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「本門寺道」消えた参詣道─鉄道に分断された信仰の道 (六郷・蒲田西・池上) #32


— 本門寺道 前段—


 今は住宅地の裏手に埋もれてしまった小さな路地に、
 かつて何千・何万という参詣人が列をなし、
 提灯の灯を揺らして歩いた時代がありました。
 その道の名は「本門寺道」、別名「御練街道」として
 親しまれていました。


「御練街道」と呼ばれた理由


 池上本門寺お会式に向かう万灯行列が、
 この道を練り歩いたからだと伝えられています。
 夜の道を彩る無数の提灯
 その幻想的な光景が、
 御練りという言葉に結びついたのでしょう。
 ※御会式(おえしき)とは、
  毎年10月10日~13日
  日蓮の命日に行われる大規模な仏教行事


本門寺(参詣)道分断の歴史


 対岸から舟で渡ってきた人々―
 ―特に川崎大師の参詣者の多くの人々が、
 ここを経て次の目的地池上本門寺へ向かいました。
 1872年(明治5年東海道線の開通により分断され、
 1899年(明治32年)京浜電鉄の開通堤防移設により、
 その起点は完全に分断され、
 道としての機能は失われてしまいます。
 (出典 ①『かまにし』51号 平成26年3月1日発行

北野神社内にある 六郷の渡し跡

街道の痕跡をたどる

分断された本門寺道のルートを、順を追って見ていきましょう。

六郷土手駅前(旧起点):


 京浜急行・六郷土手駅を降りて左前方に、
 小さな和菓子屋「梅泉の伊東」があります。
 その脇にあるわずか3メートルほどの細い路地が、
 現在も残る本門寺道の最初の痕跡です。
 もともとは六郷の渡しに直結しており、
 川崎大師から多くの人々がここを経て池上本門寺を目指しました。

京浜急行 六郷土手駅からスタート

簡易宿泊所群~JR線下:

 「梅泉の伊東」から「簡易宿泊所群
 (第一岐阜館)(旅館おおさわ)(太陽舘)の先、
 「東京工学院専門学校多摩川寮」を左に曲がり、
 JRの線路をくぐります。
 線路に沿って北上すると「村田製作所東京寮」があります。

「六郷土手駅〜村田製作所東京寮間:途切れた本門寺道(御練街道)の迂回路」
※地図:© Google、地図データ ©2025 Google 出典:Google マップ(https://www.google.com/maps)
和菓子 梅泉の伊東
左の細道がかつて万灯行列で輝いていた“本門寺道”の入り口です
第一岐阜館
旅館 おおさわ
旅舘 太陽館
工学院専門学校 多摩川寮
 村田製作所 東京寮

プラウドシティ大田六郷~綿屋酒販:


 ここからは、本門寺に向けてほぼ一直線の道になります。
 「プラウドシティ大田六郷」を両手に見ながら直進します。
 その先左手に、
 パンケーキが好評の「ココミイル」の脇を抜けます。
 右手には1892年(明治25年)創業
 大きな看板が印象的な、
 「綿屋酒販株式会社」があります。
 当時たくさんの参詣客が、
 お酒を求めて立ち寄ったことでしょう。
 私自身はお酒が飲めませんが、
 当時の旅人たちの賑わいや、
 道中の安堵の光景が目に浮かぶようです。

プラウドシティ大田六郷E棟
ココミイル カフェ
綿屋酒販株式会社
開業から130年の老舗
今は静かな住宅街に佇む、旧宿場の面影を残す通り

小鳥塚・元志茂田交番:


 さらに進むと、
 「蒲田警察署 西六郷一丁目地域安全センター(旧・志茂田交番)」
 の前に出ます。

 この場所には、かつて 「小鳥塚」 と呼ばれる
 塚があったとされています。
 その由来には諸説あり、たとえば:
 ・子取塚(ことりづか)説
 ・独鈷塚(どっこづか)説
 などが挙げられます。

 この地点が村境に位置することから、
 かつては悪霊や疫病などの侵入を防ぐために、
 道祖神が建てられましたが、
 そんな役割も持ってたのかもしれません。

 また、この小鳥塚の脇を通る道にちなんで、
 「道塚」という地名が生まれたという説もあります。

「塚」の意味とは?

