「見えているものだけで、生徒を判断してはいけない」 ~特別支援学校とチャレンジスクールで私が学んだ三つの出来事~
はじめに
学校で起きる出来事には、
いつも二つの顔があります。
一つは、目に見えている行動。
もう一つは、その奥にある理由です。
しかし、教員が最初に目にするのは、たいてい前者です。
問題行動。
不自然な笑顔。
そして、合格発表の掲示板の前に立つ沈黙。
私は特別支援学校とチャレンジスクールで勤務する中で、「見えているものだけで生徒を判断してはいけない」と何度も学びました。
今日は、その中でも忘れられない三つの出来事を書きたいと思います。
第1話「給食中にフォークを机の下に隠した生徒」
給食中、向かいの席の女子生徒がフォークを机の下に隠しました。
隣には担任の先生が座っていましたが、ちょうど死角でした。
私は立ち上がり、「ちょっと預かるね」と声をかけてフォークを受け取りました。
その後は何事もなく給食は終わりました。
私は当時、知的障がいの特別支援学校で臨時的任用教員として働いていました。
片付けのあと、担任の先生が事情を教えてくれました。
その生徒はストレスが高まると、自分の腕を尖ったもので刺してしまうことがあるそうです。
腕に痛みを感じることで、
自分の存在を確かめているのだと。
その話を聞いたとき、私は言葉を失いました。
そして同時に、あることに気づきました。
教員が見ている「問題行動」は、ほんの表面かもしれない。
行動の奥には、必ず理由があります。
しかし、その理由はすぐには見えません。
だからこそ、私はこの出来事以来、
生徒を見るときにこう自問するようになりました。
この子は今、何に困っているのだろうか。
第2話「いつでも笑顔の生徒」
チャレンジスクールに臨時的任用教員として勤務していたときのことです。
中学時代に壮絶ないじめを経験した女子生徒がいました。
彼女は、いつも笑顔でした。
明るく、周囲に気を配り、教室の雰囲気を和ませる存在です。
しかし担任の先生から、ある話を聞きました。
彼女は笑った顔でしか泣けなくなってしまったというのです。
長い間、弱さを見せることができない環境にいた結果、感情の出し方がわからなくなってしまったのでした。
その話を聞いたとき、私は強い衝撃を受けました。
私たちはつい、こう考えてしまいます。
「元気そうだから大丈夫だろう」
けれど、本当にそうでしょうか。
苦しい経験をした子ほど、
周囲を安心させようとすることがあります。
つまり、
笑顔は、必ずしも安心のサインではない。
それ以来、私は生徒を見るときに
一つの問いを持つようになりました。
この子は「元気そう」なのか。
それとも「安心している」のか。
その違いを見ようとすることが、教育にとってとても大切なのではないかと思っています。
第3話「雪の日の合格発表」
チャレンジスクールの合格発表の日。
その年の東京も、今年のように季節外れの雪が降りました。
私は正門から校舎入口まで雪かきをし、掲示の準備をしました。
番号が掲示されると、さまざまな反応が生まれます。
抱き合う親子。
涙を流す生徒。
静かに帰っていく家族。
まだ雪が舞う昼下がり、掲示板の前に一人の生徒が立っていました。
傘を両手でぎゅっと握りしめています。
私はその生徒を見て思い出しました。
その子は、午前中いちばん早く学校に来ていた生徒でした。
しばらくして、その生徒は踵を返して正門へ歩いていきました。
その場所には、何度も行き来した足跡が残っていました。
私は声をかけることができませんでした。
合格発表は、制度の上では「結果」です。
しかし、生徒にとっては違います。
その掲示板の前に立つまでには、
それぞれの時間があります。
不登校だった日々。
学校に戻れなかった時間。
もう一度挑戦しようと決めた瞬間。
そのすべてを抱えて、生徒は掲示板の前に立っています。
私たちは結果の瞬間に立ち会います。
しかし、その背後にある時間には立ち会っていません。
だからこそ、私はいつも思うのです。
結果だけで、生徒を語ってはいけない。
おわりに
特別支援学校とチャレンジスクールでの経験を通して、私は一つのことを強く感じるようになりました。
学校で起きる出来事には、必ず「奥」があります。
行動の奥。
笑顔の奥。
結果の奥。
表面だけを見れば、「問題」に見えることもあります。
しかし、その背景に目を向けると、まったく違う景色が見えてくることがあります。
現場では、あとになって初めて気づかされることが何度もありました。
「あのとき、あの子は限界だったのかもしれない」
「あの沈黙には意味があったのかもしれない」
「本当は、助けを求めていたのかもしれない」
教育の難しさは、正しさだけでは人を支えきれないところにあります。
だからこそ私は、
“今見えているものだけで判断しないこと”
を大切にしたいと思っています。
問題行動をどう見ればいいのか。
生徒への声かけをどう考えるべきなのか。
大人はどこまで関わるべきなのか。
これらにことについて、今後の記事でも少しずつ書いていくつもりです。
どれも、若い頃の私自身が
「誰か教えてほしかった」
と思っていたことばかりです。
もし私の記事が、同じように悩みながら子どもと向き合っている方にとって、何かを考えるきっかけになれば嬉しいです。
教育には、
「すぐに答えの出ない場面」
が多々あります。だからこそ、一人で抱え込まず、誰かと一緒に整理しながら考える……
そこに意味があるのだと私は思うのです。
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この記事で書いた「見えているものだけで、生徒を判断しない」という考え方は、私が教員として経験した出来事の中で少しずつ形づくられてきたものです。
その考え方が実際の学校現場でどのように生かされたのか、また教員として何を大切にしてきたのかについては、こちらの記事でも紹介しています。
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