【インターフォン】#9 創作大賞2026ミステリー小説部門
陽菜は車で向かう道中、朝の吉村さんの言葉を何度も思い返していた。
『陽菜ちゃん……ありがとう』
何かが引っ掛かっていた。
そして、その理由に気づいた。
陽菜が一度も自分の名前を吉村さんに伝えていなかったことに。
それに――。
あの言葉が、最後になってしまうような気がしてならなかった。
父の運転で祖母の家の前に着く。
「やっぱり……」
陽菜は小さく呟いた。
朝訪れたばかりの場所だ。
表札には『吉村』と書かれている。
車を降りると、陽菜はインターフォンの前へ向かった。
震える指でボタンを押す。
『はい。少しお待ちください』
返ってきたのは、年配の女性の声だった。
しばらくして玄関が開く。
そこから現れたのは、八十路を前にした柔らかな雰囲気の老婦人だった。
「ご無沙汰しております。お義母さん」
父が頭を下げる。
祖母は陽菜の顔を見るなり、目尻を震わせた。
「……陽菜ちゃん?」
その声に、吉村さんの面影を感じた。
陽菜の目から涙がこぼれる。
「よく来たねぇ。さあ、おいで」
祖母は涙を拭うと優しく微笑み、家の中へ招き入れてくれた。
部屋へ入ると、棚の上に若い頃の母の写真が飾られていた。
写真の中の母は、眩しいほど明るい笑顔を浮かべている。
祖母は父と陽菜にお茶を淹れてくれた。
「こっちに来てお茶をどうぞ」
写真を眺めていた陽菜と父は祖母の前に座った。
陽菜はこの五か月間の出来事を一つ一つ思い出しながら2人に話した。
ホームセンターのインターフォンから始まった、
吉村さんとの不思議な会話。
その後から毎日続いた、楽しかった会話のやり取り。
そして、今日ここへ来るまでのことを。
祖母も父も相槌を打ちながら、この嘘のような話を最後まで黙って聞いてくれた。
話を聞き終えた祖母は、しばらく考えるように視線を落とし、やがてゆっくりと口を開いた。
「陽菜ちゃんを妊娠して間もなく、お母さんは病気が見つかったの」
祖母の声は穏やかだった。
「お医者さんには産むことを諦めて治療に専念するよう言われた。でも、あの子の決意はとても強かったのよ」
陽菜は初めて知った。
母が命を引き換えにしてでも、自分を産んでくれたことを。
涙が止まらなかった。
父が静かに続ける。
「母さんにな、“陽菜が母さんが死んだのは自分のせいだと思わないようにしてほしい”って言われてたんだ」
父は少し寂しそうに笑った。
「陽菜には言う時が必ず来るから、それまでは話さないでほしいって」
母は、"こんな日が来ることを分かっていたのだろうか"と陽菜は思った。
すると祖母が小さく頷いた。
「私はね、いつかこんな日が来るんじゃないかと思ってたの」
祖母は懐かしむように母の写真へ目を向ける。
「陽菜ちゃんが生まれてすぐの頃だったかな」
少し笑って続けた。
「あの子がね、『大人になった陽菜ちゃんが、いつも話しに来てくれる』って言っててね」
続く
