みなもと太郎(1947.3.2-2021.8.7)『マンガの歴史 1 岩崎調べる学習新書』岩崎書店 2017年8月刊 176ページ Sarah Vaughan (1924.3.27-1990.4.3) "The Man I Love" (1964) 日記 2017年9月26日 わすれめや葵を草にひき結びかりねの野べの露のあけぼの 新古今和歌集 182
日記
2017年9月26日
午前2時35分起床
室温23.4度 湿度70%
体重52.6kg BMI 19.6
懸垂8回
62歳8か月
Sarah Vaughan (1924.3.27-1990.4.3)
"The Man I Love" (1964)
https://www.youtube.com/watch?v=-RJ9PNYxr9Q
The Lonely Hours (1964)
https://www.discogs.com/ja/release/2267960
Sarah Vaughan - vocals
Benny Carter - arranger, conductor
https://www.youtube.com/playlist?list=PLBF_OZoIoQkKwEXvPotDLvTe-TaXScyET
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Lonely_Hours

http://wasure71.blogspot.com/2013/08/ella-fitzgeraldthe-man-i-love.html
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Man_I_Love_(song)
高校生の頃(1970-72)から
ジャズを聴き続けてますけど、
ジャズヴォーカルは、
言葉が理解できないので、
あまり聴いてません。なので、
サラ・ヴォーンのアルバムを
買ったことはなく、
2004年11月うつ病発症休職以降に
福岡市総合図書館から借りた、
CD5枚(55曲)
One Night Stand The Town Hall (1947.11.8)
~
No Count Sarah (1958)
を、パソコンの
ウィンドウズメディアプレイヤーに
収納して聴いてきました。
この歌唱
"The Man I Love" (1964)
はユーチューブで初めて聴きました。
Sarah Vaughan (1924.3.27-1990.4.3)
"The Man I Love" (1947.11.8)
One Night Stand The Town Hall (1947.11.8)
https://note.com/fe1955/n/n461824e7d029
https://www.youtube.com/watch?v=8YjO7xWWo4k

わすれめや葵(あふひ)を草にひき結びかりねの野べの露のあけぼの
式子内親王
斎院に侍りける時、神館(かんだち)にて
新古今和歌集 巻第三 夏歌 182
「忘れることがあろうか。葵を草枕として結んで旅寝した野辺の、
露のおいたあの曙の景色を。」
『新日本古典文学大系 11』岩波書店 1992.1 p.69
式子内親王集「前小斎院御百首」。
斎院(さいいん・いつきのみや)賀茂社の斎王。
未婚の皇女、女王が任じた。
式子内親王は平治元年(1159)十月から十年間在任。
神館 斎舘。神職が参詣して潔斎する殿舎。
ここは賀茂の祭(四月中の酉)の当夜、斎院が一泊する上社の神舘。
葵 フタバアオイ。多年生草本で一茎にハート形の葉が二枚互生する。
賀茂社で祭事に用いる。
かりねの野辺 神舘での旅寝の譬喩的表現。
八代集抄[北村季吟による江戸前期の注釈書]に、
神舘は祭の時、社の北のみあれ野に架設されたとあるが未詳。
参考
「祭の使にて神舘の宿所より斎院の女房に遣はしける
ちはやぶるいつきの宮の旅寝には葵ぞ草の枕なりける」
(藤原実方 千載 雑上)。
「葵」の歌。
式子内親王(しょくしないしんのう
「しきし」とも「のりこ」とも読まれる 1149-1201)
後白河天皇皇女。
賀茂斎院(1159-1169)。
千載集初出(入集九首、女性歌人で最多)。
新古今四十九首。
勅撰入集百五十七首。
隠岐での後鳥羽院による
『時代不同歌合』では斎宮女御と番えられている。
小倉百人一首 89
「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする」
