俺は、妻を愛していたのか?(2)
第2話
俺・風間伴憲と、ヒッチハイカーの結城香織は、今、岡山市を目指しドライブをしている
備前の町を離れ、国道二号線を西へ・・・車窓の景色は、瀬戸内の明るい海から、少しずつ田畑の広がる岡山平野へと変わっていく
助手席のダウンジャケットの包みは、変わらず静かに俺の隣にいる・・・備前焼を造っている間、車に置きっ放しだった事を、運転しながら心の中で詫びる
(聡子、暑くなかったか?)
その途中で、遅い昼食をとろうとしたが、流石に“牡蠣”を食べ過ぎて、受け付けなかった
昼飯は抜き、と決めた時、後部座席で香織も
「あたしもさすがにお腹いっぱい~」
と背伸びをしていた
鏡の中で見るその満ち足りた顔が、聡子がよく車内で見せていた
『もう動きたくないの』
という顔と、ほんの僅か、重なった気がした・・・
日が暮れる頃には、岡山市に着き、適当なビジネスホテルを選び、勿論部屋は別で、一息ついた
ホテルの窓からは、岡山駅の周辺の賑わいと、その向こうに、夜空に浮かぶ黒い影のような岡山城の天守が見えた
聡子と来た時は、あの天守の輪郭を、部屋の窓から二人で並んで眺めた・・・
『黒いお城って、どうしてこんなに寂しく見えるのかしらね』
聡子はそう呟いて、しばらく動かなかった
あの横顔を、俺は今でも、窓ガラスの向こうに見ている気がする
やがて、日が沈み、岡山市内の適当な居酒屋へ、香織と共に晩御飯がてら飲みに行った
その店は、路地裏の、地元の勤め人が仕事帰りに一杯やるような、気取らない居酒屋だった
カウンターの奥で店主が黙々とつまみを焼き、壁には地酒の名前が墨書された紙が所狭しと貼られている
「かんぱ~~~い」
ジョッキーを当て合いながら、生ビールを飲み、適当に頼んだ“ツマミ”を食べながら、今日の“牡蠣”をたらふく食べた事や、“備前焼”に挑戦した事を思い出しながら、会話が進み、暫くしてから・・・
「何で、あたしを“長崎”まで送ろうとしたの?」
すっかり、出来上がった香織が、自分をヒッチハイクしてくれた理由を聞きだした
本当の理由は、俺にも分からない・・・
もし、分かっている事があるとすれば、助手席のダウンジャケットを見下ろした時
何となく、聡子が
『助けてあげたら?』
と言っている気がした・・・それだけだ
でも、それを今、この若い娘に言うのは、どう考えても違う
「只の気まぐれだ・・・君の行き先が“長崎”だったからな、良かったじゃないか」
と、答えたが、俺の言った理由に不満があるのか
「うっそだ~~、本当は、あたしの“身体”目当てでしょ?」
と、酔ってるせいなのか、恥ずかしげもなく、しょうもない言いがかりを付けてきた
俺は、呆れながら、
「あのな~~君みたいな小娘・・・誰が見向きなんかするか!!」
と、咎めた
嘘だ・・・
四十男が、二十代の若い娘を“見向きもしない”ことなど出来ない
ただ、見向きしたその瞬間に、助手席の包みが視界の端に入る・・・それだけの事だ
香織は不機嫌そうに
「あ~~あたしの事、小娘と言った~~これでも、おじさんたちにもモテたんだよ」
と、言い返してきた
結構強気な女の人だな、と思いながら
「どちらにしろ、旅は、独りより複数で行った方が楽しいだろう・・・」
と、香織を宥めた
そう言いながら、俺は自分で驚いていた
“独りじゃない”と・・・思っている事に・・・
