見出し画像

俺は、妻を愛していたのか?(1)

第1話


俺の名は、風間伴憲かざま・とものり・・・四十歳代のオッサンである

只今、自家用車の青いスズキのワゴンに乗り、ある目的を持ってドライブに出かけている

“ある事”を再確認するため、“思い出”を辿りながら、何日もかけてドライブをしようと思い・・・

大阪を出て、山陽道を西へ兵庫県に入り、日が西に傾きかける頃、ちょうど頃合いの「道の駅」が見えたので、そこで一時停車し、お茶や弁当を買い、夕食を済ませようと考えた

助手席には、茶色のダウンジャケットで包んだ小さな包みが、シートベルトで丁寧に固定されている

揺れないように、傾かないように
隣に座る誰かに、そっと毛布を掛けてやる時のように

・・・・・

先日、俺の大事な女性ひと・・・妻の聡子さとこを、“癌”で喪った

聡子との間に子供を授かる事はなかったが、一緒にいて幸せだった

聡子の“ほんわか”とした雰囲気は、不思議と人を落ち着かせた
欲の無い女性で、新しい服より一緒に飲む晩酌を喜ぶような、そんな静かな人だった

そのせいだったのだろう・・・俺の心の平穏を、あの女性は静かに満たしてくれていた
俺も、聡子の心の平穏を保つよう、自分なりに努力をしたつもりだ

逆に、聡子の方はと言うと・・・

「俺のような者と一緒にいて、君は幸せか?」
と、質問をすると

『貴方の様な“安心感”のある人といると、私は何時も心が満たされるの・・・幸せよ』
と、微笑みながら答えてくれた

俺は、しがないサラリーマン・・・出世とは程遠い人間のため、妻には何時も苦労を掛けさせていた

そんな俺を、妻は笑顔を絶やさず迎えてくれていた・・・俺には勿体ない伴侶だった

そんな平穏で幸せな時に、聡子は“癌”に侵されている事が判明した・・・もう、手の施しが無いほど“癌”は進行していた

俺は、それでも、聡子の“癌”が治り、再び共に心の平穏が満たせる幸せな時を取り戻すため、必死に妻の身体と精神の看病をし続け

聡子も決して諦めることなく精一杯頑張っていた

最期の日、病室の窓からは弱い秋の陽が差していた・・・痩せた手が俺の手を握り返す力は、もうほとんど無かった

『今まで私を支えてくれて、ありがとう・・・貴方と一緒に生活が出来て凄く幸せだった・・ごめんなさい・・・貴方との“約束”を守れなかった』

そう言い残しながら、俺と聡子の努力虚しく“癌”の進行は止まらず、最期は静かに息を引き取った

普通なら、最愛の妻を亡くすと、その場で号泣し悲しむはずが、俺の場合・・・

(やっと聡子はあらゆる苦しみから解放されたのだな)

と、最初に感じ、安心した心情が現れた

大事な女性を失って悲しく切なくは思っている・・・でも、何故、最初の心情が“死んでは駄目だ”という“悲哀感”でなく、“苦しみから解放されて良かった”という“安心感”だったのか、自身の心情がよく分からなかった

葬儀の間も、火葬場の炉の扉が閉まる瞬間も、俺は涙を流さなかった
喪主の挨拶も淡々とこなし、参列者の誰かが“ご主人、しっかりしておられますねえ”と小声で囁いていたのを、ぼんやり聞いていた

“しっかりしている”のではない

何か大事なものが、自分の中で麻痺している・・・そんな気がしていた

そこから、俺は“本当”に、“聡子を愛している”のか自身の心情に疑惑を持った
俺と聡子の出会いが、他人とは違っていたため余計に

それを確かめるべき・・・

俺と聡子の趣味である“ドライブ”をし、生前よく訪ねた場所を廻り

最後は、聡子の生まれ故郷の“長崎”の、一度も訪ねた事もない実家を訪れ、聡子の遺骨を納めてもらう旅を実行したのである

助手席の包みは、あの小さな骨壺だ・・・

聡子、お前がいつも助手席で、俺の運転に合わせて小さく鼻歌を歌っていた、その場所だ

・・・・・

夕暮れ時の「道の駅」は、下り線の車が一斉に休憩に入る時間帯で、駐車場は半分ほど埋まっていた

長距離トラック、関西ナンバーの家族連れ、バイクの集団・・・夏の終わりの空気が、排気ガスと海風に混じって鼻をくすぐる

駐車場へ入ろうとした時、出入口付近で“長崎まで”と書いた『プラカード』を掲げ、大きなリュックを背負ったショートヘアーの二十代の女性が、駐車場から出ていく自動車に向かって、ヒッチハイクをしていた

