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『メノン』から考える「人は何を求めて生きるべきか」

皆さんは「人は何を求めて生きるべきか」と問われたら、どんな答えを思い浮かべるでしょうか。人によって「幸せになりたい」「成功したい」「誰かの役に立ちたい」など様々な答えがあるかもしれません。僕は最近プラトンの対話篇『メノン』を読み、この問いについて深く考えさせられました。『メノン』ではソクラテスとメノンという人物が「徳 (アレテー)」について対話をします。とは何か、徳は教えることができるのか、そして人間にとっての徳とは何か——これらは「人は何を求めて生きるべきか」に直結するテーマです。ここではソクラテスの問答法想起説などの場面を紹介しながら、私なりに「人は何を求めて生きるべきか」について考えたことを述べたいと思います。

徳(アレテー)とは何か?ソクラテスとメノンの対話

プラトンの『メノン』は、若い貴族メノンがソクラテスに「徳は人に教えることができるのでしょうか?」と質問する場面から始まります​。

ここで言う「徳(アレテー)」とは、簡単に言えばモノとしての優れたあり方です。例えば、馬のアレテーは「速く走り、よく乗り手に従い、力強く、持久力があること」、椅子のアレテーは「座る人に快適さと安定を与えること」、足のアレテーは「歩く・走る・立つといった動作をうまくこなせること」。このように、それぞれの「もの」には、それぞれにふさわしいアレテーがあるのです。

では、人間にとってのアレテーとは何でしょう?

ソクラテスはこの質問にすぐ答えることはせず、「そもそも徳とは何か」をまず知らなければその問いには答えられないと指摘します。確かに、それ自体を知らなければ「教えられるものかどうか」も判断できないですよね。

こうしてソクラテスはメノンに「徳とは何か」を定義するよう求めました。メノンは自信たっぷりに答えますが、ソクラテスはそれらを次々に論破してしまいます。そのやりとりの中でソクラテスは問答法と呼ばれる独特の方法を用います。相手に問いかけを繰り返し、相手自身に考えさせて答えを導くやり方です。

まずメノンは「徳」の具体例をいくつか挙げました。彼曰く、男の徳は「国家をうまく治める能力」、女の徳は「夫に従順で家事をこなすこと」など、それぞれの立場に応じた徳があると言います​。

しかしソクラテスは「それらに共通する徳の本質を教えてほしい」と求めました。例えば赤や青といった例をいくら挙げても「色」の定義にはならないのと同じです。

次にメノンは「徳とは人々を支配する能力だ」と答えます。ソクラテスは「それでは奴隷が主人を支配するのも徳になってしまうね?」と問い、メノンは「正しく支配する能力」と言い直しました。しかし「正しく」という要素には正義という徳が含まれてしまい、やはり徳を定義したことになりません。

最後にメノンは「徳とは善いものを欲し、それを手に入れる能力だ」と提案します​。一見もっともらしいですが、ソクラテスは「誰も好き好んで悪いものは望まないし​、善いものを得るにも正しい方法で行わなければ徳とは言えない」と反論しました​。このようにメノンの定義もことごとく崩されてしまい、肝心の「徳とは何か」は依然わからずじまいです。

追い詰められたメノンはここであるパラドックス(逆説)を提示します。それが有名なメノンのパラドックスです。メノン曰く、「人は知らないものを探求できないし、知っているものを探求する必要もない」というのです​。

知らないものは探しようがなく、知っているものは探す必要がない…一見するともっともですが、これでは新しい知識を得ることは不可能だという極端な結論になってしまいます。

この難問に対し、ソクラテスは想起説(そうきせつ)という大胆な仮説で答えます。彼は「人間の魂は不死で何度も生まれ変わり、その過程でこの世のあらゆる事柄をすでに学んでいる。だから、いま我々が“学ぶ”ということは実はすべて過去に得た知識を思い出すことに他ならない」と説きました​。これが想起説です。

この考えによれば、たとえ今答えを知らない問題でも、私たちの魂はいつかそれを知っていたのだから、あきらめずに探求すれば「思い出す」ことができる、ということになります。

ソクラテスは想起説の確からしさを示すため、メノンの従者の奴隷の少年を使って実験してみせました。彼はその少年に何も教えず、問いかけだけで幾何学の問題を解かせてみせたのです。問題は「ある正方形の面積を2倍にするには、一辺の長さをどうすればよいか」というもので、少年は初め誤った答えをしました。しかしソクラテスが段階的に質問を重ねると、少年は自分の間違いに気づき、最後には自力で正しい答え(元の正方形の対角線を一辺とする正方形)にたどり着きました。ソクラテスは嬉しそうに「見たまえ、誰も教えていないのにこの子は自分の中にあった知識を呼び覚まして答えを出したよ​」とメノンに語ります。まさに学ぶとは想い起こすことだという主張を実演してみせたのです。メノンもこれには納得し、再び徳について探求を続ける意欲を取り戻しました。

徳は教えることができるのか?