助手席に聡子がいる“積もり”だった筈なのに、俺は今“複数”と言ったのだ
香織の奴、何か悲しそうな面持ちで
「伴憲さんの奥さんって、いいよね~~」
と、呟いたので、俺は首を傾げながら
「何でだ?」
と、問い質したら
「だって、奥さん亡くなるまで、伴憲さんが何時も傍にいたじゃない・・・羨ましいよ」
と、泣きそうになりながら答えた
そう言えば・・・俺はずっと他の女性など興味なく、聡子のことばかり見ていたな
ほっとけなかったんだよな、聡子の事・・・
あの女は、時々、夜中にふと目を覚ますと、枕元で俺の寝顔をじっと見つめていた
そして俺が目を開けると、ばつが悪そうに笑って
『貴方が居なくなっちゃうんじゃないかと思って』
と囁いた
居なくなるのは、お前の方だったじゃないか・・・聡子
俺は、ジョッキーの縁を指で撫でながら、ぼんやりそう思った
そう、しみじみと感じていると
「あたしの“彼氏”なんて、“セックス”の事しか頭に無くて、最終的に、飽きたからって棄てたんだからね」
と、香織は泣きながらヤケ酒を煽っていた
俺は、慌てふためき
「お、おい!!香織、そんな事をしたら急性アルコール中毒を起こすぞ」
と、香織のヤケ酒を止めた
何とか止めたものの・・・すっかりと寝込んでしまい、鼾まで掻きだした
やれやれ、仕方なく香織を背負いながら、俺らの泊まるビジネスホテルまで行き、香織の部屋まで連れて行き、ベッドに寝かしつけた
まさかここまで、面倒を見なければならないのかと思ったら、暗澹たる気持ちになってしまった
背負った香織は、思っていたより軽かった・・・二十三歳の、女の子一人分の体重
最期の聡子は、もっと軽かった・・・抱え上げると、人間一人の重さとは思えないほど、頼りなかった
ホテルの廊下を歩きながら、俺は、あの病院の廊下を思い出していた・・・
手の中にある、若い命の重み
手の中から、零れ落ちていった、あの命の軽さ・・・
同じ体温を持った人間なのに、こんなにも違うものなのか・・・
よく見ると、香織の寝顔・・・可愛いものだと感じたが
聡子のように綺麗な顔立ちと比べると
やっぱり・・・妻の方が良いと感じ、部屋を後にした
自分の部屋に戻り、聡子の骨壺を机に置いた・・・骨壺の蓋に、そっと手を添える
「聡子、今日も済まない。あの娘、変なところで泣くんだよ。困った娘だ」
「・・・でも、お前がいなくなってから、誰かの面倒を見るの、久しぶりだったよ」
独り言のつもりだった・・・
それなのに、最後の一言は、自分でも思いがけないほど、しみじみとした声色になっていた
次の朝、俺は、どんよりと曇った顔の香織と共に、ビジネスホテルの朝食をとっている
俺が、黙って食事してるだけなのに、その態度が“怒ってる”と勘違いした香織が
「ごめんなさい~~あたし、酔いつぶれると言う失態をして、伴憲さんに迷惑を掛けてしまいました~~」
と、謝ったが・・・
俺は、その場では確かに“怒って”いたが、一晩寝るとすっかり“忘れていた”
「その事は、どうでも良いよ・・・気にせずに朝食をとれよ」
と、俺は、何の事も無かった様に返事をした
香織、俺が怒って無い事に安心してか
「よかった~~伴憲さんったら、むすっとした感じで御飯食べるから、まだ“怒ってる”と思ったから」
と、言いながら、曇った顔は何処へやら、元気よく朝食を取り出した
香織の立ち直りの早さに
(いつ・・・本当の反省してるのか?)