日に焼け始めた頬・・・少し薄汚れたスニーカー・・・プラカードの字は、段ボールの切れ端にマジックで殴り書きしたような、少し不揃いな筆跡だった

(ここから長崎までか・・・誰も乗せてはくれないだろうな・・・でも、無事に乗せて貰える車があると良いのだけど)

と、思いながら「道の駅」の駐車場に入り、コンビニの弁当を買いに行った

無事に弁当とお茶を買い、車の方へ戻る途中、何故か、そのヒッチハイクの女性が気になった

弁当、お茶を、車の中に入れてから、出入口の方へ行ってみると・・・

「や、やめて下さい・・・」

「長崎まで行きたいんだろ?そこまで乗せてやるぜ」

柄の悪い若い男性二人が、これまた柄の悪い車に、その女性を無理やり乗せようとしていた

周りの人たちは、遠目で見るのみで誰も助けようともしなかった

スマホを構える者もいない・・・見て見ぬふりをするのは、この国の「道の駅」の不文律らしい

助手席のダウンジャケットが、ちらりと脳裏をよぎる・・・

聡子なら、こういう時、どうしただろうか・・・

俺は、仕方なしに・・・

「よう、香織ちゃん・・・こんな処で何をしてるんだい?」

と、知り合いの振りをし、柄の悪い若い男性たちとヒッチハイクの女性に近づいていった

その柄の悪い若い男性二人と、ヒッチハイクの女性は、キョトンとしたが、直ぐに

「おっさん!!関係ないやろ!!向こう行ってろや」

と、柄の悪い男の一人が吠えて来たが、俺は、とボケながら

「俺の姪っ子が、君たちに連れて行かれそうになってる処を見逃す訳にはいかないだろ?」
と、言い返した

「うっ・・・」

その男が口ごもったが、もう一人の男が

「おっさん・・・ホントにこの女の親族かよ?」
と、疑念を持った

「あ~~本当だ・・・これ以上騒ぎを大きくすると、警察が駆けつけてくるぞ」

相手の疑念に答える必要はない・・・適当かつ淡々と言ってのけると

「ちっ・・・仕方がね~~な」

と、呟きながら、二人の若い男は、柄の悪い車に乗り「道の駅」から出ていった・・・タイヤが砂利を噛む音が、やけに大きく響いた

さっきまで、呆然としていた女性が、意識を取り戻したかのように

「た、助けて頂いてありがとうございます」
と、頭を下げて、お礼を言ってくれた

よく見ると、背負っているリュックは、二十代の娘が旅行に使うにしては大きすぎた・・・背中に乗った家、という感じがした

この娘、“旅行”じゃないな・・・直感的にそう思った

「あ~~別にいいよ・・・無事に良い人に当たって、“長崎”まで行けると良いね」

そう、少し塩対応し、自分の車の方へ戻ろうとした時・・・

その女性に、腕を掴まれた

「お願いがあります・・・あたしを“長崎”まで連れてってくれませんか?」

と、懇願された

(まあ、俺も“長崎”までのドライブだし・・・それは良いのだけど、天国の聡子はどう思うだろうな)

助手席の包みが、やけに存在感を持って感じられた

ダウンジャケット越しに、あの小さな声が聞こえてきそうだった・・・

『助けてあげたら?』と・・・

頬を人差し指で掻きながら、考え事をしていると

「どうか!!よろしくお願いいたします・・・お母さんが倒れて入院してるんです・・・長い間仕事に就けずお金が無いため“ヒッチハイク”で行こうとしてました」

と、再び頭を下げ懇願された。

(なんちゅう見え透いた理由のいい訳なんや)