想起説によってメノンのやる気が回復したところで、二人は改めて元の問い「徳は教えられるのか」を検討します。明確な定義は得られませんでしたが、ソクラテスは仮設法という手段でこの問題に答えようとしました。まず彼が立てた仮説は「もし徳が知識であるなら、徳は教えられるはずだ」というものです​。知識は本来教えうるものですから、徳が知識の一種なら当然教えることができるだろう、と考えたのです。

では徳は本当に知識なのでしょうか? ソクラテスとメノンは、この仮説を裏付けるものがあるか議論します。彼らは「徳の教師」なる人物がいるかどうか考えてみました。しかし当時、明確に「徳」を教えられる人はいません。ソクラテスは例として、有名な政治家で徳のある人物とされたテミストクレスペリクレスでさえ、自分の子どもに徳を教えられなかったのではないかと指摘しました。実際、彼らの息子は父親ほど立派ではなかったと言われます。つまり有徳な人ですら他人に徳を教えられなかったのです​。この事実から二人は「やはり徳は教えられないのではないか」という結論に傾いていきます​。

そこでソクラテスは最後にこう述べます。「徳ある人が徳を持っているのは、その人が知識として徳を学んだからではなく、むしろ徳は神から与えられるものなのではないか」というのです。つまり徳は人為的に教師から教わるというより、生まれつきや天賦の資質として授かるものではないか、という結論だと述べています​。ソクラテス自身、「この答えは徳の本質に踏み込んだものではなく、結局『徳とは何か』は分からずじまいだ」と認めていますが、対話篇『メノン』はこのような形で結末を迎えます。

徳と「他人を幸せにすること」の関係

では結局、徳とは人間にとって何なのでしょうか。そしてそれは「他人を幸せにすること」とどう関係するのでしょうか。対話では明確な答えは出ませんでしたが、議論からいえるのは、徳とは必ず善いもの、すなわち人にとって有益なものだということです​。ソクラテスも「善い人間は徳ゆえに善い人間であり、同時に有益な人間でもある」と述べています​。

言い換えれば、徳のある人は自分にも周囲にも良い影響を与える人だということです。実際、「正義」「節制」「思いやり」など徳とされるものはどれも他者との関わりの中で発揮される性質です。徳のある行いは結果的に他人を助けたり喜ばせたりし、周りの人を幸せにする効果を持ちます。

たとえば、正義感のある人がいれば周囲は安心して暮らせますし、親切な人がいれば助けられた人は幸せな気持ちになるでしょう。他人を幸せにすることは徳の本質そのものと言えるかもしれません。逆に「自分さえ良ければ」と徳を無視すれば、巡り巡って自分も信頼を失い不幸になる可能性があります。人は社会的な生き物ですから、周囲の幸せを無視して自分だけ幸せになることは難しいのです。徳を備え他人を幸せにできる人こそ、最終的には自分も含めみんなを幸せにできる人ではないでしょうか。

おわりに:私にとっての徳と、人が徳を求める理由

最後に、私にとっての徳とは何か、そして人はなぜ徳を求めるのかについて考えたことをまとめます。私にとって徳とは、「自分と他人をともにより良くするもの」です。具体的に言えば、思いやりや正直さ勇気努力といった、人として大切にしたい資質や行動のことです。それらは自分のためでもあり、同時に他人のためにもなるものだと思います。

ではなぜ人は徳を求めるのか。私の考えでは、それは人間に「より良く生きたい」という根源的な願いがあるからです。誰しも心の奥底で「善い人間でありたい」と望んでいるのではないでしょうか。だからこそ私たちは徳のある立派な人に憧れますし、自分もそうありたいと努力します。また、徳を追求することは自分の人生に意味充実感を与えてくれます。私自身、日々小さな善い行いを積み重ねることで自分なりに徳を磨こうと心がけていますが、誰かに喜んでもらえたり自分の成長を感じられたりすると、大きなやりがいを感じます。それが徳を求め続ける報いだと思います。

「人は何を求めて生きるべきか」という問いに対し、私は「徳」を求めて生きるべきだと答えたいです。徳を求める生き方は、自分自身を高めるだけでなく周囲の人々も幸せにします。簡単には答えの出ない問いかもしれませんが、この問いを追い求め続けること自体が私たちを成長させ、豊かな人生へと導いてくれると信じています。皆さんもぜひ、自分にとっての「徳」とは何かを考えてみてください。その探求のプロセス自体が、きっとあなた自身をより良い方向へ導いてくれるはずです。

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