と、心の中で“怒った”と同時に
聡子の場合“当分の間、反省するだろう”と、これまた“困る”とも感じた
・・・どちらも一長一短と思った
聡子は、小さな失敗を、何日も引きずる人だった
味噌汁の味が薄かっただけで、翌朝までしおらしくしているような、そんな人だった
俺が「気にするな」と何度も言っても、本人の中では中々決着が付かなかった
あれは、あれで、大変だったのだ・・・今、思い出すと・・・
「香織よ・・・要するに、君が“長崎”に帰る理由は、“彼氏”に突飛酷捨てられ、就職も何もかも上手く行かなくなって、金も精魂も尽きたからだろ」
と、俺が、香織の今までの言動の要約を語ると、香織、下を向きながら
「・・・うん」
と、泣きそうになりながら答えた
俺は、すこし笑みを浮かべながら
「君は色々と苦労して来たんだな・・・上手くいかない時でも、藻掻きながら努力していたら、それなりの幸せはやって来るよ・・・俺も“そうだった”から気を落とすな」
と、宥めたら、香織、涙を浮かべながら
「う、うん・・・そうだね・・・ありがとう伴憲さん」
と、言って“うわ~ん”と泣き出した
俺は、再び慌てながら、
「やめろよ~~ここで泣くと誤解されるだろ」
と、咎めた
でも・・・(“足掻いて努力しても”幸福は来ない時もあるけどね)
口には出さなかった
聡子の癌が見つかった時、医者からの説明を受けた帰り道、俺は繁華街の横断歩道で足を止めた
信号の青が、やけに眩しくて、前に進めなかった
あれだけ一緒に藻掻いてきたのに、どうして、幸せの方が先に逃げていくのか
その時、後ろを歩いていた聡子が、俺の背中にそっと手を当てた
『大丈夫、まだ負けてないわよ』
と笑ってくれた・・・結局、負けた
でも、あの時の掌の熱だけは、俺の背中に、まだ残っている気がする
・・・・・

この後、岡山市内にある、“想い出”のある場所・・・「岡山城」へと向かった
岡山城は、豊臣五大老の一人・宇喜多秀家が慶長二年(一五九七)に築城した、三層六階の堂々たる天守だ
不等辺五角形という全国的にも珍しい天守台の上に、漆黒の下見板張りの外観が、ひときわ重々しく聳える
その黒さゆえに、別名を“烏城”・・・カラスの城という
白鷺城と呼ばれる姫路城と、よく対比して語られる
天守は、戦前は国宝だったが、昭和二十年の空襲で焼失し、現在の姿は昭和四十一年に再建されたものだ
それでも、屋根には金の鯱が光り、天守からは旭川の流れと、川向こうの日本三名園・後楽園を一望できる
岡山城の駐車場に車を止め、降りてから、助手席のダウンジャケットの包んだ骨壺をリュックに積め背負い、天守閣の方へ向かおうとした時、香織が、俺の腕に絡みつき
「わ~~このお城“真っ黒”だね~~普通は“白い壁”だよね」
と、遠くから見える、岡山城天守閣を見て、感心していた
その香織の行動に、つい既視感に囚われた・・・以前、聡子と一緒に来た時も、同じだったのだ
聡子も、あの天守を遠くから見上げた瞬間、立ち止まって、少しの間、黙った・・・そして、ぽつりと言った
『お城が、喪服を着てるみたいね』
あの時、俺は何と答えただろう・・・忘れてしまった
何か、適当に頷いただけだったと思う
何故、あの時、もう少し、ちゃんと応えてやらなかったのだろう
俺は、知らぬ間に“涙”を浮かべていた・・・
それを見た香織は、キョトンとしながら
「どうしたの・・・急に涙をながして」
と、言った
「い、いや・・・何でもない」
と、言った後
岡山城についての説明をしながら、公園内に入っていった
天守の再建のこと
黒漆の下見板のこと
不等辺五角形の珍しい天守台のこと
喋っている間は、涙を誤魔化せる・・・喋らないと、また聡子の声が聞こえてきそうだった
