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河川敷で寝転ぶために、わたしは戦う ─少年ジャンプ精神と分かり合えなさの話


⸻ 一旦、バトる。

そう言うと、おそらく怖い人だと思われるだろう。

でも本当は、

「河川敷の芝生で大の字になって、
         青空を見たいだけだ。」


わたしは特殊な平和主義者


⸻見せかけだけの平和は息苦しい。


表面的に合わせることよりも、

「本当はどう思ってるの?」

を早々に知りたかった。

だから意見がぶつかること自体は、
それほど怖くなかった。

むしろ、
ぶつかったあとに残るものの方に興味がある。


少年ジャンプ精神で生きている


「わたしは、
  少年ジャンプ精神の人間だと思う。」


勝ちたいわけではない。
強くなりたい。

昨日の自分より少しだけ成長したい。

失敗したら反省する。
負けたら理由を考える。

納得できないことがあれば、一度は向き合う。

人生を平和な散歩ではなく、
修行編の連続として捉えている節がある。

(シュミレーション仮説を信じているからかな?)

だから人間関係も、
ただ仲良くするためのものではなく、

⸻ 互いの考えをぶつけ合って、
    合意形成していくものだと思っている。


昔は違かった


⸻ 理解されないことは、
     存在そのものを拒絶された感覚。


昔からこうだったわけではない。

むしろ逆で、

分かり合いたかった。
理解してほしかった。
話せば伝わると思っていた。

⸻人間同士なら、
    どこかで必ず交われると思っていた。


少年ジャンプ精神のきっかけ①


それはコロナ禍だと思う。

同じニュースを見ても、
同じ社会を生きていても、
同じ現実を見ているとは限らない。

人によって、
見えている世界そのものが違う。


少年ジャンプ精神のきっかけ②

決定的だった出来事がある。

「躁鬱による自傷行為を、
大切な友人に理解してもらえなかったことだ。」


苦しさを伝えた。
助けてほしかった。
理解してほしかった。

でも結果として、距離を置かれてしまった。

相手にも相手の事情がある。

受け止めきれなかったのかもしれない。
怖かったのかもしれない。

悪意があったわけではないはずだ。

それでも、

「どれだけ大切な人でも越えられない壁がある。」

この出来事も、
人間観を大きく変えたきっかけのひとつだ。


「一旦バトる」の正体


現在のわたしは、

「一旦バトる」

という考え方になった。

ただし、

相手を打ち負かしたいわけではない。
勝ち負けがしたいわけでもない。

「確認したいのだ。」

この人とは対話できるだろうか。
違いを認め合えるだろうか。
互いに考えを更新できるだろうか。

もしできるなら嬉しい。

もしできないなら、
無理に続ける必要もない。

⸻ お互いのために。


それでも人間が嫌いになれない


面白いことに、

人間への期待値は下がったのに、
人間への興味はなくならない。

むしろ、増す一方だ。

人間を観察する。
文章を書く。
曲を書く。
考察する。
なぜそんな行動を続けるのか。

結局、

「人間が好きだからだと思う。」

嫌いなら考えない。
興味がないなら観察しない。

理解できないからこそ、理解したくなる。


河川敷で寝転ぶために


わたしは積極的に戦いたいわけじゃない。

戦争は嫌いだ。

ただ、

「わたしの求める平和は、
   本音を通過したあとの平和である。」



無理に分かり合わなくてもいい。
全部理解できなくてもいい。

それでも、

「お前はそうなんだな」

「お前もそうなんだな」

と言い合えたなら。

そのあと一緒に河川敷へ行って、
芝生の上で大の字になって、
一緒に青空を見上げられたなら。

きっとそれが、
わたしにとっての友情なんだと思う。

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