ばれていたと思います」
 老紳士はしっかりとした口調でそれだけ言うと、私に微笑みを向ける。
「なるほど。それで、ランブルスコが癒やしの象徴だと、お考えなんですね」
 私の言葉に彼は、目を細めて頷いた。

「……お嬢さん、『Château d'Yquem(シャトー・ディケム)』というワインをご存知ですか?」
 その言葉に私は首を左右に振ってから、スマートフォンで検索する。

『極めて糖度の高い貴腐ワインです。ブドウの果皮に感染するカビの一種が果皮の組織を破壊し、ブドウの水分が蒸発されることで甘みが増します』

「へえ、そんなワインが……あと、高い」
「もし良かったら、一度試してみて欲しい。私の師匠が、勧めてくれたワインなんですよ」
 へえ、と私は頷いて、ワインを一口飲んだ。彼の話は面白く、ついつい癒やしが進んでしまう。
「これも師匠の言葉ですが、『ワインは人生を映す鏡』なんですよ」
 私は思わず、感嘆の声を漏らす。
 確かに、いまのライフスタイルは、私の人生を表している。特に趣味もなく、休日はワインと仲良しになることぐらいしか、見えていない。
「でしたら私……かなり堕落した人生を送っていると思います」
 それに老紳士は目線を外して視線を左上に向けてから、手元のコップを掴むと中の水を一口飲んだ。
「……そんなことはないと思いますよ。いまのあなたが、いま必要なことをしているだけですよ」
 彼は全てを受け入れようとする。長年接客をしていた彼の言葉には深みがあるな、などと思いながら。

「……ランブルスコは、本当に良いワインですね」
 それから彼は、目を細めて言った。たぶん、私のための言葉というよりも、いままでの自分の人生に対して言った言葉なのだと思う。その含みのある言葉に、私は彼の話を聞きたいなと思い始めている。
「その、いまでもソムリエは続けているんですか?」
 私は素直な言葉を口にする。彼はそれに少し首を傾げて、目線を上に向けて、明らかな戸惑いを見せながら口を開いた。
「もう、引退しましたよ。いまの私は……」
 彼はそこまで言って、少し止まった。明らかな戸惑い。
「私はもうね、ワインを鏡として見ることができなくなったんですよ」

 その言葉の意味を理解できず、答えに詰まる。誰かが頼むワインをその人の鏡として認められなくなったのか、それとも、自分が選んだワインを自分の鏡として認められなくなったのか。即座にその2つを思いつく。
 どちらにせよ、それを突き詰める意味はないのではないかと、私は思っていた。
「体力も落ちて、できることができなくなって、見える世界が狭くなってしまって」
 彼の言葉には重みがある。積み重ねた人生の節々のうちのわずかが、言葉になって表に出ているのだろうと思った。それに益々言葉を返しにくくなってしまう。

「……もし、よかったら。いつか、あなたが選んだワインを、教えてもらえませんか。それにまつわる、あなたの物語を、聞きたいんです」
 彼の言葉に、私は大きく頷いた。
 私の身体と人生はワインで作られていく。それらは決して誇れるような立派なものではないけど、個人の物語として語るには、充分なものだと思えたから。
 だから私は、素直にそれに頷いていた。

 それからしばらくして。
 手元にシャトー・ディケムが届いた。
 わくわくしながら一口飲んで、楽しむ。驚くほど甘い。深い。彼の言葉を思い出す。

『ワインは人生を映す鏡なんですよ』

 それから、この気持ちを彼にどう伝えたら良いかを考えて始めていた。
 このワインは、私の人生においての鏡にはなっていない。私自身もまだ、鏡だとは思っていない。
 この微妙な気持ちを、なんとか言葉にして伝えられないかなと思っていた。

 うーん。考えても分からない。たぶん、答えも出ないのだろう。
 だから、考えるのはやめよう。いつも通り、『そんな感じ』でいいのだろうと。

 でも、もし、彼と再会することがあるのならば。
 シャトー・ディケムの感想を、『とても暖かくて優しい味でした。あなたの師匠は、とても素晴らしい方だったんだなって、想像できました』と、素直な気持ちを伝えるのだと思う。

 それからしばらくして、私はまた午前11時にファミレスに向かう。店内を見回すと、例の老紳士が席に座っていた。
 私は、ゆっくりと歩き出す。彼に、なにを話すのかは、もう決まっている。

 「あなたが選んだワインの物語、教えてもらえませんか」と聞こう。
 そう決めていた。


注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。


最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。


作者のひとこと
ファミレスでワインを飲むのが本当にだいすきです。

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