俺の聡子に対する心情を、何故か分からないが、香織に覚られない様に誤魔化してしまった
誤魔化したのは、香織にではなく、自分自身に対して、だったのかもしれない・・・
あれから、香織はやたらと俺の腕に絡みつきながら、離れようとせずに、天守閣や後楽園などを見て回った
天守閣の最上階、格子戸の向こうに広がる景色・・・眼下の旭川、川向こうの後楽園の広大な芝生、岡山市街の屋根の連なり
聡子と来た時も、この場所で立ち止まった
聡子は手すりに手を添えて、しばらく川面を見下ろしていた
『お殿様って、毎日、これを見てたのね』
『・・・ちょっと、孤独な気分になるわね』
あの時、聡子が「孤独」という言葉を使ったのを、今、ようやく思い出した
聡子の言う孤独と・・・殿様の孤独と・・・今、俺が抱えている孤独
どれも違うのだろう・・・でも、どれも、同じ“高い場所から景色を見る”という形をしている気がした

天守を降り、月見橋を渡って、後楽園に向かう
後楽園は、江戸時代に岡山藩主の池田綱政が築かせた大名庭園で、日本三名園の一つだ
兼六園、偕楽園と並ぶ、国の特別名勝でもある
広大な芝生と、沢の池、唯心山。池田家の歴代の殿様たちが、ここで歌を詠み、茶を点て、月を眺めた
中秋の頃には「名月観賞会」が、春夏秋にはライトアップ「幻想庭園」が開かれる、岡山市民の自慢の庭だ
芝生の向こうに、さっきまで登っていた黒い天守が、嘘のように小さく見える
聡子は、ここでも立ち止まって
『同じお城なのに、ここから見ると、お城って何だか可愛いわね・・・さっきまで偉そうだったのに』
と、少し悪戯っぽく笑った
その笑顔を、今、香織は知らない
俺は、この娘に、聡子の笑顔の事を、何も話していない
傍から見ると、歳の差カップルに見えるだろう
俺とすれば、“はた迷惑”としか思わなかった・・・聡子に“申し訳ない”と、心の中で謝っていた
それに、香織が急に俺と距離を近づけようとした理由も分からなかった
それでも・・・何故か、“ほっとけない”と感じた・・・距離を置いたり、放置すると、香織の身に何か起こりそうな、そんな胸騒ぎに似た感覚を覚えた
まるで、聡子と出会った頃の様に・・・
そう思った瞬間、自分でぎょっとした
聡子と、香織を、重ねた事など、一度も無かった筈だ
なのに、俺の心は、勝手に、そんな比較を始めている
慌てて打ち消そうとしても、一度浮かんだ思考は、消えない・・・
・・・・・
“思い出”の場所の一つ「岡山城」を後にして、次の“想い出”の場所がある、広島の方へと、車を走らせていた。
夕方の陽射しが、フロントガラスを斜めに射し込み、ハンドルの上に長い影を作っている
助手席のダウンジャケットの包みにも、同じ陽射しが柔らかく当たっていた。
その走行中に、後部座席の香織がいきなり、
「伴憲さん・・・奥さんの聡子さんとの“馴れ初め”ってどんなだったの?」
と、聞かれてしまった。
俺としては、余り聞かれたくないモノだったので
「済まんが・・・余り聞いて欲しくないな」
と、淡々と答えた
香織、何か寂しそうな面持ちで、
「そうなの・・・ごめんね、あたし伴憲さんに入り込み過ぎたのかな」
と、言った後、黙ったまま話しかけて来なくなった
バックミラーから見える香織の顔が、まるで“聡子の悲しみの面持ち”に見えてしまった
(また、それか)
と、俺は自分に呆れた
この娘の仕草の一つ一つが、最近、やたらと聡子に見える
似ていないはずなのに・・・まったく、逆の性格のはずなのに
もしかすると・・・“似ている”ことより、“一人の女が、ここで自分の隣の席にいて、自分の言葉に傷つく”という構図そのものが、聡子と俺の関係の再現になっているのかもしれなかった
