育休を4回取って、やっと気づいた。僕が向き合うべきだったのは、上の子達と妻だった
朝6時。
まだ薄暗い台所で、味噌汁をつくって、卵焼きを焼く。それが終わったら、妻と子どもを起こしに行く。
2019年、2人目の子が生まれたときに取った、1ヶ月の育休の初日です。
先に結論を書いておくと、男性側の育休で僕が向き合うべきだったのは、上の子たちと妻でした。
そこに気づくまでに、僕は4回育休を取って、3回失敗しています。
当時の自分は、やる気に満ち溢れてました。
毎日の家事をタスク化して効率を上げるぞ。
2人でやるんだから、妻ひとりでは手が行き届かなかったところまで隅々まで掃除するぞ。
ついでに料理のスキルも上げるぞ。
……そんなことを、本気で考えてました。

正直に白状すると、動機はかなり不純でした。
「制度としてあるのに、なんでみんな取らないんだろう。使わないともったいないのでは」
「誰も取ってないんだったら、自分が先陣を切るぞ」
口に出しては言ってません。
でも、心の中では完全にそう思ってました。
というか、その「イケてる感」が、モチベーションの半分ぐらいを占めてたと思います。(うそです。ほぼ全てのモチベーションがこれでした。最悪のクソ野郎です。大っ嫌いです)
そこから結局、僕は4回育休を取ることになります。
2人目で1ヶ月、3人目で半年、4人目で1年、5人目で2ヶ月。
そして、そのうち3回。見事に、全部違う失敗をしました。
2回目は、育休というより療休だった
3人目が生まれる半年ぐらい前から、市役所の中で積み上がっていた「うまくいかなさ」が、限界を迎えていました。
一方で外では、ありがたいことにメディアの取材をそれなりに受けるようになっていて。
もっとやらなきゃ、もっと頑張らなきゃって、イベントを打ちまくってたんです。
そんなある日、プツンと切れました。
僕はなんのために、外でこんなに頑張ってるんだろう。
誰のために走ってるんだろう。
ふと家族の方を振り向いたら、長男が4歳になってました。
朝、目が覚めても布団から起き上がれない。
職場に行けない。
残っていた有休を数えながらカウントダウンして、それをなんとかやり過ごすようにして、育休に突入しました。
だからあの半年は、育休というより、実質的には療休だったと思ってます。

それでも「家族のためにしっかりしないと」って思っちゃうんですよね。結果、最初から飛ばして、自分をさらに追い詰めました。
3回とも、失敗の形が違った
一言ずつ書き出すと、こうなります。
1回目(1ヶ月):動機が圧倒的に不純だった。
2回目(半年):療休状態なのに、最初から飛ばして、余計に追い詰められた。
3回目(1年):飛ばすとしんどくなると分かっていたのに、また完璧主義でやろうとした。
4回目(2ヶ月):ここでようやく、サポートに回れました。
4回目は転職までのつなぎの期間だったこともあって、力が抜けてたのが良かったのかもしれません。
強いて言えば、2ヶ月では短すぎました。
上の子と妻のケアって、気持ちの問題じゃなくて、単純に時間の絶対量がいるんですよ。
一緒にいる時間が短ければ、できることも当然少ない。
最低1年は必要だったなと、今でも思っています。
最初の3回、特にひどいのが序盤なんですよ。
朝に立てたスケジュールが、まったくこなせない。
育児がこっちの都合通りにいくはずないのに、こなせない自分の不甲斐なさに落ち込む、みたいなことを繰り返してました。
家事育児を完璧にやろうとしすぎたんですよね。
1回目も、2回目も、3回目も。学習能力よ。
向き合う相手を、僕はずっと間違えていた
気づいたのは、3回目の育休の、半年を過ぎたあたりだったと思います。
男性側の育休って、生まれた子の世話以上に、上の子たちと妻に向き合う意味の方が何倍も大きいんじゃないか、と。
赤ちゃんの世話は、正直、母親の方が上手い場面が多いです(少なくとも我が家では)。
でも、上の子が「ママを取られた」ってなってる時期に、その子と2人で出かけたり、話を聴いたり、風呂に入ったり。
あるいは、妻が1時間だけ何も考えずに寝られる時間をつくったり。
そこは、その時期のパパにしかできない仕事が確実にあると思ってます。
というか、そっちが本体だったんじゃないかとすら思っています。
これ、4回目まで来てようやく、頭じゃなくて身体で分かった感じです。(申し訳ない。やり直したい。というか、ここから人生をかけて毎日妻に恩を返していくしかない。もう仕事してる場合じゃないんですよ、本当に)

