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久我邦太郎① ― "開拓狂" と言わしめた男の登場 (入新井特別出張所) #256

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初めに

本稿は、
大田区郷土博物館の
学芸員の方より
提供いただいた資料を
基に構成しています。

村井銕城氏という人物が
久我邦太郎について
語ったものを基に
構成されますが、
村井銕城氏の
久我邦太郎への
熱量は高く
“開拓狂” と称しています。

したがって本稿は、
一種の
“熱を帯びた証言”
であることを、
あらかじめ断っておきます。


久我邦太郎の略歴

九州生まれの実業家。

生年不明~
 1926年 (大正15年) 10月19日 
享年72歳

大森町役場
死亡届が提出された。

届出人は、
原宿在住の
陸軍中将・比志島義輝氏である。

墓所は不明。

墓所も定かではなく、
家族の記録も見当たらない。
その生涯は、
個人よりも
事業の痕跡として残っている。


街をつくることに取り憑かれた男

その仕事ぶりは、
全国を歩き回り、
見込みのある土地を見つけると、
私費で抱える職人集団を
即座に動員。

契約書も報酬もなく、
道路や排水溝を
ドシドシ造り上げてしまう。
山を切り開き、
街を改造し、
人々に「アッ」と言わせて楽しむ。

そんな規格外の情熱で、
彼は各地に足跡を残した。

村井銕城の記録に残る
久我邦太郎は、
明治から大正にかけて
各地を開発した
“異形の実践者” だった。

制度を作った政治家でもなく、
財閥を築いた実業家でもない。

だが、
街の輪郭を変えた人物だった。


田んぼの中にあった大森駅

できて間もない頃は
東口しかなく、
駅前も今では
想像がつかないほどの
寒村でした。

見渡す限りの田んぼ。
店はやっと五・六軒あるだけ。

海岸へ出る道も
曲がりくねり、
少し雨が降れば
両側の田から水が溢れ出し、
通行人は随分と
不自由をしたものでした。

当時は維新直後の内乱
(台湾事変や西南戦争など)が相次ぎ、
文化的な街づくりなど、
とても捗る状況ではなかったのです。


高級住宅街山王の始まり

当時
八景坂の中途
住んでいた
久我邦太郎は、
地主や農民に
開発を勧めますが、
誰もが
首を横に振るばかりでした。

それどころか
「不景気だから、
 むしろこの山林や
 田畑を買ってくれ」

という者が続出しました。

山があり、
水があり、
便利なこの大森こそ、
別荘地にふさわしい
と邦太郎は思い、
皆が手放したがった
土地・約2万坪を
宅地整備という目的で
買い取る決断をします。

驚くべきは、その取引価格でした。

安いところで一坪「25銭」。
高くても、わずか「1円」。

不景気に喘ぎ、
誰もが「売ってしまいたい」と
嘆いた土地を、
邦太郎は自らの財を投じて
引き受けたのです。

「不景気な田舎町」だった
大森の八景坂周辺は、
やがて姿を変えていく。


大森八景園

1884年 (明治17年) 
その広大な土地は
大森八景園として
開園しました。

1888 (明治21年) 
蟹料理が名物の
三宜樓 (さんぎろう)
開店する。

1897年 (明治30年) 
元正金銀行頭取
加藤文武
氏へ
譲渡契約が成立しました。

1916年 (大正5年) 
加藤文武氏
から
服部時計店 (現・セイコー) 
2代目社長
服部玄三氏
所有権が移りました。
※父金太郎氏の記述もあります。

この八景園の開園が
高級住宅街山王という
系譜の基礎を
築いたと言えるでしょう。

出典 国立国会図書館デジタルコレクション
三宜樓ではなく
三宜亭となっている

八幡海岸海水浴場

1891年 (明治24年) 
東京湾で初めての海水浴場
八幡海岸海水浴場を開場。

1910年 (明治43年) 頃
最盛期を迎える。

1914年 (大正3年) には
海水浴業者の組合も結成され、
開場期間の
7月1日~8月31日までとなった。

初日の海開きの日には
打ち上げ花火が開催された。

1926年 (大正15年) 
~1929年 (昭和4年) には
京浜急行の
大森海岸駅と平和島駅の間に
「大森海水浴場前」
という臨時駅があった。

戦前「平和島」の埋め立てが
開始されると、
「海水浴場」は少し南に移り、
戦後も営業を続けていた。

②へ続く


出典
 1.雑誌『武蔵野』三月號
  (大田区立郷土博物館 学芸員様より提供資料)
 2.『大田区史 下巻』
 3.『大田区の歩み』
 4. 三井トラスト不動産 大森・蒲田
 5. 国立国会図書館デジタルコレクション

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