と、思い、つい・・・

「ぷっ・・・」

と、少々笑ってしまった

その女性、顔を赤らめ頬を膨らませながら

「何ですか?その笑い~~じゃ、もう良いです」
と、言った後、俺から立ち去ろうとした

その時の表情が・・・何故か、一瞬だけ、聡子が拗ねた時の顔に似て見えた

似ていない、はずだ・・・聡子はもっと控えめな、湿度の低い拗ね方をする人だった
それなのに、何故そう見えたのか、自分でも分からなかった

「すまん・・・分かった、俺も“長崎”までドライブをする処だ・・・そこまで乗せてあげるよ」

その女性を引き留めると、その女性、瞳を輝かせながら満面の笑みで

「ホントですか~~嬉しいです~~」

早速、俺の腕に縋りつき

「確か、おじさんの車、あそこにある“青色のスズキのワゴン”だったね」

と、言いながら、俺の車の所まで引っ張って行った

えらい馴れ馴れしく、強引な処がある女性だな、と感じた

妻の聡子とは正反対だ、と思った・・・聡子は、恥ずかしがりやで、控えめな女性だったからな

その“正反対”を・・・俺は何故、ほっとけなかったのだろう

「処で、夕飯は食べたのか?」
と、咄嗟に質問すると

「あっ!!そう言えば、朝から何も食べてなかったです」
と、答えてきた

朝から、か・・・この時刻で、朝から・・・

その一言が、俺の中で何かの針を引いた

仕方なく、弁当とお茶は後日って事で、ヒッチハイクの女性を連れて「道の駅」のフードコートに行って、一緒に夕食を食べるのであった

助手席のダウンジャケットの包みに向かって、心の中でだけ囁く

(聡子、ちょっと寄り道になるが・・・済まない)