 「塚」と聞くとお墓のイメージが強いかもしれませんが、
 もともとは:
 ・道しるべ
 ・供養の場
 ・土地の目印
 といった役割を持つ「土盛り」の総称でした。
 (出典 ①『かまにし』51号 平成26年3月1日発行

蒲田警察署 西六郷一丁目地域安全センター(元志茂田交番)
左は蒲田電車区

 蒲田電車区~六差路:
 

 右手に「蒲田電車区」、
 その先少しルートを外れたところに、
 「大楽寺」があります。
 この大楽寺では、
 1872年明治5年)中山ムメという女性が、
 大田区初の寺子屋を開いたとされています。
 授業内容は、主に暮らしに必要な、
 読み書きを書道で教えていたようです。
 この方も「大田区無名の偉人」の一人といえるでしょう。
 ほとんど記事が残されていないため、
 ここに記すことにしました。
 (出典:道塚自治会「夏至」)

 街道に戻ると、六郷用水が斜めに交差する
 六差路があります。
 その左手角には、300円かつ丼で有名な
 「親子丼ヤマカ1」があります。

寺子屋として使用された 大楽寺
六差路交差点にある
親子丼 ヤマカ1 は、300円のカツ丼が人気
サイネージにも300円の文字

環状八号線~旧本門寺道駅跡:


 環状八号線を渡ると、
 その先には旧目蒲線の「本門寺道駅」
 
(のちに道塚駅と改称)がありました。
 この駅は戦時中の蒲田大空襲により、
 1945年(昭和20年)に休止
 1946年(昭和21年)には、
 路線変更により廃止されています。

 現在では、「道塚小学校」や「道塚幼稚園」など、
 旧村名であった当時の呼び名が今なお残され、
 かつての街道や集落の記憶を静かに伝えています。

東急目蒲線 旧本門寺道(道塚)駅跡の現在(推定)
写真奥に見えるのが現在の多摩川線
路線変更前はこの付近に旧駅があったと考えられています。
東急 道塚小学校 バス停
まず 東急多摩川線の踏切を渡ります

蓮沼駅周辺:


 蓮沼駅の手前で踏切を渡り、
 街道は「多摩堤通り」(都道11号)を横断します。
 左手に「蓮沼駅」、右手に「蓮沼交番」を見ながら、
 街道は池上線の線路に沿って本門寺を目指します。

蓮沼駅手前 踏切をわたって左
都道11号 多摩堤通り トラックが出てきた方へ
しばらく池上線沿いを歩く

池上駅近く:


 
池上線が池上駅に向かって大きくカーブを描く地点で、
 本門寺道は線路と別れを告げ、
 まっすぐ本門寺の門前町へと向かいます。

 街道はやがて「池上5丁目公園」の脇を抜け、
 かつての東京電力営業所跡を過ぎ、
 区道421号池上通りと交差します。
 そして、池上駅からの参詣道と合流します。
 この合流地点には「本門寺参道」の石碑が、
 今も静かに建ち、かつての往来の記憶をとどめています。
 江戸時代元禄年間創業の
 くず餅で知られる「池田屋」があります。
 店名の由来は、当時「」と「」んぼしか
 なかったからだそうです。
 現在は18代目がお店を守っています。
 (参考資料③池上仲通り商店会発行のPDF資料

池上5丁目公園
参議員選挙前なのでポスターの掲示板が
東京電力パワーグリッド株式会社 大田営業センター
都道421号 池上通りを渡ると 参道と合流します
参道の石碑(比較的新しい)
元禄年間(1700年前後)創業
元祖久寿餅 池上 池田屋
江戸から続く甘味処“池田屋”のくず餅は、参詣者の休憩の定番でした

