七湯♨️「温泉名人」になる法 (別府八湯温泉道) ㉜

温泉名人の湯けむり歴史館
♨️
『七つの湯が八つの湯』
わたくし、生まれも育ちも大阪です。道頓堀で産湯を使い、姓は温泉、名は名人。
人呼んでフーテンの寅ベラー「温泉名人」と発します。
皆様ともどもタコ焼き、お好み焼き、串カツの香り漂う浪花の片隅に、しがない仮の住まいを構えー
西の湯に行っちゃあノボセ、東の湯に行っちゃあフヤケ、気がつきゃ土地土地のお兄さん、お姉さんに世話になりっぱなしのー
どうにもこうにも湯気くさいオッチャンでござんす。
以後、見苦しき面体お見知りおかれまして、万端ひきたって、よろしくお頼み申します。

海は瀬戸内
湯は別府
この言葉を手ぬぐい代わりに肩にかけ、湯めぐりをはじめる皆々様方。
別府へ行くと、誰もが耳にする言葉があります。
「別府八湯」ー浜脇、別府、観海寺、堀田、明礬、鉄輪、柴石、亀川。
まるで水戸黄門の助さん格さんよろしく、八つ揃って初めて別府八湯。
ところがでござんすよ。この八湯、実は生まれたときから八つだったわけじゃござんせん。
人間だって最初は赤ん坊。温泉だっていきなり八湯になるわけじゃない。
実はその前に、「鶴見七湯」という時代があったんでござんす。
まぁ言ってみりゃ、別府八湯のじいちゃんみたいな存在ですな。
今から約180年前。
江戸時代の終わり頃、鶴見岳の麓には湯けむりがもうもうと…
当時の人々はその一帯を「鶴見村」と呼び、森藩の領地として大切に管理しておりやした。
時に弘化二年(1845年)。森藩八代藩主の久留島通嘉公は、
「我が領国の湯は、まこと見事なものじゃ。しかと書き留めよ」
と命じ、そして作られたのが、
📚『鶴見七湯廼記』
(つるみしちとうのき)
という絵入りの温泉ガイドブックでございます。いわば、「江戸版るるぶ」。
ガイドブックに登場しやす七つの湯、すなわち、
照湯の湯。(現存)
宮路の湯。
伊麻井の湯。
明礬山の湯。
とびの尾の湯。
壷の湯。
谷の湯。(現存)
でござんす。
現在でいえば、明礬や照湯、今井、竹の内あたりを中心とした鶴見岳山麓の温泉文化圏となりやすかね。
当時は「別府」という一体的な観光概念はまだ存在しておりやせんでしたから、鶴見七湯と言っても、今の別府八湯のような広い範囲ではなく、「鶴見山のふもとに湧く七つの湯」というほどの意味でござんした。
さて、『鶴見七湯廼記』のおもしろいところは、ただ温泉を紹介しているだけじゃない。
地獄も描かれておりやすし、湯の花づくりも描かれておる。硫黄や明礬の採掘も描かれておりやす。
そして何より、「るるぶ」さながらに、蒸気で食べ物を蒸している姿まで描かれているのでございます。
つまり今や鉄輪名物となった「地獄蒸し」が、すでに江戸時代には当たり前の生活文化だったという事がわかりやす。
現代人が「おお、地獄蒸し!」と感動している傍らで、江戸のおっちゃんは、
「ふかし芋、でけたがな〜」
と、当たり前の顔をしていたかもしれやせんなぁ。歴史とは案外そんなもんでござんす。
さらに鶴見七湯を歩くと、温泉だけではござんせん。
火男火売神社(ほのおほのめじんじゃ)の噴火鎮静伝説。天然坊主地獄の爆発跡。照湯地獄の噴気。明礬の湯の花小屋。
…とまぁ、温泉と信仰。温泉と産業。温泉と暮らし。そのすべてが一体になった世界が見えてくるのでございます。
つまり鶴見七湯とは、「温泉地」ではなく、「温泉文化そのもの」だった。
さて―ここから時代が動きやす。
江戸の「鶴見七湯」が、やがて鉄道とともに人を集め、町を広げ、ひとつに結ばれていく。
そして観光王として名高い油屋熊八の手によって、別府は点の湯から面の湯へ。
こうして生まれたのが、別府八湯でござんす。
つまり、
鶴見七湯は「文化の源流」
別府八湯は「都市の完成形」
同じ湯でも、見ている景色が違うのでございます。
たしかに、別府八湯めぐりは楽しい。温泉道を歩き、スタンプを集め、名人を目指す。
これも立派な温泉修行でござんす。
しかしその前に、もし鶴見七湯の歴史を知ってたらどうでやんすかね。
照湯の湯けむりを見ても、谷の湯の静けさに浸かっても、明礬の白い噴気を眺めても、その向こうに江戸時代の湯治客の姿が見えてくるに違いござんせん。
「この湯に入った人も、腰が痛かったのかなあ」
「この蒸気で芋を蒸したのかなあ」
そんな想像が始まるのでございます。
七つの湯は消えたわけではござんせん。
照湯は今も湯けむりを上げ、 谷の湯も静かに息づいておりやす。
☛「照湯」について、連載㉛「御前」をご覧ください
ただ時代が流れ、 村が町になり、 町が温泉都市へと育っていく中で、
鶴見山麓の七湯という世界は、 やがて浜脇、別府、観海寺、堀田、明礬、鉄輪、柴石、亀川を含む もっと大きな温泉文化圏へと広がっていったのでございます。