・・・・・

このヒッチハイクの女性の名は、結城香織ゆうき・かおり・・・二十三歳と若い

無理やり乗せようとした柄の悪い男たちから救おうとして、適当に言った名前が、まさか“ドンピシャ”だったとは思わなかった

彼女自身も、見ず知らずな男に、名前を言い当てられた理由で、暫く茫然としていたみたいだ

それと、彼女の懇願した時の言い訳は、半分嘘で半分本当だった

自分の母親は別に病気でも入院していた訳でなく、ただ単に“帰れる金”が無かっただけだった

まあ、長い間仕事に就けなかったのは本当みたいだ・・・就けなかった理由は“世の中の不景気”のせいだと分かりきっていたので、野暮な事は聞かないが・・・

フードコートの定食を前に、香織は食う前に一度、手を合わせた

短く、「いただきます」と小さく呟いた・・・
その瞬間だけ、この娘の中に残っている“ちゃんとしたもの”が、垣間見えた気がした

せめて、と思い

「長崎に帰れる運賃くらい、友人とかに借りればいいだろ?」

俺は呆れながら香織に言うと・・・

「あっ・・・家賃が払えなくてアパートを追い出されたばっかりで、そこまで頭が回らなかった・・・以前、学生時代に経験した“ヒッチハイク”を思い出して・・・」

香織は、頭を掻きながら、気恥ずかしそうに答えてくれた

「自分の故郷に帰って、もう一度やり直したい」

拳を握りしめながら、自分に言い聞かせるように口ずさんでいた

そんな彼女を見て・・・
(若いって良いなあ)
と感じた

もう、四十を超えるオッサンも頑張れるかなと思ったが、自信は無かった

四十という年齢は、妙な年齢だ
何かを始めるには遅く、終えるには早い
妻を亡くした俺のような男にとっては、特にそう感じる

俺に関しては、彼女には、しがないサラリーマンで、亡くなった妻との思い出の場所を訪ねながら、妻の実家を訪ねるというドライブをしている事を教えた

“妻の遺骨と一緒に”とは言わなかった・・・言えば、この娘を不必要に怯えさせる気がした

「伴憲さんの奥さんとあたしは、同じ故郷なんだね・・・何かシンパシーを感じるわ」

香織は笑みを浮かべながら、嬉しそうに囁いていた

その「シンパシー」という言葉の軽さが、何故か少しだけ胸に引っかかった

聡子の長崎と、香織の長崎は、同じ県の名前というだけで、まったく別の土地のはずだ
それなのに、この娘は、当たり前のように並べて呼んだ

俺は、箸を止めて、何も答えなかった

・・・・・

「道の駅」での夕食後、後部座席に香織を乗せ、亡き妻との思い出の“場所”巡りと、“長崎”へのドライブが始まった

助手席のダウンジャケットの包みに、香織は気付いていない・・・後ろからでは、ただの上着が丁寧に畳んで置いてあるようにしか見えないだろう

俺は、出発前に、もう一度、包みに手を添えてシートベルトを確認した・・・聡子を揺らしたくなかった

「あの「道の駅」も、奥さんとの“思い出の場所”なの?」

香織が、運転席と助手席の間の空間から覗き込みながら聞いてきたので

「あ~そうだ・・・「道の駅」すべてが“思い出”の場所と言って過言ではないかな」

俺は、香織が覗き込んで事を気にせず、前を見て運転しながら答えた

実際、聡子と走ったドライブで、「道の駅」に寄らなかった旅は一度も無い

聡子は、必ず地元の野菜を一つ二つ買った。家に帰って、大したものを作るわけでもないのに

『見てるだけで嬉しいの、この土で育ったんだなあ~~~』

そう言って、キュウリ一本を大事そうに撫でていた姿を思い出す。

香織が、後部座席に凭れ、

「いいなあ~奥さんとは、頻繁に“ドライブ”に出かけていたんですね~」

羨ましそうに口ずさんでいたので、

「君だって“彼氏”とかと“ドライブ”に行ったこと位はあるだろう?」
と、そんな香織に対し適当に問うと、次は、拗ねだし、

「以前“彼氏”いましたが・・・ほぼ、“ゲーム”と・・・」

その台詞の途中で、急に顔を赤らめながら、

「“えっち”しかしてくれなかった・・・」

無理して言わなくてもいい事を、恥ずかしそうに答えてくれた

(若い者、あるある~~~)
だと思いながら、抑えきれなくなり

「ハハハハ~~~」

俺は、これでもかと言うほど笑ってしまった

でも、こんなに笑ったのは、まだ“癌”が見つかる前の、聡子が“天然ボケ”をした時以来だなと思い出していた。懐かしいな。

あの頃の聡子は、時々、テレビを見ながら変な勘違いをしては、それを俺に披露した。
《あの俳優さん、絶対あの女優さんと付き合ってるわ、顔が似てきたもの)
《夫婦は顔が似てくるって言うけど、あの二人、兄妹にしか見えないわね)
そのたびに俺は笑って、笑われた聡子は少し拗ねて、でも嬉しそうだった。

バックミラーに、自分の笑った顔が映り込んで、はっとした。
こんな顔、葬式以降、一度もしていなかった気がする。

俺に笑われた香織はと言うと・・・

「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃない~~結構恥ずかしかっただから」と、プンプン怒りながら言って来たので

「すまん、すまん・・・つい、俺の若い頃の事を思い出してな」
と、香織には悪いなと思い謝った

本当は、聡子の事を思い出していたのだが、それは、この娘には言わなかった

そしたら、香織の奴、にやっとしながら

「伴憲さんも若い時って、“彼氏”みたいに“えっち”な事しか考えなかったんだ・・・男って、みんな一緒なんだね~~~」

と、何故か機嫌が直ったみたいだ

男はみんな“すけべ”だという事は否定しないが

まあ、それで香織の機嫌が直るなら“儲けもん”だと思い、弁明はしなかった

ハンドルを握りながら、ふと、助手席の包みに話しかける

(聡子、この娘、お前とは正反対だな。でも、何でだろうな・・・お前なら、この娘をどうする?)

返事は、無い

エンジンの音と、タイヤが夜の国道を舐める音だけが、車内を満たしていた

・・・・・

次の“思い出”の場所、岡山の日生ひなせに着いたのは良いが、もう日が暮れてしまっていた為、近くのビジネスホテルに泊まる事となった

日生は、瀬戸内海に面した、備前市の小さな漁師町だ。岡山と兵庫の県境近く、昭和四十年代から牡蠣の養殖が盛んになった港町で、岡山県で獲れる牡蠣の半分以上がここで水揚げされる

