進化製薬工業株式会社 爆発事故とその後【完結編】(雪谷特別出張所) #25
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東京地方裁判所
1961年 (昭和36年) (わ) 2337号 判決
1964年 (昭和39年) 10月16日
を参考に
当事故を後世に伝えるものです
【爆発発生】
午後4時5分、
点火使用中の薬錠乾燥用熱風炉の
ガスバーナーの火に引火。
瞬時に通路上のアルコールを燃焼させると共に、
血圧降下剤エスマルチン錠
及びエスマルチン錠に含まれた
六硝酸マンニツトが爆発的に燃焼した。
【被害概要】
同社の木造瓦葺 (一部亜鉛メッキ鋼板葺)
2階建工場兼事務所一棟 (約231㎡) は
爆発による全焼しました。
工員A (死亡当時18歳) 他12名が焼死し、
工員B (当時18歳) 他19名が負傷した。
その後病院に運ばれた1名が亡くなり
13名のもの若い女性の尊い命が奪われた。
(類焼や関係者以外の負傷等の記事が
見当たらないのは不幸中の幸い)
【安全管理の実態:
従業員管理の不徹底と従業員の意識】
後の証言により、
「係長I」が同日午後4時ごろ、
顆粒室南東隅の流し台付近に、
煙草を投げ捨てた事実が認められた。
これが火災の直接の原因となったかどうかは、
必ずしも明らかではないが、
仮に煙草の投げ捨てが
直接の引火原因であったとしても、
当該工場では作業場内における
喫煙禁止等の措置が、
厳格に守られていたとは認められず。
むしろ、
当日の「係長I」の行動等から判断すると、
アルコール等の危険物を
取り扱っていない状況であれば、
喫煙が黙認されていたように見受けられる。
この危険な環境の中「煙草を吸う」
という行為を行う
「係長I」の業務にあたる上での責任感や、
安全に対する意識が
欠如していたと言わざるを得ず、
このような行為が日常で行われていたことも
事件の一端を担っていることを否定出来ない。
【翌日の新聞による事件の詳細】
爆発した1階の顆粒室と、
2階の包装室にて作業中の従業員たちは
爆発により一瞬で猛火に飲み込まれて即死。
逃げ延びた従業員のほとんどは酷い火傷を負い、
救急車で近隣の荏原病院、
佐藤病院、柿原病院へと収容され、
1人は病院で死亡が確認された。
・警察による実況見分
警視庁東調布署 (現在の田園調布署) は、
警視庁の鑑識課、第三機動隊の
一個中隊の応援を求めたうえで、
午後6時すぎに、
焼け落ちた工場内から遺体の回収作業に着手。
黒こげとなった遺体が次々と運び出され、
午後10時10分の段階で12人の遺体を収容。
棺で東調布署へと運び出され、
近所の人たちが涙を浮かべつつ見送った。
・現場から逃げ出すことが出来た人たちの証言
「ピカッと光ったと思ったら、
もう火の海だった。
夢中で逃げ出すのが精一杯。
同僚を助けることができなかった」
と、恐怖の瞬間を語っている。
進化製薬工業株式会社爆発事件 判決
東京地方裁判所による判決
高園善次・梶田篤に下された刑事判決概要
(1) 被告人両名が
本件アルコール缶の扉洩に気付きながら
そのまま放置していたわけではなく、
別の容器に入れ換える等
一応の処置を尽していること。
(2) 被告人両名の過失が
本件出火の唯一の原因ではなく
板谷章にも過失が認められること。
(3) ことに本件火災の拡大の原因となった
エスマルチン錠等に関し、
その危険性を認識しなかつた過失は、
さほど大きいものとは言えないこと。
(4) 本件火災の結果、
工場の諸設備を失った被告人高園としては、
本件被害者及びその遺族に対し、
一応最大限度とも思える慰藉の措置を講じ、
負傷者の一部については
現在も生活を保障していること。
(5) 被告人高園は現在製薬工場を再建したが、
二度と本件事故をくり返さないよう
充分の注意を払っていると認められること。
(6) 本件長期に亘った審理期間中、
被告人両名は一度も欠席することなく、
その間改悛の情も顕著であると
認められること。
(7) 本件起訴が事件後3年近くを経て後になされ、
又審理にも約3年を費やし、
その間、本件に対する
社会感情も薄らいだことは、
否めない事実であり、
被告人らもかような
長期間の捜査および審理の経過を通じて、
本件の責任の重大性と
刑罰の威赫性への認識を高めたと
認められることなど
諸般の事情を考慮すると、
前記のような結果の重大性にも拘わらず
主文の刑を量定するのが相当である。
被告人高園善次を
禁錮1年6ケ月 執行猶予3年。
被告人梶田篤を禁錮1年 執行猶予3年。
訴訟費用は
全部被告人両名の平等負担とする。
東京地方裁判所
1961年 (昭和36年) (わ) 2337号 判決
1964年 (昭和39年) 10月16日より
(原文のまま)
【必然の悲劇―
管理の不備が招いた爆発事故と安全管理の教訓】
この爆発事故は
製造に必要な薬品管理の不備や
従業員の行動管理、
また危険意識の低下などが重なった結果、
残念ながら「起こるべくして起こった事故」、
「人災」であったことが認識される。
これは管理体制の欠陥が直接的な
原因の一端となりました。
被害の大きさと犠牲者の数を考えると、
その深刻さは計り知れない。
【進化製薬工業株式会社という組織の個人的見解】
これまでの記述から推察すると、
実際の会社運営は、
「専務取締役M」は屋台骨となり
会社の基盤を支え、
高園社長のあり方を感じながらも、
先代が創業した会社を守るべく運営に専念し、
影ながら会社の発展に大きく寄与していた。
日常の作業は、