 ちょうどこの場所を六郷用水が横切っており、
 空から見ると――旧街道・用水・参道が交わって、
 まるで漢字の「」の字のようにも見えるといいます。

・一画目:旧池上道
・二画目:六郷用水
・三画目:池上駅からの参道
・四画目:御練街道

 ※池上道(平間街道・古東海道)とは、
 現在の青物横丁駅周辺から区道421号線を通り
 JR大井町駅~現池上通り~JR大森駅~大森郵便局~旧池上通り~
 本門寺~光明寺~平間の渡しを指します。

 こうして、人と水と信仰が交差する十字の道が刻まれました。
 (出典 ①『かまにし』51号 平成26年3月1日発行

この地域を上空から見ると、旧池上道、呑川、池上駅方面の道、本門寺道(お練り街道)
が交差し、まるで漢字の「天」の字のような形を描いていることがわかる(図1参照)。
人と道と水が交わるこの地形は、信仰の結節点であったことを物語っている。
(図1:池上周辺における「天」字交差点。Google Mapを元に筆者作成)

明治の古民家~池上本門寺

 池上 池田屋の隣には、
 1875年(明治8年)築萬屋酒店
 今もなお営業を続けています。
 この位置から本門寺は見えますが、
 橋の手前には大きな大きな石碑が鎮座しています。
 その橋を渡るといよいよ本門寺の参道の最終区間。
 奥には96段の石段がそびえ立ち、
 これを上りきると本堂にたどり着きます。

1875年(明治8年)に建てられた 萬屋酒店
国登録有形文化財 (第13-0071号)
題目宝塔 「南無妙法蓮華経」のお題目を正面に刻まれている石塔です。
橋を渡ると本門寺
橋を渡ってすぐ本門寺総門手前の本成院
院内には「ドラえもん」がいます

消えた参詣道ーあとがき 


 失われた道に、祈りの痕跡を追って
 本門寺道(御練街道)は、
 鉄道という文明の利器によって分断され、
 街の景色とともに忘れ去られつつあります。
 しかし、道塚志茂田という旧地名、
 万灯の記憶、和菓子屋の脇の小径には、
 今もわずかにその影が残っています。
 かつて、六郷の渡しから池上本門寺まで、
 大人の足でおよそ1時間。
 多くの人々が歩いたその道筋を、
 もう一度歩いてみたくなる——
 そんな気持ちにさせてくれる、消えた参詣道の物語です。

1889年(明治22年)矢口村大字道塚
1932年(昭和7年)蒲田區道塚町
1967年(昭和42)町名変更により大田区新蒲田となる

考察

本門寺道が埋もれてしまった理由について

1 交通インフラの変化による街道の寸断


 本門寺道が衰退していった最大の要因は、
 近代以降に発展した鉄道や幹線道路による「物理的な寸断」です。
 特に、東海道線や京浜急行などの鉄道の敷設により、
 街道は分断され、一本の連続した道としてのまとまりを失いました。
 これにより、地域住民や参詣者にとって「ただの脇道」、
 としてしか認識されなくなっていきます。
 街道の意味や役割が薄れ、
 やがて地図からも記憶からも消えていったのです。


2 鉄道の発展と徒歩文化の後退


 1899年京浜電鉄の蒲田駅(現・京急蒲田駅)が開業し、
 1904年
にはJR蒲田駅も開業しました。
 この交通の要衝化によって、
 遠方から池上本門寺を目指す参詣客は、
 鉄道駅から直接向かうルートを選ぶようになります。
 かつては川崎大師を参詣したあと、
 六郷の渡しを渡って本門寺道を歩くことが一般的でした。
 しかし、鉄道の普及によって「歩く信仰の道」は、
 より便利で効率的な「電車で行くルート
 に取って代わられていきます。
 こうして本門寺道は、
 参詣ルートとしての必要性を徐々に失っていきました。


3 信仰の潮流変化と巡礼ルートの再編


 明治期には信仰のあり方にも変化が現れます。
 1885年、穴守稲荷神社が、
 公認の独立神社として認可されました。
 こうして、川崎大師~池上本門寺という、
 伝統的な巡礼ルートから、
 川崎大師~穴守稲荷神社という、
 新たなルートへと人々の関心が移っていきました。
 
