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教師の勘はどこまで当たるのか ~文化祭の「失格事件」で気づいた発達特性とクラス再生のリアル~


■はじめに

この記事では、特別支援教育コーディネーターによる研修で学んだ「TALKの原則」をもとに、文化祭で起きてしまったトラブルの実例を通してクラスを立て直していったプロセスを解説しています。

教員を長くやっていると、説明できない「違和感」に出会うことがあります。

まだ言葉にはならないけれどどこか、何かが引っかかる生徒……

「この子、もしかして……?」

と感じる瞬間です。

都立の中高一貫校で担任をしていた頃、文化祭で起きたある事件をきっかけに私はその直感の重さを思い知らされたのでした。


■文化祭で起きた「失格事件」

勤務校では高校段階の文化祭はクラスごとに演劇を行っていました。

教室に舞台セットを作り、スポットライトを入れて机と椅子で客席を作ります。かなり本格的なものです。

そして順位は来場者投票で決まります。ただし不正防止のため投票用紙には各クラスの受付で公認スタンプを押すルールでした。

このスタンプがある票だけが有効になります。

文化祭当日、私のクラスの芝居はかなり評判が良く

「学年トップでは?」

という声まで聞こえていました。

中心になっていたクラス実行委員長の女子生徒も大きな手応えを感じていたようでした。

そして後夜祭。

順位発表です。

しかし結果は……

失格

理由はすぐに説明されました。

クラスのある男子生徒が廊下に落ちていた投票用紙を拾い集めてはスタンプを押し、何度も投票していたというのです。

つまり

不正投票

でした。

私も生徒も完全に寝耳に水でした。

しかし……

その男子生徒は表情一つ変えません。

そしてこう言いました。

「ただ負けただけじゃん」


■教師としての違和感

その瞬間、
私は強い違和感を覚えました。

クラスは騒然としています。

泣き続ける実行委員長。

戸惑うクラスメイト。

しかしその男子生徒だけがまるで別の世界にいるようでした。

空気を読まない発言。

表情の変化がない。

悪びれる様子もない。

そのとき私は思いました。

「この子、もしかして……」

この“違和感”をどう扱うか…ここが、その後の展開を大きく分けたのです。


■専門家の見立て

私は養護教諭に相談しました。

すると養護教諭も同じ違和感を抱いていました。

ちょうどその頃、精神科医による教員研修があり、個別相談をすることになりました。

文化祭の出来事を説明すると、精神科医はすぐにこう言いました。

「ああ、それ発達障害の典型例ですね。」

ここで重要なのは、

勘だけで判断しなかったことです。

違和感を、専門的な見立てにつなげたこと。

これが最初の分岐点でした。


■TALKの原則

このとき私が思い出したのがチャレンジスクールで学んだ

「TALKの原則」です。

T:Tell
心配していると伝える
A:Ask
困っていることがないか尋ねる
L:Listen
話をじっくり聞く
K:Keep safe
安全を最優先に守る

問題が起きると
教師はすぐに

「どうしてそんなことをした」

と問い詰めてしまいがちです。

しかし、TALKの順番は違います。

まず
心配していることを伝える。

次に
困っていることがないか尋ねる。

そして
話を聞く。

最後に
安全を守る。

この順序を守るかどうかで、結果は大きく変わります。


■クラスをどう再生するか

私と養護教諭は
対応を三段階に分けました。

①女子生徒のケア
②男子生徒との個別対応
③クラス全体への説明

ロングホームルームで
男子生徒はクラスに謝罪しました。

実行委員長が静かにこう言いました。

「謝罪は受け入れる。もう大丈夫!」

その一言で、張り詰めていた教室の空気が少しずつ変わっていきました。

私は最後に、その男子生徒へこう伝えました。

「君は数学が得意だよね。得意なことで、困っている人を助けてほしい。」

それ以来、放課後になると、彼が友達に数学を教える姿を何度も見かけるようになりました。

その光景は、高校三年生になるまで続きました。

私は今でも、あの景色を忘れることができません。

しかし、この出来事は、ここで終わったわけではありませんでした。


■ 教師の勘とは何か

この出来事を通して、私が改めて実感したことがあります。

教師の勘とは、単なる経験や思いつきではありません。

日々、生徒と向き合い続ける中で育まれる

「小さな違和感に気づく力」

です。ただし、その勘だけで判断してはいけません。

養護教諭をはじめとする専門職の視点

保護者との対話

事実の積み重ね

これらがあって、初めてその勘は教育的な判断として意味を持つのです。


■ おわりに

教育現場では、教科書に書かれていない出来事が毎日のように起こります。

だからこそ教師には、知識だけでなく、生徒の小さな変化に気づき、周囲と協力しながら最善の判断を探し続ける姿勢が求められます。

文化祭で起きた一つの出来事は、私に教師という仕事の難しさと責任を改めて教えてくれました。

しかし、担任として本当に試されたのは、その“あと”でした。

保護者には、何を、いつ、どこまで伝えるのか。

傷ついた学級を、どのような順番で立て直していくのか。

その一つひとつの判断が、その後の信頼関係や学級づくりを大きく左右しました。

そのとき私が何を考え、どう判断したのか。

その後の経緯は、二つの記事に記録しています。

▼ あの「文化祭事件」のあと、保護者との信頼関係をどう築いていったのか

あの出来事のあと、担任と養護教諭はどのようにクラスを立て直していったのか


文化祭で違和感に気づけたのは、私に特別な「教師の勘」があったからではありません。

その背景には、見えている行動だけで生徒を判断しないという、私が教員時代から大切にしてきた考え方があります。

その教育観については、こちらの記事で詳しく書いています。

見えているものだけで、生徒を判断してはいけない


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