小竹麻糸工場 踏切に名前を残す今は亡き会社 (六郷特別出張所) #26
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① 創業と創業者
小竹麻糸工場は、記録によると
1918年(大正7年)7月に
荏原郡六郷村大字八幡塚941で
創業されたとされています。
「東京市工場要覧 大正14年11月現在」
(下出)に基づく。
創業者は、
越後の国出身の小竹市三郎。
1865年 (慶応2年) 生まれで、没年は不明。
職業欄には、
麻絲麻繩商との記載あり。
「人事興信録データベース」より

『東京市工場要覧 大正十四年十一月現在』
東京市役所、1925年、
撚糸業、p4.(画像参照)

人事興信所、
1928年 小竹市三郎の項 (画像参照)

『大東京職業別明細図之内 東京府』
内外地図、1926年(昭和元年)
小林麻糸工場の記載は誤記の可能性あり
(実際は小竹麻糸工場か/画像参照)
② 生産品
麻糸を撚糸に加工した製品が、
製造されていたと推測されるに留まる。
「東京市工場要覧 大正14年11月現在」の
麻糸 (撚) との記載から
③ 地域社会とのつながり
工場が地域に根差した
企業であったのではないかと思われます。
(後出)
④ 消息の追跡
『六郷わがまち 28号』によれば、
工場は、昭和3年 (1928年) に
存在していた事実が
確認されています。
-後の資料調査による追加情報-
1933年 (昭和8年) 12月末の
六郷町の主な工場一覧に、
小竹麻糸工場の表記は
ありませんでした。
※六郷今昔小誌による
2025年6月7日加筆
-さらなるの資料調査による追加情報-
1936年 (昭和11年) 発行
蒲田區詳細圖を確認したところ
跡地に「太陽レコード工場」の文字があり
閉業後この会社が入った可能性があります。
※太陽レコード工場の詳細については
記事が見つかりませんでした。
2025年7月23日加筆
-整理した情報-
小竹麻糸工場は
1933年 (昭和8年) には
既に存在しておらず、
1928年 (昭和3年) 以降に
移転したと考えられます。
その後、
詳細な時期は不明ながら、
太陽レコード工場が
1936年 (昭和11年) には存在し
移転創業したと考えられます。
こちらの消息についても不明です。
出典 東京地形社による
「昭和12年測量地図」に残る
小竹麻糸工場については
情報の更新がされず
記名されてしまったものと
判断いたしました。
2025年11月24日加筆

『六郷わがまち』第28号
大田区六郷地域庁舎
平成13年(2001年)12月1日発行、2ページ

「昭和12年測量地図」
データにブレあり。
⑤ 工場跡地の今
工場跡地は、
現在「仲六郷1-21-2
コーシャハイム仲六郷2号棟あたり」
になります。

小竹麻糸工場があったと思われる場所の今

閲覧日:2025年6月1日。
現在地図上の位置と、
かつての『大東京職業別明細図』
に記載された「小竹麻糸工場」と思われる場所
(現在の第一京浜沿い・六郷中学校北側)を照合
(赤マークは旧工場想定地、○は踏切を示す。
画像参照)
JR東海道線に「小竹踏切」
という名称が残っていることから、
地域の象徴的な企業であったことが窺えます。
しかし、その詳細な記録は残されておらず、
何とも惜しいことです。
⑥ 編集後記
史料が乏しいため、
後の何方かが
その空白を埋める未来に期待致します。
もちろん、新たな記事が見つかり次第、
随時upしていきます。
⑦ 最後に
Otapediaは、
小竹麻糸工場を
「大田区無名の企業」
小竹踏切を
「大田区未顕彰の地域遺産」
として登録します。
大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。
彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡を
未来へと伝えていきます。
これらの呼称は
「Otapedia独自」の記録上の呼称であり
「大田区公式の認定ではありません」。

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