その夜、ホテルの窓から覗いた港町は、もう店じまいの時間で、街灯に照らされた漁協の建物と、赤い点滅灯を付けた漁船の影が、静かに並んでいるだけだった

聡子と来た時も、こんな時刻にここに着いて、窓から同じ景色を見た

あの時は、後ろに聡子がいた・・・『明日、いっぱい食べようね』と、俺の背中に頬をくっつけて言った

「あたし・・・泊まれるお金持ってないよ?」
香織が不安そうに、恐る恐る言って来たので

「俺が、出すから安心しろ」
と、言ったら

香織は嬉しそうに

「あ、ありがとう・・・」
と、言う途中で、警戒心をむき出しにし

「まさか、同じ部屋って事は無いですね?」
と、質問をしてきたので

「あのなあ~~~さっき会ったばかりの人と一緒に泊る訳ないだろ・・・部屋は別々にきまってるだろ」
と、呆れながら答えると

香織の奴、本当に安心したのか、瞳を輝かせながら

「伴憲さん・・・ありがとうございます、ここまで親切にしてくれるなんて・・・」
と、謝辞を言いながら、一粒の涙を流していた

香織を無事に“長崎”まで届ける様に“善管注意義務”と言う感じで対応しただけで、親切にしたつもりは無いのだけど・・・

・・・いや、と俺は思い直す
本当に“善管注意義務”だけなら、俺はこの娘の宿代まで出す必要はなかったはずだ

そう思いながら、ホテルのチェックインを済ませ、各部屋へと向かい、それぞれの一夜を迎えた

部屋に入り、俺は真っ先に、ダウンジャケットの包みを机の上にそっと置いた・・・

窓の外の、港町の灯りに向かって、聡子の骨壺を向ける

「聡子・・・日生に着いたよ・・・懐かしいだろ」
「明日、また“カキオコ”を食べに行こう・・・お前は、あの店のやつが一番好きだったよな」

返事は、無い・・・

だが、どこかで聡子が『楽しみね』と笑っている気がして、俺は薄く笑った

日が昇り、俺と香織は、早速ビジネスホテルを後にし、日生の漁港に向かった

港の朝は、都会の朝とは別種の時間が流れている・・・

水揚げはもう終わった後で、岸壁に並んだコンテナには、前夜の氷の残りと、磯の匂いだけが残っていた。「五味の市」と呼ばれる直売所の幟が、潮風に鳴っている

この町の牡蠣は、冷凍ではない生のものを鉄板に乗せても、すぐには縮まないという

搬送中に余分な水分を吸っていないから、身が締まったまま、プリッと焼き上がる・・・それが日生の牡蠣の証だった

そして、この町の名物が、“カキオコ”――牡蠣入りのお好み焼きだ

元は漁師の賄い飯で、売り物にならない小粒や傷物の牡蠣を、漁師の女房連中がお好み焼きに放り込んで食ったのが始まりだという

今では、町おこしの顔になっていて、冬のシーズンには、車で何時間もかけて食べに来る客で行列ができる

俺と聡子が初めてここに来たのも、そんな冬の日だった

聡子は、湯気の立つ鉄板の上に山盛りになった牡蠣を見て、『わあ』と小さな声を上げた

あの『わあ』の声は、今でも耳に残っている・・・

聡子と来た時に気に入った店は、もうすぐ店じまいの時刻ではあったが、朝から空けてくれた

暖簾をくぐると、店の“おねえさん”

日生では威勢の良い女性のことを年齢に関係なく“おねえさん”と呼ぶらしい・・・が、気さくに迎えてくれた

焼いた牡蠣、蒸した牡蠣、そしてカキオコ

大阪風でも広島風でもない、“日生焼き”と呼ばれるこの町独特の焼き方は、生地にキャベツを混ぜて鉄板に広げ・・・その上にこれでもかと牡蠣を乗せ、さらに上から生地をかけて挟み焼きにする

ソースは、地元で使い継がれたピリ辛のものを、店ごとにブレンドして仕上げる

鉄板の上で、牡蠣が小さく縮むことなく、ジュッという音を立てながら、透明な旨みを滲ませていく

「わ~~美味しい~~~こんなに“牡蠣”を食べる事が出来るなんて初めて~~」

香織は、これでもかって程、満面の笑みを浮かべながら、“牡蠣”料理を食べていた

俺は、その香織を見ながら、にっこりと微笑み、聡子と一緒に楽しくワイワイしながら“牡蠣”を頬張っていたのを思い出していた

聡子は、控えめな人だったから、牡蠣を一つずつ、ゆっくりと口に運んだ。

『海のミルクって、本当ね』
『この町、好きだわ・・・人の顔が、穏やかで・・・』

・・・そんな、取るに足らない感想を、一つ一つ丁寧に言葉にしてくれた

「あ、あたし・・・口の周りに何か付いてるんですか?」

俺が香織の食べる様子を見ているのに気づき、問い質してきた

「あ・・・妻とここで一緒に“牡蠣”を食べていたなあ~~と思い出していただけだよ」
と、答えると、何か、意味深な面持ちで

「ふ~~ん・・・そうなんですか」
と、言った後、再び“牡蠣”を食べ始めた

俺は、その香織の“喰いっぷり”を見て、少しだけ、心の中で呟いた。

(聡子なら、こんな食べ方はしないな)

