【インターフォン】#8 創作大賞2026ミステリー小説部門
急に緊張してくる。
陽菜は小さく息を吸い、玄関横のインターフォンを押した。
「ピンポーン」
『はい――ゴホッ、ゴホッ』
苦しそうな咳が聞こえる。
「吉村さん? 私です。来たのですが、大丈夫ですか?」
『わざわざ来てくれてありがとう。でも、ごめんなさいね。体調が悪くなってしまって……もしかしたら移してしまうかもしれないの』
「大丈夫ですか!? 私は全然平気なので、また来ます。今日はゆっくり休んでください」
『本当にごめんなさい。せっかく来てくれたのに……。でも、そうさせてもらうわね』
申し訳なさそうな声だった。
陽菜は明るく返す。
「気にしないでください。娘さんもいますし、お大事にしてくださいね」
すると、少し間を置いてから、どこか寂しげな優しい声が返ってきた。
『……陽菜ちゃん、ありがとう』
その言葉が、妙に胸に引っかかった。
何かを言おうとした。
けれど言葉が見つからず、結局、陽菜は何も言えないままその場を後にした。
早く家を出たため、まだ昼前だった。
「この場所からなら、実家の方が近いか」
実家までは一時間ほどで行ける距離だった。
陽菜は父に電話をかける。
「今から行くね」
『え!? 今から? 昼ご飯は食べるか?』
「あー、食べようかな」
電話越しに慌ただしさが伝わる声で、父が言った。
『じゃあ、あるもので用意しておくよ』
「よろしく」
電話を切り、陽菜は実家へ向かった。
家に着くと、父が焼きそばとおにぎりを用意して待っていた。
「ただいまー」
『おかえり。明日か明後日って言ってたのに、急だったな』
「うん。急に予定がなくなって」
『そうなのか。とりあえず母さんに挨拶しておいで』
「うん」
陽菜は隣の部屋へ向かった。
小さな仏壇の前に座り、線香に火をつける。
そして、小さな遺影の中で微笑む母に手を合わせて声をかけた。
「母さん、来たよ」
父が用意してくれた昼食を二人で食べていると、父が言った。
『今年は母さんの命日、一緒にいられそうだな』
そういえば、今日は母の命日だった。
陽菜が生まれて間もなく急死した母のことは、遺影の写真に話しかけていた記憶しかない。
ここ何年か陽菜は、自分の用事を優先させて、
母の命日に父と一緒に過ごすことは出来てなかった。
『今日は綾香ちゃんと約束してたのか? それとも、いい人でもできたのか?』
父はプレゼントしたマグカップとグラスに麦茶を注ぎ、グラスを陽菜に差し出しながらにやにやとした顔で聞いてくる。
陽菜は呆れながら答えた。
「違うよ。綾香はお盆も忙しいみたい。それに、ちょっと用事があって〇〇県〇〇市に行ってたの」
すると、父の表情が変わった。
『え? 〇〇県〇〇市?』
驚いたように目を見開く。
『もしかして……お前、覚えていたのか?』
何のことか見当もつかない。
「何のこと?」
『陽菜が生まれて、母さんが亡くなるまではな。そこに住んでる母方のおばあちゃんの家で暮らしてたんだ』
そういえば、そんな話を聞いたことがあった気がする。
けれど、陽菜自身はまったく記憶になかった。
ーーもしかして
陽菜は父に聞いた。
「母さんの旧姓って何?」
『吉村だよ』
その瞬間――心臓が大きく跳ねた。
鼓動が急に早くなる。
「父さん……母さんの動画とか残ってない?」
『あぁ、ちょっと待ってろ』
父は奥の部屋へ向かい、しばらくして古いホームビデオを抱えて戻ってきた。
コードを繋ぎ、再生する。
映像には、小さなカメラに向かって微笑む若い母の姿が映っていた。
その腕の中には、生まれたばかりの陽菜が抱かれている。
『陽菜ちゃん、パパの方見て』
母の声が聞こえた瞬間、陽菜は勢いよく立ち上がった。
「父さん、車出して!」
『な、何だ? どこか行くのか?』
陽菜は急かすように父の腕を引く。
「母方のおばあちゃんの家に行って!」
続く