それに気付いた瞬間、胸の奥で、何かの錠前が外れる音がした
そして、何か“胸騒ぎ”を覚え
「分かった・・・俺と聡子の“馴れ初め”を話そう・・・聞きたいのだろ」
と、無意識に行ってしまった・・・何故“その事”を香織に話そうとしたのか、よく分からなかった
ハンドルを握る指に、少し力が入った
助手席のダウンジャケットに、俺は心の中だけで告げる
(聡子、少しだけ、話させてくれ。この娘にだけだ・・・)
香織が忽ち、瞳を輝かせ
「うん・・・聞きたいです~~」
と、胸を躍らせながら、早く聞きたそうにソワソワしていた
俺は、そんな香織に苦笑いをしながら
「そんなに良い“馴れ初め”ではない・・・」
と、前置きを入れた後
真剣な面持ちで
「妻の聡子との出会いは・・・聡子が“自殺”しようとした処を偶々目撃し、思いとどまらせたのが始まりだった」
そう告白をした時の、香織の顔は、まるで“俺に自殺を止められ困惑した聡子の顔”の様な印象を受けた
まあ・・・妻を亡くしたショックで、そのように幻視したのだろう・・・実際は、予想外の事柄に驚愕したのだろう
それに、俺が妻を亡くした事にショックを受けている事に、何故か、俺の方が安心していた
そうか。この娘は、ちゃんと驚くのだな・・・
ちゃんと、この娘の中で、聡子は“生きていた人”として扱われているのだな、と・・・
その後、“馴れ初め”から“妻に先立たれる”までの経緯を、香織に語っていった
・・・・・
ちょうど、聡子と俺は同じマンションに住んでいて、偶然にも隣同士だった・・・
俺が酔っ払って間違って隣の部屋に入った時に、ちょうど聡子が縄で首を吊ろうとした最中だった・・・
目を閉じれば、あの日の光景が、まだ鮮明に残っている・・・
玄関を開けた瞬間の、知らない部屋の匂い
電気を点けていない、薄暗い部屋の奥
天井の梁・・・垂れた縄・・・その下に立っていた、俺と同じ年頃の、細い肩
あの時の、聡子の、驚いたような目
何故か、『しまった』という顔ではなく・・・『見つかってしまった』という、どこか恥ずかしそうな顔をしていた
俺は慌てて部屋に入り、聡子を縄から離し
「生きてたら絶対に良い事がある」
と、訳の分からない事を言った後、間違った部屋から出て行ったよ
訳の分からない事、と今は笑って言えるが、あの時は必死だった
何を言えば、この人が、もう一度生きてくれるのか・・・知らない女が、自分の目の前で、死のうとしている
人間の命が、一本の縄でここまで呆気なくなるのか、と思った
俺は、何の覚悟も準備も出来ていない頭で、一番陳腐で、一番すがるしかない言葉を選んでしまった
それでも、聡子は、その陳腐な言葉を、馬鹿にしなかった・・・
翌朝、隣の部屋の聡子が通勤したのを目撃して“自殺を思い留まった”と思い安心した・・・
本当は、翌朝、俺は寝坊しなかった
出勤前の時間に、わざわざドアを薄く開けて、廊下を窺っていた
聡子の部屋のドアが、いつものように開いて、あの人が、いつものように出勤していくのを、確認するまでは・・・
それでも心配になった俺は、帰宅後、隣の部屋の前で聡子を待った・・・違う場所で自殺してなければと思ってな・・・
そしたら、無事に聡子が帰って来た・・・その時の“安堵感”はいまだに忘れないよ・・・
この後、俺は気恥ずかしそうにしながら、“部屋を間違ったお詫びに、ご飯を奢らせて欲しい”と食事を誘ったら、聡子も気恥ずかしそうに“良いですよ”と答えてくれた
その食事の時に、色んな話をしていくと気が合うのかして、これからお互いに部屋を行き来しながら親密が高まっていった