聡子の“控えめな食事の仕方”とは違い、香織から“聡子”を投影した事に、少し後悔をしてしまった

いや、投影しようとして、出来なかった事に、と言うべきか・・・

聡子は、もうこの世にいない・・・
そして、香織は、聡子ではない

当たり前の事が、この朝、妙に重たく胸に落ちた

この後、備前市の伊部いんべの方へ出かけ、そこで“備前焼の体験”をしてきた

備前焼は、日本六古窯の中で最も古い焼き物で、千年以上、窯の煙を絶やしたことがないと言われている

伊部の町は、レンガ造りの赤い煙突があちこちに建ち、備前焼作家の窯元や陶芸店が軒を連ねる、渋い色合いの町だ

神社の狛犬や、道端の表札まで、備前焼でできている

備前焼の最大の特徴は、釉薬をかけない事だ
絵付けもしない

伊部の田んぼの底から採れる「ひよせ」と呼ばれる、鉄分を多く含んだ粘土だけを頼りに、一二〇〇度を超える登り窯の中で、松割木を焚き続ける

十日以上も焚き続ける間に、土と炎と灰が偶然出会い、器の肌に模様を刻んでいく

その偶然の模様を“窯変ようへん”と呼び、一つとして同じものはない

「一土、二焼け、三形」・・・その順番で大事にされる、飾り気のない焼き物だ

ここも、“思い出”の場所で、聡子が、不器用ながらも懸命に“湯呑”を造った

その懸命で不細工な“湯呑”は、今でも大切に食器棚に仕舞ってある

俺と香織は、ある備前焼の工房で、“備前焼”の挑戦をした

俺は“湯呑”、香織は“茶碗”を造り始めた

土は、まず手の中で、少し重い・・・そして、驚くほど粘る。鉄分が多いせいか、濡れた葉っぱのような鈍い鉄の匂いがする

轆轤ろくろが回り始めると、その重さが急に動き出し、指先に土の“意思”のようなものが伝わってくる。強く押せば歪み、弱ければ崩れる

香織は、今まで“陶器”造りをした事がないため、指導員に教わりながら、回る轆轤の粘土と格闘をしていた

「見た目は、簡単に思えたのに、案外難しいね~~」

四苦八苦しながらも、笑みを浮かべながら、懸命に“茶碗”造りに精を出していた

俺の方はと言うと・・・

「中々上手いですね・・・何度か“体験”をされてるのですか?」
と、指導員に褒められたので

「色んな焼き物の“体験”をしてるもんですから・・・」
と、気恥ずかしながら応答した

本当は、聡子と一緒に、何度もこの伊部の工房に通ったからだ、とは言わなかった

毎回、聡子の造る器は、形が歪み、縁が厚すぎたり、底が薄すぎたりした

それでも、聡子は
『一つ一つ、違うから面白いのよ』
と、笑っていた

・・・“窯変”と同じだな、と、今、ようやく気付いた・・・同じものなんて一つも無い、それが良い、と聡子は、あの時からずっと知っていたのだ

「それでですか~~~」

指導員が、感銘をしながら、俺の“湯呑”造りを見ていた

その俺の様子を見た香織は、“負けん気”を起こしてか、力み過ぎて、轆轤の“茶碗”を崩してしまった

「え~~そんな~~~」
と、香織は悔しながら、また“茶碗”を造りなおした

聡子なら、失敗しても『あら、失敗しちゃった』と、笑みを浮かべながら、“陶器”を造り直してたな

ここでも、“聡子との思い出”を噛みしめていたが、香織との違いにも感心していた

(まったくの逆だな)
と、思いながら

しかし・・・と、俺はふと思った

聡子の『失敗しちゃった』も
香織の「え~~そんな」も

どちらも、手の中から“思い通りにならないもの”がこぼれ落ちた瞬間の声だ

言葉の形は違っても、そこにあるものは、そう違わないのかもしれない・・・

そう思った瞬間、手の中の湯呑が、少しだけ、左に歪んだ
俺は苦笑いした。土は、考え事に敏感だ

粘土から、“湯呑”、“茶碗”に仕上げた物は、後は窯に入れて焼く事となるが、仕上がるまで日にちが掛かる為、出来上がった物は、後日送られて来るので、その出来栄えを楽しみにしながら、岡山市の方へ向かった

窯の中で、俺の湯呑と香織の茶碗が、これから十日以上も炎に晒される

灰を被り、炭に埋もれ、土と炎と偶然が出会って、どんな顔になって出てくるのか

出てきた時、俺の手元に残るのは、湯呑一つだ

香織の茶碗は、この娘の元へ郵送される・・・きっと、長崎のどこかに・・・

それでいい、と思った・・それで、良いと・・・

第2話へと続く・・・

いいなと思ったら応援しよう!

熊さとの創造館(note版) このストーリーを読んで、面白かったら応援をよろしくお願いいたします。より一層の創作活動のモチベーションがあがります。