見出し画像

異端な君へ、弾圧された「異端思想」入門の入門|①オッカムという異端者

「異端思想」とは、正統な考えから逸脱した思想です。正統とは、キリスト教正統派の考え方を指します。

 当時、異端思想とされたものは、興味を持たない限り、どのように異端だったかは、わかりません。また、自分にまで伝わってきていない思想であれば、自分から探そうとしない限り、目にする機会は訪れません。異端思想に触れる機会があってもよいのでは? そう考えて、このシリーズをはじめようと思いました。

 自分の心に問いかけてください。このページを開いたあなたは、禁断の実をかじってみたいんじゃないでしょうか? 内容を知ってしまったら、あなたの世界がねじれてしまい、生きる本質が変わってしまうかもしれません。
 でも、すでに覚悟はできているはずです。


「オッカムのウィリアム」 その生い立ちと環境

 オッカムは、イギリスのオッカム地方の出身です。1290年ころに産まれたとされています。
 フランチェスコ修道会で頭角を現して、1306年に副助任司になる。その後若くして、オックスフォード大学で教鞭をとり、一人の生徒でもありました。若いころから相当優秀な人でした。そして、敬虔な神学者でもありました。

 当時は、「大学」と言えば「神学」。というように神学がとても重要でした。また、当時の神学は、アリストテレスの哲学と一体化しており、それを学んでいました。
 しかし、オッカムの通う大学は、設立されて間もなく、とても自由な校風でした。その時、アリストテレスの天動説について、疑いを持っていました。

「オッカムの剃刀」 経験論的唯名論 オッカム派の登場

 オッカムは、基本的にすべてを疑うことから入り、必然性のないものは一切受け付けません。必然性が認められるものだけ(個物)を確からしいと考えました。(経験論的唯名論)その冷徹な目は、「オッカムの剃刀」と呼ばれていました。彼のスタンスは、じょじょに広がっていき、オッカム派と呼ばれる一派がでてきました。
 アリストテレスを批判する、個物しか認めない、と言う姿勢は、神学そのものを否定すること直結していて、法王庁からの思想干渉が頻発しました。唯名論的考えが正しいのであれば、神の意志を理解できる者はこの世に存在しないことになる。それは、ローマ法王が法律、商業、政治を取り決めることには、根拠がない、といういことになる。後にローマ教皇批判を開始することになります。

多発する神の「奇跡」問題

 日曜に教会へ行くと、神の代理人である司式者がいます。信仰者はミサを歌い、聖書の知識を深めます。司祭者は、神から授かった霊的な神秘の力で、パンとぶどう酒にキリストの体を宿らせます。
 しかし、オッカムからすると、パンとぶどう酒は、何の変化も起きない。キリストの血肉に変化したというのは、物の実態は変化していない、個人の信仰心だけの問題だ、と考えました。それが奇跡だったら、世の中に奇跡が多発していることになる。
 現代人からするとその通りと思うのですが、当時は司祭者が奇跡を起こしていないと、非常に都合が悪いのです。

清貧論争 「異端」認定による国外追放

 ローマ教会や聖職者は、地位を利用して、お布施によって、莫大な資産を築いていています。金持ちそのものです。それを象徴するような問い、「イエスは財布を持っていたか否か」という当時の論題が、現代にまで伝わっています。
 イエスは、「清く貧しくあれ、貧しきものにこそ天国は開かれていて、金持ちが天国に行くのは針の穴をラクダが通るよりも難しい」と言っています。当時の教会は、どう見ても、「清貧」からもっとも遠い存在に見えてしまいます。

 オッカムは、清貧論争において、現在のローマ教皇や宗教の在り方を否定したため、1328年、オッカムは、キリスト教の正統信仰ではない、「異端」と認定され、かつての敬虔な神学者は、破門され国外追放されます。

 次回は、オッカムがどのようにキリスト教を解釈していたのか、ざっくりと見てみましょう!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
スキマークを押してくれるとうれしいです!

つづく!

いいなと思ったら応援しよう!

牧村サキ 応援していただけると助かります! 記事投稿に役立つものに使用させていただきます!