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/syokusi.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/式子内親王
『異端の皇女と女房歌人
式子内親王たちの新古今集(角川選書)』
角川学芸出版 KADOKAWA 2014.2
https://note.com/fe1955/n/n8dfcbf3d6859
https://www.amazon.co.jp/dp/404703536X
「式子[1149-1201]は、
新古今歌人の一人として現在は有名だが、
正治二年(1200)七月~九月の
『正治初度百首』以前は、ただの一度も
宮廷や摂関家の歌合・和歌会に出ていない。
しかし『千載集』成立以前から、いくつもの
私的な百首を詠んでおり、最晩年にはじめて
公的な応制百首『正治初度百首』
に詠進したのである。」
p.63
「式子が私的に詠んだこれらのいくつもの
百首歌は、俊成、定家、良経、家隆ら、
当時新風和歌を推進していた歌人たちに
伝わり、写され、読まれていた。
式子の百首歌や詠草が写されて流布しなければ、
定家らの和歌との表現的な交錯・影響関係は、
生じるはずもない。そして逆に、式子もまた
彼らの歌合・和歌会での詠草を入手し、
常に最新の動向に目を凝らし、
その歌を味読していたにちがいない。」
p.64
「内親王というもっとも高貴な女性が、
歌壇の長老とはいえ臣下である人[俊成]から
直接に教えを受けて、自身の歌学の知識を蓄え
詠歌を磨くこと、歌壇で行われた歌合・和歌会の
詠草はすぐに取り寄せ、最新の情報を収集して
熟読し、日々題詠の詠歌に精進すること、
長年にわたって自ら積極的にいくつもの百首歌を
詠むこと、その百首を世に公表し、男性廷臣である
専門的歌人たちと積極的に和歌の上で対話し
影響を与え合うこと、さらには上皇[後鳥羽院]の
召しに応じて宮廷の応制百首に詠進すること、
これらはみな式子内親王に始まったことであり、
その後も鎌倉期においてこうした内親王は極めて
稀である。こうした詠歌姿勢が、当時において、
内親王としてはどれほど異質な革新的なできごと
であったか、想像に難くない。」
p.68
「正治二年(1200)七月~九月、後鳥羽院は初度の
応制百首である
『正治初度百首』(『院初度百首』)を計画し、
そこに惟明親王
[これあきしんのう 1179-1221 高倉天皇の第三皇子、後鳥羽院の異母兄]、
守覚法親王[しゅかくほっしんのう 1150-1202 後白河天皇二男、式子内親王の同母弟]、
式子内親王の三人を入れて詠進を求めた。
従来は天皇が臣下に命じて詠進させるものであった応制百首に、
皇族三人を、加えて左大臣良経、内大臣[源]通親、前大僧正慈円を
入れたのである。この時点で既に後鳥羽院が、
天皇家や現在の大臣、前天台座主を含むすべての人を歌壇に
吸収・包含しようとした意図が認められる。
後鳥羽院が『正治初度百首』で自らの初めての百首を詠んだとき、
式子の歌、それも『千載集』にない式子の百首歌からも学んだことは
明らかである。後鳥羽院が式子を招きよせた時、既に式子の百首歌を
味読していたのであろう。内親王を応制百首に招くことは、
後鳥羽院の決定であったに違いない。後鳥羽院がいなければ、
式子の秀歌の頂点と言うべき『正治初度百首』は生まれなかった。
…
この時、後鳥羽院は二十一歳、
式子内親王は五十二歳。
若き帝王の眼と意志には、実に驚くほかはない。」
p.97
「第二章 式子内親王
後鳥羽院が敬愛した皇女 三
『新古今和歌集』の光輝
稀代の皇女歌人として」
p.64
2013年の立春、
2月4日から毎日一首づつ投稿し始めた
新古今和歌集の通読(つぶやき)が
四年かかって終わりました。
https://bookmeter.com/mutters/153791951
https://bookmeter.com/mutters/153744722
全二十巻
春夏秋冬賀哀傷離別羈旅恋雑神祇釈教
1995首
明日から再読
2017.3.26


みなもと太郎(1947.3.2-2021.8.7)
『マンガの歴史 1
岩崎調べる学習新書』
岩崎書店 2017年8月刊
176ページ
https://www.iwasakishoten.co.jp/book/b305212.html
https://www.amazon.co.jp/dp/4265008313
「あのみなもと太郎先生初の本格マンガ史!
