文庫『春のこわいもの』を読みました

こんにちは。
鴨井奨平です。
ゴールデンウィークに川上未映子氏の短編小説集『春のこわいもの』(文庫本)を読みました。
とても面白かったです。
以下にネタバレありの感想を記します。






短編小説集『春のこわいもの』に収録されている作品はどれも面白かったです。ちなみに私のお気に入りはちょっと長めの作品の「あなたの鼻がもう少し高ければ」と「娘について」です。私は川上氏の以前の短編小説集『ウィステリアと三人の女たち』も好きで、その中でも「彼女と彼女の記憶について」が特に好きです(川上未映子氏の全作品の中で一番好きかもしれません)。私は川上氏の長編小説は全て読んでいますが、長編よりむしろ短編の方が好きです。短編の方が作家・川上未映子の人間描写や文体がより発揮されている気がします(川上氏がこういった評についてどのように思うかはわかりませんが)。また、『春のこわいもの』収録作品と「彼女と彼女の記憶について」は、「あれって一体なんだったんだろう?」という、読者の想像力をかきたてる「ささやかな不気味さ」を伴った読後感が素晴らしいです(作品内で諸々ハッキリさせて欲しい、と願う読者にとってはモヤモヤするかもしれませんが)。これについては、川上氏と親交のある村上春樹氏の作品と共通していると思います。

また、『春のこわいもの』は長編『黄色い家』と同時期の作品群で、それ以前の『夏物語』と比較すると著者の作品傾向の変化も伺えて興味深かったです。
世界的に評価された『夏物語』はフェミニズムの理論に基づいて作られた小説ですが、私の印象としては、「フェミニズムの理論の枠組みを超えたものではなかった」というものでした。展開もそれに沿ったもので、特に、物語に登場する加害性を持った男性キャラクターの造形はとても定型的でした。しかし断っておくと男性キャラクターの造形が定型的だったのは川上未映子氏の資質の問題ではなく(芥川賞作家にその資質がないわけない)、フェミニズムの理論的限界によるものだと私は思います。マルキシズムの理論が資本家について語ることを苦手とするように、フェミニズムの理論は男性について語ることを苦手にしているように私は思います(あの上野千鶴子氏ですら、「男性性」について語る際は些か言葉の切れ味が落ちます)。
川上未映子氏レベルの小説家なら、フェミニズムの枠を超えた作品を書けるはずなのに、と僭越ながら私は思ってしまいました。
しかしその後の『春のこわいもの』と『黄色い家』は、その枠を超えた作品であると私は思いました。具体的に言うと、川上未映子氏はフェミニズムのより実践的な取り組みについて模索しているように感じます。シスターフッドによって作られたコミュニティも、関係が固定化し、そこに外圧がかかると政治や権力関係を生み、破滅に向かっていくことが表現されるようになった。上記二冊からはそういった状況に陥った「弱い者」をどのようにすくい上げるべきか、川上氏の試行錯誤が伺えます。『春のこわいもの』収録の「あなたの鼻がもう少し高ければ」、「娘について」の主人公たちは物語から突き放されて結末を迎えるのですが、川上未映子氏は彼女らに手を差し伸べようとしている気がします。『黄色い家』の主人公には「ささやかな救い」が最後にもたらされる。

最も注目されている日本人小説家である川上未映子氏はこれからどのような変化を遂げるのか、恐れながら一読者としてとても楽しみになりました。

今回はこのへんで筆を擱きます。

いいなと思ったら応援しよう!