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『人はなぜ、自分自身でいられなくなるのか』|資産10億円を目指す投資日記

「毎日忙しいけれど、私は本当にこのままでいいのだろうか」

そんな風に、ふと立ち止まってしまうことはないだろうか。

「絶望の哲学者」と呼ばれた男がいた。

19世紀デンマークの哲学者、Søren Kierkegaard(セーレン・キルケゴール)である。

だが、彼が本当に見つめていたのは絶望そのものではなかった。

彼が問い続けたのは、

「人はなぜ、自分自身を見失ってしまうのか」

その一点だった。



キルケゴールは裕福な家庭に生まれた。

父親はリネン(織物)貿易や不動産投資で莫大な財産を築き、その遺産によって彼は生涯、生活のために働く必要がなかった。

多くの人が仕事や生活に追われる中、彼には考える時間が与えられていた。

本を読み、

書き、

そして人間とは何かを問い続けた。

お金の不安から解放された彼がたどり着いたのは、

人間の本当の苦しみは、
お金や環境だけでは決して解決しない、
という事実だ。



彼の代表作である The Sickness Unto Death(『死に至る病』)には、こんな考えが書かれている。

絶望とは、

失恋することでも、

失敗することでも、

貧しくなることでもない。

本当の絶望とは、

「自分自身でいられなくなること」

だったという。



私たちは絶望という言葉を聞くと、

深い悲しみや苦しみを想像する。

だがキルケゴールは違った。

むしろ最も根深い絶望は、

自分が絶望していることにすら気づいていない状態だと考えた。

世間の常識に流される。

他人の期待に応える。

忙しさに追われる。

そしていつしか、

「自分は何者なのか」

「本当はどう生きたいのか」

という問いを忘れてしまう。

一見、平穏に見える人生の中にも、

静かな絶望は潜んでいるのかもしれない。



キルケゴール自身もまた、

人生の大きな選択に苦しんだ人だった。

彼はレギーネ・オルセンという女性と婚約していた。

しかし彼は突然、自ら婚約を破棄する。

愛していなかったからではない。

むしろ愛していたからこそ、

「自分のような人間は彼女を幸せにできない」

と考えたのである。

この選択で彼は世間から激しく非難され、
孤独に陥った。

それでも彼は、
自分が選んだ道を、歩み続けることをやめなかった。



だが、この話は遠い昔の哲学者だけのものではない。

私たちもまた、

「あの人みたいになりたい」

「別の人生だったら」

と思うことがある。

けれどキルケゴールは言う。

それは時として、

本来の自分から逃げようとする絶望かもしれない、と。



逆に言えば、

「今の自分はこれでいいのだろうか」

と悩み、葛藤することは、

決して悪いことではない。

それは見失いかけていた自分自身が、

心の奥から送っている静かなサインなのかもしれない。

迷うこと。

立ち止まること。

考え続けること。

それは絶望ではなく、

自分自身を取り戻そうとする営みなのだ。

もし今、
心の中にモヤモヤがあるなら、
それを言葉にしてみるのもいい。

正体のわからない不安を書き出すことは、
見失いかけた自分と向き合う第一歩になる。



晩年のキルケゴールは、

父から受け継いだ財産を切り崩しながら執筆を続けた。

働く代わりに考え、

蓄える代わりに書き続けた。

そして42歳で倒れ、その生涯を閉じた。

彼は人生のすべてを、

「人はどう生きるべきか」

という問いに注ぎ込んだ。

170年以上前、

一人の哲学者は問い続けた。

「あなたは、本当に自分自身を生きているか」

その問いは今も、

私たちの胸のどこかで静かに響いている。

もしかすると、

その答えに迷うこと自体が、

まだ自分を見失っていない証なのかもしれない。









170年前の哲学者が教えてくれる、思考停止の殻を破るヒントが凝縮された一冊です。

私が選んだ道についての記録です。
ぜひ読んでください。

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