特に“料理”と“遠出”が共通の趣味だったので、よく一緒に料理をしたり、ドライブに行ったりしてたよ・・・結婚後も相変わらずだったけどな
そのうち、俺は“一緒に住まないか”と言って、聡子はそのまま、俺の部屋に引っ越した
その後、婚姻届を出した後も変わらずに一緒に平穏に暮らしてたよ
・・・料理、と言っても、大層なものではない
聡子は、俺が仕事帰りに立ち寄った総菜屋の唐揚げでも
『一緒に食べるとご馳走ね』
と言う人だった
遠出・・・と言っても、高速を飛ばして行くような旅ではない
隣の県の「道の駅」まで、軽自動車で半日走る、そんな旅ばかりだった
だが、その「大層でないもの」を、あの人は、人生で一番の贅沢のように味わってくれた
それが、俺には、何よりも嬉しかったのだ・・・
聡子は、ほんの偶に“自殺しそうな症状”が現れるから、どうしても“ほっとく”事が出来なかった・・・
その“症状”は、結婚してからも、時々、静かにやってきた
ある日、仕事から帰ると、聡子が、電気も点けずに、キッチンの椅子に座っていた
窓の外はもう真っ暗で、聡子の顔の輪郭だけが、街灯の光で辛うじて見えた
俺は、黙って電気を点けず、向かい合って座った
聡子は、ぽつり、と言った・・・
『私、ここに居ていいのかな、って、ふと思ったの』
俺は、しばらく考えてから・・・
「居ていいんだよ。俺が居て欲しいんだから」
と、それだけ言った
聡子は、少し笑って、ゆっくりと立ち上がり、冷蔵庫を開けて、夕飯の支度を始めた。
そういう夜が、年に数回、あった
毎回、俺は同じ事を言った・・・同じ事しか、言えなかった・・・
『私の為に、ここまで支えて貰えるなんて・・・こんなに嬉しい事はないわ・・・私は貴方にお返しをしたいの・・・どうしたら良いの?』
と、聞かれたから・・・
本当は“何も要らない、ただ一緒に人生を歩もう”と言いたかったが、聡子の折角の頼みを無碍に出来ないだろ
俺は考え込んだ挙句・・・これなら、聡子の“自殺衝動”が収まるかも知れないと思い
「俺へのお返しとして・・・俺より長生きしてくれ」
と、返答したら、聡子の奴、にっこりと笑みを浮かべ、
『ありがとう・・・私、貴方より長生きするわ』
と、承諾してくれた
あの約束を、聡子は、守れなかった・・・
最期に・・・
『ごめんなさい・・・貴方との“約束”を守れなかった』
と言ったのは、あの時の約束の事だったのだ
守らせてやりたかった・・・
たった一日で良かった・・・俺より、たった一日、長く生きて欲しかった・・・そんな、叶わない願いが、今でも時々、俺の胸を刺す
・・・・・
「そこから、聡子は俺と一緒に色んな事に挑戦し、人生を楽しむかの様に謳歌したよ・・・最期は“癌”に侵され、努力むなしく“俺より先に”天国へと旅立ったよ」
と、話し終わった頃には・・・
「そんな事があったのですね・・・」
香織は、べそを掻きながら、俺の話を聞いていた
バックミラーで見る香織の泣き顔は、もう、聡子には見えなかった
聡子は、あんなふうには泣かない・・・聡子は、静かに、俯いて泣く人だった
これは、香織の泣き方だ
そう見えた時、俺はほっとした・・・
その後、何を思ったのか・・・香織の奴、拳を握り気合を入れながら、
「じゃ~~、“長崎の実家”まで、あたしが“聡子さん”の代わりになって上げる」
と、ほざいてきた
俺は、唖然とした後
「香織は香織だ・・・聡子ではない、別にそんな事する必要ないだろ」
と、苦笑しながら断ったが
「いえ!!“長崎”へ連れてってくれるお礼として、是非ともやらせて頂きます」
と、香織は頑として引かなかった
相変わらず、強引な娘だな、と思い、
「まあ・・・好きにすれば良い、無理はするなよ」
と、半分諦めて返答したら、香織、嬉しそうな笑みを浮かべ