鶴見岳を見上げて
おくんなせぇ
あの山の麓から始まった七つの湯が、 今日も静かに八つの湯を支えているのでございます。
湯は逃げやせん。
人生に疲れたら、 まず一湯。
歴史を知りたくなったら、 七湯。
欲張りたくなったら、 八湯。
別府という町は、 ちゃんと順番まで教えてくれるんでござんすよ。
【第二部 】
別府八湯は、ただ湯につかるだけの町じゃござんせんよ。
ぬるめの湯でゆっくり体を温めれば、血の巡りがよくなり、心も体もほぐれてまいりやす。
泉質もさまざまで、塩化物泉はぽかぽか長持ち、硫酸塩泉は養生向き、単純温泉はやさしく心を緩めてくれやす。
鉄輪では湯けむりと蒸し湯、明礬では硫黄の香り、柴石では静かな養生湯。亀川や観海寺は芯から温まり、別府と浜脇は気軽に日々の疲れを流し、堀田は旅人をやさしく迎えてくれる。
そう、旅人の体は、休息→再起動→発散→回復→定着へと巡りゆく、つまり別府八湯とは、「八つの薬箱」を抱えた町なのでございます。
亀川で静かに整え、
明礬で気分を切り替え、柴石でじっくり養生し、鉄輪で汗を絞り、
観海寺で景色に癒され、別府で王道の湯に浸かり、
浜脇で素朴な湯に抱かれ、
堀田でゆっくり休む。
そうして湯けむりの町を巡っておりやすと、旅の疲れだけやござんせん。世知辛い人生の疲れまでもが、ふっうと軽うなる瞬間がござんす。
湯けむりの向こうへ、悩みがすうっと消えていくんでさ。
別府八湯とは、そういう町でございます。
……まあ、言うてる本人が
いちばんフラフラしてやすがね。
【実践的付録】風呂く

= 八湯薬箱編 =
♨️堀田温泉 — 休息の薬
山あいの静けさと火山の息吹。湯に浸かった瞬間の「帰ってきた」感覚。これは体の奥の「ほっ」というスイッチを押す湯でござんす。
☛ 休息の初動
山の静けさが呼吸を深くし、心拍がゆっくり落ち着く。
ここで旅人の体は「戦闘モード」から「回復モード」へ切り替わりやす。
♨️亀川温泉 — 整えの薬
塩化物泉の保温力に、海風の名残が重なる。
湯上がりのぽかぽかが長く続く「体温の守護神」
☛体温の再起動
塩の膜が体温を抱きしめ、冷えた内臓がじんわり目を覚ましやす。
♨️明礬温泉 — 気分転換の薬
硫黄の香りが鼻を抜けた瞬間、日常のスイッチが切れやす。
湯の花小屋と白濁湯は、まさに湯けむり異界。
☛感覚のリセット
硫黄の香りは、脳の日常回路を一刀両断。
ここで旅人は「旅の脳」へと切り替わりやす。
♨️柴石温泉 — 養生の薬
古来の「傷の湯」。
山あいの静けさと硫酸塩泉の効能が、固結びの疲れをほどきやす。
☛ 深部修復
固まった筋肉の奥の奥、普段触れられない疲れがほどけていきまっせ~
♨️鉄輪温泉 — 発汗の薬
むし湯、瀧湯、湯けむり、なんでもござれ。
ここはもう湯の修行場。
体の奥の奥まで蒸され、叩かれ、抜けていきやす。
☛ 発汗と排出
むし湯と瀧湯が、体の排気口を全開に。
汗とともに、旅人の体から余計なものが抜けていきやす。
♨️観海寺温泉 — 景色の薬
高台の眺望と塩化物泉の温まり。
湯と景色が同時に効く二重処方。
☛景色による鎮静
湯に浸かりながら景色を見るという行為は、脳にとって最高のご褒美でござんす。
♨️浜脇温泉 — 素朴の薬
単純泉・重曹泉の軽やかさ。湯上がりの「ふわり」が日常の埃を落としやす。
☛日常への回帰準備
素朴な湯が、旅人の心を普通の生活へ優しく優しく戻してくれるんでさ。
♨️別府温泉 — 王道の薬
町の中心にして、湯の原点。
温泉とはこういうもんだと教えてくれる。
☛ 湯の原点回帰
最後にここへ浸かると、「ああ、温泉とはこういうものだ」と体が思い出しやす。
= 湯の処方箋編 =
♨冷えが強い日
→ 亀川または観海寺(塩化物泉)
体の芯に火を戻すなら、海風と高台の湯に身を預けるのがよろしいかと。
♨心がざわつく日
→ 別府または浜脇(単純泉)
湯のやわらかさに包まれれば、ほどけるように日常が静まっていきやす。
♨疲労が深い日
→ 柴石(硫酸塩泉)
言葉にならない疲れほど、山あいの湯は黙って受け止めてくれますぜ。
♨気分を切り替えたい日
→ 明礬(硫黄泉)
硫黄の香りがひと筋、頭の中の空気をまるごと入れ替えてくれやす。
♨汗を出したい日
→ 鉄輪(むし湯・瀧湯)
蒸され、流し、抜けていく~ 体の奥に溜めたものは外へ返しておくんなせぇ。
それでは皆々様、
湯加減と共にあらんことを
May the Force be with 湯
湯けむりの向こうに、明日もまた、ええ人生が湧いておりまっせ~
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寸志
有り難く頂戴いたします
ほんま、おおきに