東京ガス 大森製造所 重油流出事故【3月5日 今日は何の日】(大森東特別出張所) #257
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東京ガス 大森製造所
1908年 (明治41年) に
この工場の建設認可が
下りたことにより
大田区の近代工業化が
始まったと言える。
しかし、
この進出は
伝統の「海苔養殖」との
葛藤の始まりでも
あったのかもしれない。

東京瓦斯株式会社 大森製造所之一部
大田区立郷土博物館 所蔵
軍需工場化と空襲
第二次大戦中
工場群は標的となり
19回にも及ぶ爆撃を受け
壊滅的な被害を受けた。
海苔養殖業の一時復活
戦中から
1947年 (昭和22年) にかけて
低落の一途をたどったが、
1948年 (昭和23年) からの
数年間は
回復傾向へと向かった。
その理由は、
皮肉なもので、
工場は
日用品程度の製品しか
作ることが出来ず
工場排水が減ったこと。
政府や自治体が
漁村の復活に
力を入れたことも
要因の一つになった。
朝鮮戦争と工業復興
1950年 (昭和25年)
占領下にあった日本は
朝鮮特需により
工場は再び活発に
稼働するようになった。
しかし、
漁業との共存を
いっそう困難にしました。
1954年 (昭和29年) 3月5日
伝統産業であった
海苔養殖業に
大きなダメージを与える
重油流出事故が発生した。
原因は
重油タンク送油管に
ひびが入ったことによる。
内湾一面が被害。
漁業員1,000人で
汲取作業を行った。
重油流出事件の被害
約26,000棚が全滅。
同年5月18日
総額1,400万円の補償妥結
1世帯当たり10万円
支払われました。
海苔養殖の終焉
事故以降
工場排水や
都市下水による
水の濁りや
病原菌の増大によって
減産傾向になり、
1963年 (昭和38年)
約300年続いた
海苔養殖業は終焉を迎えた。

海苔干しの様子
大森 海苔のふるさと館 提供
現在の姿
工場の跡地は
東京ガス
大森グラウンドや
大森ふるさとの浜辺公園に
整備された。
当時の面影はなくなったが
人々が集う
美しい砂浜に
生まれ変わっている。

大森ふるさとの浜辺公園
最後に
Otapediaは
東京ガス大森製造所を
「大田区無名の企業」
として
重油流出事故が発生した
3月5日を
「大田区記憶の日」
として登録します。
大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。
彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡を
未来へと伝えていきます。
これらの呼称は
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。

出典
1. Wikipedia 『東京瓦斯電気工業』
2.『大田区政五十年史』45p
写真
ヘッダー
2.『産業道路・東京ガスガスタンク 大森東4丁目三輪厳島神社
昭和35年撮影』(大田区立郷土博物館 所蔵)
3.絵葉書:(明治40年~大正7年頃)
東京瓦斯株式会社 大森製造所之一部
(大田区立郷土博物館 所蔵)
https://urano-seminar.com/Survey1997/ch3.pdf
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