マンガ家・マンガ研究家として名高い
みなもと太郎先生初の本格「マンガ史」。
小学校高学年から読めるわかりやすい内容。
第1巻は戦前から60年代後半までを扱う。
第一章 ■ 終戦まで
第二章 ■ 手塚治虫と『新宝島』
第三章 ■ 貸本マンガと『漫画少年』
第四章 ■ トキワ荘
第五章 ■ 劇画の誕生
第六章 ■ 少女マンガと水野英子
第七章 ■ 週刊少年マンガ誌の登場
第八章 ■ 『W3』事件と『巨人の星』
みなもと太郎
まんが家、まんが研究家。
1947年、京都生まれ。
1967年、「別冊りぼん」でデビュー。
1970年から「週刊少年マガジン」に連載した
『ホモホモ7』で一世を風靡、
のちのまんが界に大きな影響を与える。
2004年、『風雲児たち』で第八回手塚治虫文化賞特別賞を受賞。」
https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=365670492
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar1297841
岩崎夏海
ハックルベリーに会いに行く 2017.7.14
「みなもと太郎さんが本格的な「マンガ史」を執筆
みなもとさんが書くマンガの歴史は
『風雲児たち』ほどにはいかないまでも
相当な分量があるため、
とてもではないが1冊に収まらず、
結局4巻の分冊で出すこととなった。」
『もし高校野球の女子マネージャーが
ドラッカーの『マネジメント』を読んだら』
ダイヤモンド社 2009.12
https://www.amazon.co.jp/dp/4478012032
の著者、
岩崎夏海さん
(1968年7月生まれ 創業者の孫)が
社長になった
岩崎書店の新企画第一冊。
「コデックス装」の本を手にしたのは、
林望『謹訳 源氏物語』
https://note.com/fe1955/n/n2b8658079955
以来の二度目です。
ゆったりした組版(頁12行)な
175ページで、
内容の面白さもあり、
数時間で読み終わりました。
『あしたのジョー』
(1967年12月連載開始)
以降が扱われる次の
第2巻が楽しみです。
早く読みたいなぁ。
「ちばてつや[1939.1.11- ]は、
マンガ界の中では異色の存在です。
彼は、トキワ荘メンバーや劇画グループと
同世代であるにもかかわらず
(水野英子と同い年です)、
子どもの頃に手塚治虫や彼の
『新宝島』[1947]に衝撃を受けた経験がない。
彼のお母さんが厳しい人で、
マンガをほとんど読ませてもらえなかったらしい。
…
1956年、17歳のときに貸本マンガでデビュー。
しばらくして『少女ブック』や『少女クラブ』といった
少女誌で描きはじめます。」
p.141
「第七章 週刊少年マンガ誌の登場」
「マンガ家っていうのは面白くって、
一回の仕事で三度の「ホッとするとき」があるんです。
最初は原稿の依頼が来たときに、
「これで原稿料が入る」と思ってホッとする。
次に原稿を書き終わったときに、
「これで原稿料が入る」と思ってホッとする。
最後に雑誌に掲載されたとき、
「これで原稿料が入る」と思ってホッとする。
つまり、原稿料は一回しか入ってこないのに、
「ホッとするとき」が三度もあるんです。
そこで、例えばお酒が好きだったりすると、
つい「祝杯」をあげちゃうんですね。
ホッとするたびに嬉しくなって、お酒を飲む。
すると、一回の仕事で
三度も祝杯をあげることになってしまうから、
すぐに身体を壊します。
私と同世代のマンガ家たちも、お酒好きは
あまり長生きできなかったように思います。
ところがトキワ荘メンバーは、
いつでも隣に仲間がいて、
自分がホッとしたときも
必死になって原稿を描いていたりするわけです。
だからなかなか気を抜けない。それもあって、
比較的健康でマンガを描き続けられたのでしょう。
マンガ家は、そういうふうに自己管理ができないと、
なかなか長続きしないところがあるのです。」
p.74
「第四章 トキワ荘」
読書メーター
みなもと太郎の本棚
登録冊数71冊
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091205
ほとんどが『風雲児たち』ですが、
マンガ研究家としての著書、
みなもと太郎・大塚英志
『まんが学特講
目からウロコの戦後まんが史』
角川学芸出版 2010.7
https://www.amazon.co.jp/dp/4046214465
https://www.facebook.com/tetsujiro.yamamoto/posts/pfbid032LMaDcb7y8CRr3CwNzFjxwWyjzLgjkmXUH1axLz4y25ZNUHXNA6oo9ad4UcRxg4Dl
もとても面白かったです。
2010年8月に読んだ本。 みなもと太郎・大塚英志『まんが学特講 目からウロコの戦後まんが史』 角川学芸出版 2010年7月刊。2010年8月28日読了。 https://bookmeter.com/reviews/7401467...
Posted by 山本 鉄二郎 on Monday, May 29, 2017




https://note.com/fe1955/n/n62990aeed84f
https://note.com/fe1955/n/n8e1a4e481122
「みなもと太郎
石ノ森章太郎(1938.1.25-1998.1.28)
「テレビ小僧」
の影響を受けているのは
直後の漫画家じゃなく、
『日の丸』[集英社]
連載時[1959年6月号~1962年3月号]
に小・中学生だった世代でしょう。
私とか、
山上たつひこ([1947.12.13- ]
代表作に『がきデカ』ほか)とか。」
『完全解析! 石ノ森章太郎
生誕80周年記念読本』
宝島社 2018.9
p.207
https://note.com/fe1955/n/ned414f656558
https://note.com/fe1955/n/n4c66045a8b42
みなもと太郎(1947.3.2-2021.8.7)
「戦い続けた憂鬱(メランコリア)な天使」
『文藝別冊 総特集
石ノ森章太郎 萬画の天才、誰がために闘う。』
河出書房新社 2019.4
p.179-183
日記 2021年5月29日
『芸術新潮』2020年11月号
特集「トキワ荘と日本マンガの夜明け」
他
https://note.com/fe1955/n/n36bef55f00f4
