【インターフォン】#3 創作大賞2026ミステリー小説部門
五月も半ばになると会社には慣れてきたものの、慣れない土地と仕事に陽菜はすっかり疲れ切っていた。
19時に退社し、電車に揺られながらぼんやりスマホを眺める。
ふと写真フォルダに、綾香と食べたランチの写真が表示された。
「結局、私も忙しくて綾香とランチに行ける状態じゃなかったな。綾香も忙しいのかな。今何してるんだろう」
そう思ったものの、LINEを送る気力すら湧かない。
ぼんやり思い耽っているうちに、電車は最寄り駅へ到着した。
時刻は19時半になろうとしている。
「あー……シャンプー切らしたんだった」
今からドラッグストアへ行くのは面倒だ。
そう思った時、駅前の大型ホームセンターが目に入った。
上京してすぐに訪れた、あのホームセンターだ。
「ホームセンターなら、何でも売ってるよね」
陽菜はそのまま店へ入り、生活用品コーナーへ向かった。
いつも使っているシャンプーを見つけ、値段を見る。
ドラッグストアより少し高かった。
一人暮らしは何かと物入りだ。少しでも節約したい今、この僅かな差額すら痛かった。
しかし、今から別の店へ向かうだけの体力も気力も残っていない。
仕事続きの日々で積み重なっていた疲れや苛立ちが、そんな些細なことで溢れ出した。
どうしようもない怒りを抱えたまま、シャンプーをカゴに入れレジへ向かおうとした時、ふと、あのインターフォンが目に入った。
――そうだ。
いつもなら言えない。
けれど、今日ばかりは従業員に文句を言ってやりたかった。
陽菜は勢いのまま、インターフォンのボタンを押した。
「ピンポーン」
『はい、吉村ですが?』
インターフォン越しに声が聞こえた瞬間、不思議なほど怒りが萎んだ。
何を言いたかったのか、自分でも分からなくなる。
それでも消えかけた怒りを無理やり呼び起こし、陽菜は言葉を絞り出した。
「あ、あの! 前にインターフォンを押した者ですけど、私が買わないからって、あの態度は店員としてどうなんですか?」
『……あの、店員って何のことですか?』
その直後、電話の向こうから赤ちゃんの泣き声が響く。
『おぎゃあ、おぎゃあ』
『あなたがインターフォンを押すせいで、娘が起きてしまったんですけど。こちらこそ迷惑なんですが』
「え……? ホームセンターの店員さんですよね? 職場に赤ちゃん連れてきてるんですか? というか、インターフォン買う人は試しに押すに決まってます!」
女性は明らかに迷惑そうな声でいう。
『だから、ホームセンターの店員って何の話ですか?嫌がらせですか?
……ちょっと待っててください。今、出ますから』
店員がとうとう出てくる気配に陽菜は身構えた。
続く
