異端な君へ、弾圧された「異端思想」入門の入門|②オッカムの宗教解釈
「異端思想」とは、正統な考えから逸脱した思想です。正統とは、キリスト教正統派の考え方を指します。当時の異端思想を見てみましょう!
中世の異端者、オッカムの独特な宗教解釈を追ってみましょう。
法王に与えられた力(権力)は、神からの贈与か?
オッカムは、権力(法王権、帝権)を裏付けるものは、「神の贈与だけではなく、人民の贈与によってそれを得る」と考えました。ローマ法王は神から選ばれているから100%正しい、とは考えません。人民の手によって担われている部分がある、というのです。
オッカムの宗教改革、ルターとの違い
後年、マルティン・ルターにより、宗教革命が起こりますが、オッカムは聖書だけがが全てとは考えません。オッカムの宗教改革の内容は異なります。
まず、オッカムが生きていた時代は、民衆が聖書に触れられる機会は、教会に行ったときのみです。活版印刷が発明される前なので、「写本」をみかけることとなります。しかし、当時の識字率は20%くらいです。文字は読めません。そうなると、神学者の解釈を通じてしか内容知ることができません。家庭に聖書があり文字が読める時代とは前提が大きく異なります。
また、オッカムは、聖書の中だけに留まる場合は、聖書に書かれたよりも後の時代(書かれていない時代)の正統性が失われてしまう、と考えました。聖書の時代から遠く離れた時代の真理性は、個人的精神の意識によって担われる、と考えました。個人的な信仰によって神は現れると主張します。
聖書は色々と解釈される可能性がある
現在のローマ教皇の判断のみが正しいわけではない。異端者と呼ばれる人たちも解釈は違うが、同じ聖書を信仰していることには変わりない。そうならば、時の権力者の解釈だけが正しいとするのは間違っている。たとえ異端者であったとしても、「同じ信仰の中に一緒にいる」と考えました。
旧約聖書と新約聖書の関係 キリスト教は自由の希求である
旧約聖書と新約聖書では、意味合いが異なる。新約聖書の方がより自由を与えてくれるものである。
新約聖書はもともと、虐げられた人の救済、自由への希求である。もしローマ教皇が神から統治権を与えられていたら、それは全てのキリスト教徒が教皇の奴隷になることを意味する。そうあってはならない。信仰を前にしては、信者はみな平等であるべき。
おわりに
オッカムの考え方が、キリスト教正統派を貶める(相対化する)ことが分かると思います。正統派としては絶対に容認できません。オッカムは危険人物とされ国外追放されました。しかし、それも驚きはないでしょう。
次回は、『君主論』のマキャベリです!
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