「あたし・・・頑張るね」
と、言ったので、
「いや・・・無理はしないで」
と、またもや苦笑しながら突っ込んでいた
“聡子の代わり”など、誰にもできる筈がない・・・
この娘は、多分、それを知らない
知らないから、軽々しく、そんな事を言える
でも・・・知らない人間の軽さが、時々、重い人間を救ってしまう事がある
聡子の自殺を、あの夜、訳の分からない言葉で止めてしまった、あの時の俺のように
ハンドルを握ったまま、俺は、少しだけ、苦笑した
「もう一つ、聞いて良いかな?」
と、香織が神妙な面持ちで聞いて来たので
「なんだ?」
と、質問返しをした
「いつも助手席に置かれ、出かけるたびに背負い、宿に泊まる度に持ち歩いている、ダウンジャケットに包んだモノって・・・もしかして、聡子さんの」
と、言って来たので、俺は一瞬、息を詰めた・・・
この娘、気付いていたのか・・・
岡山までの道中、一度も触れてこなかったから、気付かれていないと思っていた
だが、考えてみれば当然だ・・・二十代の若い娘でも、三日も一緒に車に乗っていれば、助手席の“置き物”が、ただのジャケットではないと分かる
「そうだ・・・これは、聡子の骨壺だ・・・“長崎の実家”に帰るんだよ」
と、答えたら
「そうなんだ・・・聡子さんとお別れするんだ」
と、香織が寂しそうに言って来た
香織の“その台詞”を聞いた時、言い知れぬ“悲しみ”を感じてしまった。
お別れする・・・そうか・・・これは、そういう旅だったのか
俺は、今まで、これを“聡子を故郷に送り届ける旅”だと思っていた
でも、香織の口から出た
「お別れするんだ」
という一言で、それが、急に違う形に見えてきた・・・
骨壺を、長崎の実家に納める・・・それは、聡子を、聡子の生まれた土地に返す、という意味だ
俺の隣から、助手席から、手の届く場所から、聡子を手放すという事だ・・・
俺は、ただ、聡子の遺骨を生まれ故郷の“長崎”で弔ったら、あの世でも“安心・平穏”になるだろうと考えていた・・・
これが本当に聡子の為になるのだろうか・・・
そして、改めて『本当に聡子を愛している?』・・・そう頭に浮かんできた
俺は、聡子と結婚し一緒になった理由が、聡子の境遇に対する“同情心”と、聡子が偶に“自殺衝動”を起こしていた為に“放置”出来なかったからである
それと、聡子と一緒にいて“居心地が良かった”からである・・・
そんな理由で、“聡子を愛してる”と言う資格があるのだろうか?
愛、という言葉は、俺にはあまりに大袈裟で、おこがましかった
聡子との日々は、「愛」というより、もっと地味な、もっと日常的な、何かで出来ていた気がする
並んで味噌汁をすすった朝・・・
ドライブ帰りに、互いに黙ってラジオを聴いていた夜・・・
聡子が風邪を引いた時に、額に冷えたタオルを載せてやった、その手の冷たさ・・・
そういう、一つ一つの細かい動作の積み重ねが、俺の日常だった
それを「愛」と呼んで良いのか、俺には、まだ分からなかった
そんな事を考えながら、俺と香織は、広島の方へ向かうのであった
フロントガラスの向こうに、夕焼けが広がり始めていた
瀬戸内の空は、夜に向かう時、ほんの数分だけ、不思議な茜色になる
聡子は、この時間が好きだった・・・
『この色、綺麗ね。一日が終わっちゃうのが、少しだけ惜しくなる色』
今、俺にも、同じ事を感じる夕焼けだった・・・
第3話へ・・・
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このストーリーを読んで、面白かったら応援をよろしくお願いいたします。より一層の創作活動のモチベーションがあがります。