「お前が抜けたら、誰が仕事するの」
職場側の話も書いておきます。
1回目の2019年に言われたのは、こんなニュアンスのことでした。
「お前が抜けた後、誰が仕事するの? ただでさえ忙しいのに」
「そもそも男が家で何するの? 何もすることないでしょ?笑」
強い口調ではなく、ふざけながら、笑いながら。
2回目の2020年も、だいたい同じ空気でした(この時は自分のメンタルがいっぱいいっぱいで、それどころじゃなかったんですけど)。
3回目の2022年になると、かなり変わってました。
男性育休を勧める空気があって、取ってる人もちらほらいて、打診自体はしやすかった。
にしても、まだ「1年も男性側が育休を!?」っていう空気はありましたけど。
結局あれって、脈々と受け継がれてきた「家庭よりも仕事」「プライベートよりも仕事」という価値観だったんじゃないかと思ってます。
誰か個人が悪いわけじゃなくて、その場所にずっと流れていた空気の話。
2026年の今ですら、地方の自治体には男性育休の取得実績がゼロのところがあります。
仕事優先の空気があって、かつ人が足りていない。
この2つが揃うと、制度がどれだけ整っていても、実際には取れない場所になる。
今の職場では、それを一度も感じていない
ここは手放しで書きます。
今の会社に転職してから、「休みにくい」と感じたことが一度もありません。ここが今の職場の一番すごいところだと、本気で思っています。
少なくとも日日novaで働いているメンバーは全員、仕事より家族の方が絶対的に大事だと、心から言うんですよ。
言わされてるんじゃなくて、本当にそう思ってる人たちの集まり。
だから、時間内でどう終わらせるかを全員が考えるし、誰かが急に休まないといけなくなっても「お互い様だよね」って心から思える。
当たり前に、ナチュラルにサポートし合える。
制度の話じゃないんですよね、これ。
取得率を追いかける前に
新しい制度を入れようとしている自治体さんや企業さんの相談を聞いていると、「男性育休取得率◯%」という数字が先に立っていることがけっこうあります。
でも現場から見て思うのは、数字より先に置いておきたいものが3つあるということです。
ひとつ。
取る本人が「なんのために取るのか」を立ち止まって考える時間があるか。育休を取ること自体、取得率を上げること自体が目的になっていないか。(これ、あの頃の自分自身に言ってます。ええ。誰がどの面下げて言ってるんだって、自分が一番思ってます。ごめんなさい)
ふたつ。
夫婦でちゃんと会話ができているか。
何を分担して、何を諦めるのか。
ここを飛ばすと、家の中に居場所のない父親が1ヶ月ウロウロすることになります。
みっつ。
周りの人が、当人にプレッシャーをかけていないか。
「取れ」も「取るな」も、どっちもプレッシャーです。
これ、前回書いた「きれいなハコはあるのに誰も来ない」話と、たぶん同じ構造なんですよね。
制度は整ってる。でも、その中心に「言ってみようかな」と思える空気がない。
心理的安全性って、制度の設計図だけでは絶対に立ち上がらない。
僕らがやっている伴走支援も、仕組みを設計して納品して終わりじゃなくて、そこに人が実際に足を運んで、揺らぎごと受け止め続けることとセットでしか機能しないと思っています。
制度をつくる側と、それを使う本人との間に立って、両方の言葉を訳す人がいるかどうか。
結局そこな気がしています。
さいごに
きれいにまとめたいところなんですけど、最後に一つだけ白状させてください。
4回も育休を取っておいて言うのもなんですが、僕は結局、「家族のために」と言いながら、自分のために動いていることばかりなんですよね。
今もそうです。
それなのに、妻はいつでも味方でいてくれる。寄り添ってくれる。
感謝し尽くせないし、たぶん一生返しきれないなと思っています。
マジで妻にだけは見放されないようにしたい。切実に。とにかく与えてもらい続けてる恩を一生かけて返していかねばならない。だからこそ、働いてる場合じゃないんですよ。一刻も早く家に帰り、洗濯機を回し、子どもたちの髪を乾かし、歯磨きをして、音読を聞き、寝かしつけをせねばならぬので。
なんだかんだ、この慌ただしさが一番、生きてる感じがします。