「係長I」が
中心となって行われていたと思われる。
彼は25歳と若かったが
業務の熟練度からか、
役職を与えられていた。
この「若き熟練者」
という立場の歪みが
現場に深刻な影響を与えました。
係長Iが
危険な現場での「喫煙行為」
という本来非常識な行為を
放置したことにより、
それは厳しく是正されることなく
**、職場内において**
「既成事実」として定着したのか。
その背景には、
高園社長との上下の間に存在する壁と
係長Iが若くして負った
熟練者としての立場の権威、
そして組織全体に蔓延していた
責任の曖昧さこそが、
この悲劇を生む土壌であったと推察されます。
「係長I」自身も
高園社長に対して
対面を繕っていた行為が
垣間見られる。
(事故当日の破損したブリキ缶の処置の対応)→Part 1 & 後出
【事故当時の工場長梶田篤の人物像】
創業メンバーではなく、
のちに九州から上京し業務に従事する。
「義兄」という立場が、
高園社長との明確な上下関係を
構築させた可能性がある。
梶田は一族という立場から、
役職を与えられていたか。
しかし、
実際には見合った待遇や扱いがなされず、
役職者でありながら、
日々通常作業を強いられていると感じていた。
その結果、
高園社長への不満が次第に募っていった。
【事故当時の作業現場と内部状況】
現場では、
役員も総出で実際の業務に
あたっている実情から
専門的な知識を持った者は
役職者に限られており、
役職者以外は指示がなければ、
自律的に動けないような体制で、
作業が行われていたのかもしれない。
会社の成長とは裏腹に、
内部でもまさに
「不穏な別の空気」が充満していた。
【組織風土と上司の対応が招いた爆発事故
― 自己見解】
事件発生前から周辺に
アルコールが充満しているのだから
匂いや違和感はあったはずであるのに、
指摘する者がいなかったのは、
普段からそのような状況は
日常化していたと考えられる
また、
従業員が上司に進言することをためらう
(または言えない)
組織風土があるようにも見え、
それも影響しているか?
高園社長ついて、
推測の域を出ないが、
会社の拡大とともに代表に就任し、
社員も「社長」として
相応の対応をしたことで
物言えぬ環境が自然に形成され、
ワンマン会社に傾倒していった可能性も
十分に考えられる。
その上「先代の孫」という事実も、
彼を「特別扱い」させ、
発言しにくい雰囲気を
さらに増長したかもしれない。
そのことが垣間見える理由として下記を挙げる
梶田篤は自身の待遇について
高園社長に不満を抱いており、
両者の関係が構築されていなかったのは
明らかである。
また、
「係長I」の喫煙行為については、
高園社長の前では
「いい子」に振る舞い
いない場所では
立場を翳していた可能性も。
この行為を放置したことにより、
それが職場内における既成事実となり、
喫煙の常態化を招いたと可能性がある。
さらには、
梶田と「係長I」が
漏洩していたアルコールを
顆粒室内の南東隅にあった流し台の上で、
別の容器に入れ換えたとの記述から、
アルコールが漏れる状況は日常であったため
「いつものこと」程度の認識で対応せず放置し、
高園社長からの指示があったので
渋々処置をした可能性が高い。
【組織構造の歪みが引き起こした関係性の機能不全】
梶田は高園社長に対して、
自らの待遇に不満や扱われ方に、
不満を募らせていたと考えられます。
また、家族経営による運営の結果として、
年功序列に基づいた適正な人事配置が行われず、
それによって組織内に
歪んだ上下関係が形成されてしまった。
このような中で、製造現場に密接に関わる、
彼ら3名の間に生じた風通しの悪さが、
コミュケーション不足を招き、
問題の発生に対する感受性の低下や
対応への遅滞を引き起こした結果、
この事件の一因となったと筆者は考える。
【安心経営に導く3要素】
組織にとって必要な3要素として
1. コミュケーションの構築
2. 課題認識への鋭敏な洞察力
3. 迅速な対応
が、必要であると考えられ、
この3つが揃ってさえいれば
この事故は起きなかったのではないか?
と、筆者は主張する。
【進化製薬工業株式会社と関係者たちのその後】
かつての敷地は、
住宅地へと移り変わり、現在に至っている。
一方、高園社長は製薬工場を再建したものの、
その後の経緯は記述がなく、
社名や操業場所など、詳細は不明である。
その他の役員や関係者たちに関する情報も
確認出来ない。

かつて進化製薬工業があったと思われる
現在の様子
痕跡は確認できない
最後に
Otapediaは
進化製薬工業を
「大田区無名の企業」
として登録します。
また
昭和33年7月15日を
この爆発事故が
発生した日を記録する
「大田区記憶の日」
として登録したいと思います。
大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。
彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡を
未来へと伝えていきます。
これらは
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。
ー参考資料ー
東京地方裁判所
1961年 (昭和36年) (わ) 2337号 判決
1964年 (昭和39年) 10月16日
映像
中日映画社 「アルバイト女学生ら十二名惨死」No.235_2
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