 1902年には京浜電鉄が、
 穴守線(現在の空港線)を開通させ、
 穴守稲荷へのアクセスが飛躍的に向上します。
 穴守稲荷神社は商売繁盛・海上安全・五穀豊穣といった
 「現世利益」のご利益で知られ、
 より「今を生きる人々の願い」に即した、
 信仰対象となったのです。
 参詣者にとって、より短時間で利益を得られる、
 信仰対象とアクセス手段があるなら、
 そちらへ流れるのは当然の流れでしょう。
 そうして、六郷の渡しから池上本門寺へと続く
 長い徒歩の巡礼ルートは、
 次第に使われなくなっていきました。


結び


 本門寺道が忘れられていった背景には、
 「道の寸断」「交通手段の変化」「信仰の合理化」という、
 時代の変化に伴う必然的な理由がありました。
 しかし、今もその痕跡をたどれば、
 かつて人々が信仰を胸に歩いた道の記憶が、
 町の片隅に静かに残されているのです。

 あなたも、そんな小さな歴史の足跡をたどる旅に出てみませんか?

かつての参詣道「本門寺道」の一部を徒歩でたどったルート(約4.7km)。
出典:NAVITIME JAPAN(https://www.navitime.co.jp)

主要地点の所在地

本記事でご紹介した主要な地点の所在地は以下の通りです。
 六郷の渡し跡:東京都大田区仲六郷4-29 北野神社内
 梅泉の伊東:東京都大田区仲六郷4-17-1
 簡易宿泊所群:東京都大田区仲六郷4-18付近
  (第一岐阜館旅館おおさわ太陽館
 東京工学院専門学校多摩川寮
:東京都大田区仲六郷4-13-4
 村田製作所東京寮:東京都大田区西六郷3-26-1
 プラウドシティ大田六郷:東京都大田区西六郷3-2-14
 ココミイル:東京都大田区西六郷2-5-8
 綿屋酒販株式会社:東京都大田区西六郷1-40-1
 蒲田警察署 西六郷一丁目地域安全センター
         東京都大田区西六郷1-4-15
 大楽寺:東京都大田区新蒲田3-4-12
 親子丼ヤマカ1:東京都大田区新蒲田2-1-13
 元本門寺道駅:東京都大田区東矢口3-27-5付近
 池上警察署 蓮沼交番:東京都大田区西蒲田6-30-6
 池上5丁目公園:東京都大田区池上5-15-18
 東京電力パワーグリッド株式会社 大田営業センター
         東京都大田区池上5-12-17
 池上 池田屋:東京都大田区池上4-24-1
 池上本門寺:東京都大田区池上1-1-1


最後に

Otapedia
川崎大師から
池上本門寺へ向かう
参詣者が利用した
『六郷の渡し』
池上本門寺へ向かう
参詣道
『本門寺道』
戦災によって
姿を消してしまった
『本門寺道駅 (道塚駅)』
その参詣者たちを
静かに見届けてきた
『綿屋酒販』
昭和40年代の
町名再編によって
失われた旧地名
『道塚』

本門寺参詣道に
現れた
『天の文字』
元禄の時代から
参詣者に久寿餅を
提供してきた
『池田屋』
明治8年に建築され
国登録有形文化財となっている
『萬屋酒店』
大田区未顕彰の地域遺産
として登録します。

大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。

彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡
未来へと伝えていきます。

これらの呼称は
Otapedia独自の呼称」であり
大田区公式の認定ではありません」。

出典
『かまにし17』51号 平成26年3月1日発行
参考文献
道塚自治会会報 「◇ 夏至 ◇」 「5月10日の定期総会は議案書原案で議決しました!」
池上仲通り商店会発行のPDF資料

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出典
『かまにし』51号 平成26年3月1日発行
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道塚自治会会報 「◇ 夏至 ◇」 「5月10日の定期総会は議案書原案で議決しました!」
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